80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

風の叫び (9) 人生の、ひとつの区切りとして

2017年02月19日 07時42分51秒 | 考える
自分を生きる。 

せっかく、人間として、個人として、この世に生まれてきた。

仲間とともにあり、仲間を立てて、生きていく。
それもまた、自分を生かすためであるなら、「可」 としよう。

最終的に、人が、何をしようと、あるいはするまいと、結局は個人、
自分自身の判断、決断の結果、それ以外の何ものでもない。


2つの、あるいは3つの個性が、たまたま通りすがりに出会い、
お互いの意見を言い合ってみた。
気が合ったから、ちょっとの間、一緒に行動してみた。
 

ただ、それだけの事だ。

別れてしまえば、意見として頭の片隅に残っているかも知れないが、
それによって、物理的に、自分が拘束される事などありえない。

拘束されていると思うのは、結局、個人の 「単なる思い込み」 でしかない。

無論、約束を忠実に守っていくという選択肢をとる事は出来る。
あるいは、逆に約束に背いた行動を取ろうとも、
最早、他の2人には、どうする事も出来はしない。
また、どうにかする必要もない。


先日、先輩に会って話す機会を得た。
「70歳という年齢は、人生のひとつの区切りとし有効だ。
 これを機会に、今までの考え方を一新させていく。
 それもまた、ひとつの手段ではないだろうか?」

「無理に変化する必要はないが、無理に現状を固守する必要もない。」
 

なるほどな・・・!!、と思った。 

人はそれぞれ、変わっていく。
 ・・・変わっていっていい。
別に、無理に変える必要もないが、
迷ったなら、変わってみるのもひとつの方法かも知れない。
 

ふと、そんな風に思った。


いずれにしても、一人の人間、
その人生の果てに待つものは、 「死」であり、 「無」でしかない。