80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

夢を見て・・・草刈り作業 (2017/2/15-水 晴れ)

2017年02月17日 06時35分26秒 | 考える
夢や、理想が、どれだけ素晴らしいものだろうと、
現実から外れてしまったら、何にもならない。



集団で、何か・・・多分、草刈り・・・作業をしている。
どうにも効率が良くない。

ふと、思い付いて、家に・・・近くだ・・・鎌を取りに帰る。
物置を見るが、思った場所に、「鎌」がない。

探し出すのに時間がかかる。

やっと見つけて、駆け足で、作業場に戻る。
気付けば、すでに陽が陰っている。

途中、私達とは別のグループに出会う。
作業を終え、整理中らしい。
私を見て、冷笑する。

私は焦って、私のグルーブに戻るが、こちらもすでに作業終了。
皆が、私に強い怒りの目を向けてくる。

何か、弁解しようとしているところで、目が覚めた。



私の生きているのは、現在、この時点だ。
決して、バラ色の未来などではない。


ちゃんと学び、ちゃんと行動し、結果を出していく。
それが私の目標だったはずだ。


確かに理想は大切なものかもしれない。
だが、道具により、どれだけ効率化が図れようとも、実際にその
道具を探している間に、肝腎の作業が終了してしまったのでは、
何の役にも立たない。

仲間から、白い目で見られるのも、当然かもしれない。


振り返って、私の、今までの人生はどうだったのだろうか?

考えてみれば、私の現在までの人生は、正に目標達成のための
道具探しに費やされてしまったのだと言えそうだ。


思うに、私は、仲間と手を取り合って、非効率でも何でも、作業を
続けていくべきだったのだろうか?


確かに、夢を効率よく実現しようとするのは、大切な事かもしれない。
しかし、その結果がどうなるのか、もう少し真剣に考えてみる必要が
あったのかも知れない。


私は、手作業で、非効率的な作業を延々と続け、結果、身の結ぶはずの
ない人生を、だらだらと送ってきたのだろうか?
それとも、道具を求め、探し続け、結果、日が暮れてしまったのか?


今、考えてみても、どうにも結論が出せないでいる。
いずれ、現在、理想とは、かけ離れた状況にある事は確かだ。


無論、今さら悔やんだところで、過ぎ去った日々が、どうなるものでもないが、
一点だけ、わずかな希望だか、私はまだ生きていること。


今後に、チョッピリ 「可能性を残している」 と言えるのが救いだ。

風の叫び (7) 役立たず!! (再考)

2017年02月15日 07時08分55秒 | 考える
あれからしばらく考えてみました。

「役立たず」 ・・・とは、
言ってみれば、結局、その場限りの他人の評価でしかないですね。
少々、表現の仕方が悪かったかもしれません。

私の場合、他人から、上司から、仲間から、直接言われたわけでは
ありません。

自分では 「まだまだ何かやれるはずだ」 と思っているのに対し、
会社的には、新陳代謝、若い人、新しい人を受け入れざるを得ません。

会社という枠で考えるのではなく、もっと大きな社会的に見ても、
効率の悪くなってきた年寄りから切っていかざるを得ないでしょう。


それはよく分かります。 いや・・・、分かっているつもりです。 

私の場合、身障者にも関わらず、60歳定年の所、65歳まで延長して
使っていただいた、その点は凄く感謝し、納得はしているのです。


しかし、退職後、ふと、思い立って、もう一度と、新たな生き甲斐、
新しい職場を求め、職安を歩き回ってみると、65過ぎの老人を、新規
雇用する、そんな職場は、ほとんど・・・、というより、全くありません。

「お前さん、それは、今までが贅沢すぎたんだよ!!」
そう言われてみれば、確かにそうかもしれませんよね。

考えてみれば、定年後の何の技術も取り柄もない、しかも、すぐにも
70に手の届こうという老人を、前途有望な若者を差し置いて雇い続ける。
そんな経営者は、そちらの方がおかしいでしょう。


見るからによれよれの爺さんを、何のつてもないまま雇ってやろう
などという経営者は、はっきり言って、失格でしょうね。
 

それは、重々承知の上で、個人的には、なお働きたい。

はっきり言えば、働かねば、食わねば、この先、生きていけない。
年金だけでは、何とも心細い、と言うか、不足、不安なのです。

で、出来れば、何とか再就職を・・・となるわけですが、世の中、人余り。

先様の人事課にしてみれば、
「あなた、70歳でしょう、お爺さん。 
 ご自宅で、ゆっくりと隠居生活でもしてたほうが無難ですよ。
 残念ですが、あんたの仕事、ここにはもうございません。
 すでにお役御免ですよ。」
 ・・・と、なるわけですね。

どう考えても、こちらの分が悪い。

むーーん・・・。  

風の叫び (6)  おーい、老い ・・ お友達 

2017年02月13日 19時57分07秒 | 考える
もしも、私に、何でもかでも、隠すことなく、総て、気軽に話せる
友人がいたら、私は、一体、何を話すだろうか?
 

目を閉じれば、無限の空間、
その空間を、ただ一人旅する男。
  

考えてみれば、弟が、私の家にやってきたのだと考えていたが、 
ひょっとすると、彼の移動先に、たまたま私がいたということに
過ぎないのかもしれない。


自己否定、・・・何でもかでも、自分が劣っていると考え続けることに
いささか疲れてきた。


西遊記・孫悟空 ・・・ 再勇気・尊吾空   ことさらに意味はなし。 

親鸞聖人と鴨長明とは、同時代人だとか。
しかも、親鸞は貴種の人だとか ・・・知らないことが多すぎる。
 

老いとは乱雑・無秩序。 

自分のペンネーム、何度考えても、風来居士の「居士」の字が、
ストレートに出てこない。

ボケも極まれりといったところか !!  ・・・ ()

男、風来、もそっと何とかならないものか?

風の叫び (5)  酒とタバコ、そして缶コーヒーの日々

2017年02月08日 17時55分13秒 | 考える
酒とタバコ、そして缶コーヒーの日々。

パソコン君の調子が、今一つ ・・・。
私、風来居士も同様、ここずっと、落ち込んでいる。 

何かやりたい、やらねばと、想い重ねて悩みがつのる。
何かせねばと、ただ焦るだけ。
  ← これは、私。

70歳の私は、本当に使えないのだろうか? 
何か、年相応の、私にでもできる仕事はないのだろうか?

弟が仕事に出掛けていくたびに、そう思う。

独り、部屋で、タバコを吹かす。 
時折、ウィスキーのペットボトルの口をひねる。 ・・・無論、あればの話。


本当に、こんな事で私は生きていく価値が、あるのかどうか?
いつも、そんなことを考える。
  

できれば、死んで、なお、
「あいつは使えなかった。 全く、食いつぶし・穀潰しでしかなかった。」
などとは言われたくない。  

だが、現状は、いずれ、そう言われても仕方がないような状況だ。

仲間 = 人を求めて、人を怖れる。
周囲とコミュニケーションがとれない。
・・・ 不安が先立つ。

求め求めて、結局、最後は避ける。
お互いの心の内に深入りはしたくない。
してもらいたくない。


ただ独り、ベンチに腰を掛けて、自販機の缶コーヒーを飲んでいる。

う~む、何とも暗く、そして悲しい性格と言うべきか。

さらに、人との付き合いには、当然のごとく、金が入り用になる。
その先立つものが私にはない。
付き合いに手が出ない、二の足を踏む。


所詮、他人と、まともに生きていくのは、見果てぬ夢のまた夢。
とは言え、夢でも見なけりゃ生きてはいけぬ。


暗渠・・・地下に設けた下水路
あのゲートの向こう側、奥には、私の求める 「何か」 がある。
いつも、そう思う ・・・、そんな気がする。
  

が、今の私には、そこに飛び込んでみる技術も、勇気もない。

風の叫び (4)  心の旅。

2017年02月05日 16時31分11秒 | 考える
心の旅。

ページを開けば旅が始まる。 

思い出を、母とともに旅する。
考えてみれば、実際に、もっと二人ででも、旅に出るんだった。 
今思えば、母との旅行はただ一度だけだった


しかし、今さら、言ってみても、ただの言い訳にしか聞こえない。
 

今度、誰か、本当に大切な人が出来たら、迷わず、どんどん旅に出よう。

とは言え、それには、まずは 「旅費」 が必要なんだよな。
ひょっとして、宝くじでも当選しないものかなぁ。
などと、ひたすら運頼みしかない。 ・・・馬鹿か !!

何ともはや、いずれにしても、母の亡くなった、今頃になって言うことではない。 
どのみち、まず、無理なんだろうなぁ・・・。

いやはや、何ともはや。
ただ、こうして生きていくだけというのも、けっこう難しいものなのだ。
歳は取っても、醜男でも、これが 「私自身」 である事に違いはないのだが。


とは言え、せめて、気持ちだけでも旅に出たい。
だが、見知らぬ所で、出逢った他人は、私を一体どう見るだろうか? 

私は、出逢いをどう感じるのだろう?
挨拶ぐらいは、まともにできるのだろうか?

考えてみると、何か、どんどんと自信が無くなっていく。 
旅費のあるなしに関わらず、
出かける以前に、もうこれでは、いささか不安を感じてしまう。


そう言えば、最近はとんとご無沙汰しているが、未だに読んでいない
古本だが、何たらいう 「旅行記録集」 が、どこかに眠っているはずだ。


旅費なくて、古本読みて、旅思う。

旅行記の ページ開けば、ここにいて、場所も時間も、思いのままに。