80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

気まま、意のまま、筆のまま (1)

2017年10月09日 12時13分58秒 | 考える
お前はいつも、他人のためだと言うが、その結果が相手にとって、
どういう意味を持つものなのか、真剣に考えたことはあるのか?

あるまい!!

結果、自分の気持ちを、直接相手に押しつけているだけの事に
過ぎない。
そうは思わないか?

人間は、自身の意図しなかった事であっても、また、それを他人
が知ろうと知るまいと、結果的には自分自身を生きている。
それ以外に、人間の出来る事なぞありはしない。


時間は、本人が意識しようと、するまいと、その横をすり抜けて、
ただ黙って過ぎ去っていくだけだ。


分かりきった事だが、人は、自分の年齢は気にしていても、
自分の周囲、環境の変化には大して気を遣わない。

・・・というよりは、気がつかないと言った方がいいかもしれ
ない。

人の思考も、信念も、結局は相対的なものでしかない。
環境、人をも含めて、総ては各個人の見方、考え方に左右され
るものだ。

表紙のはげ落ちた旺文社の文庫本「O・ヘンリー短編集」
ちょっと読みたくなったので自己流に修理をしてみた。

いくら、そして、どれほど慎重に保存していても、時間が止ま
らない以上、総てのものは、いずれは古びていく以外にない。


そう、書物に限らず総てのものは、良い悪いはともかく、時間
の経過と共に、古びていく。
無論、食物も、住まいも、さらには、私自身もだ。

父は、他人から見てどう見えようが、自分の考え、自分の思い
に、ひたすら忠実に生きてきただけの事だ。


今になって、そう思えてきた。

誰かに説得され、あるいは強制されて為した事だと言い訳を
してみても、結局、最終的にそれを受け入れ、行動したのは、
他ならぬ自分自身でしかない。