80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

私の存在価値・・・。(1)

2018年03月31日 19時56分43秒 | 考える
おそらくは、多分、どこかで何かに役立っているのだろうとは思う、
しかし、それが分からなければ、自覚できなければ、何の意味も持たない。

「愛なく、運なく、縁もなく、恩ばかりが積み重なって、
他人に避けられ、怨となる。」

これは以前、どこかで書いたかも知れない。

※月※日(水) 晴れ
70代は、人生整頓の年代だと言う。
すでにやってしまったことは、今さら取り返しはつかない。
上から砂を撒いて踏み固め、その上に新しい人生を築いていくだけだ。

70代、仕事から追われ、言い換えるなら自由に生きられるようになった。

しかし、70代に何も出来ない、しない事がずっと心の重荷になっている。
他人から、付き合いから、出来るだけ逃げよう、逃げようとしている。
まぁ、結局はうまくはいかないのだが。

他人の行動を本で読み、話を聴き、どれだけ真剣に真似ようとしても、それだ
けでは何ひとつ変わる事はない。

今、現実に、ここに存在する自分自身をしっかりと見つめ直し、自らが行動し
ていく以外に方法はないのかもしれない。

人は見る角度によって、それぞれ異なる顔を見せる。
まっ、よくよく考えてみれば、何も人間ばかりではない。
周囲の総てがそうなっているのだが。

も一度、自分を知るために旅に出たい。
などと言うと、一体、何で旅に出る必要があるんだ?・・・と言われそうだ。
居心地の悪さを (誰のせいでもないのだか、と一言) 解消するためだと言い訳。

「平成孔雀伝」を書いてみたいと思った。
黄金の、あるいは緑の孔雀・・・昔、夢中になった「紅孔雀」をイメージ。
どこかにある財宝を求めて、独り旅立つ主人公になったつもりで。

思うに人生とは、ある意味、「宝探し」だとも言えるかもしれない。
もっとも、本来は、見つけ出し、掘り出した財宝をどう使うかの方に、重点と、
個人の才覚が必要とされるのだとは思うが。

私の場合、何とか長者のごとく、ただ独りこっそりと運び込んだお宝を目の前に
積み上げ、その前で、にたりにたりしている、そんな構図、映像が見えてくる。