80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

夢の跡、そして夢の先

2017年07月26日 08時17分41秒 | 考える
7月24日(月) 曇り

今日より71歳。

今日まで、何を夢見た?
今日から、何を夢見る?

/22(金)、/23(土)、過ぎ去った2日間、
「ちゃおちゃお祭り」の夢の跡。
広場は、今、からっぽ・・・。

そう言えば、もう夏休み。 

暑い!!

何か、脳みそが暑過ぎる、沸騰しそうだ・・・。

今からこれでは、先が思いやられる。 

7月25日(火) 晴れ
朝、目覚めに、買い置きのヨーグルトを食べる。
スプーンを使う右手の動きがぎこちない。 
肩から先に何となく違和感がある。
しびれとまでは言わないが、思い通りに動いてくれない。


もしかして・・・?!
 

半身不随の予感・・・!!


今日は、「土用の日」だとか。 

小学生が広場(?)のジャングルジムで遊んでいる。
ふと思う。
・・・夏休み・・・なんだ。


当方、行く当ても無し、金も無し。
戻る部屋には居場所無し。
戻る道すら見失う。

友も、女も、敵さえも無し。
他人に話せる夢も無し、また話す術も無い。
 

現在、気温29度C。

ふと、気が付いた。
昨日、満71歳の誕生日。
ということは、昨日から、すでに私は生後72年目を生きている。
 

一日遅れの誕生祝い・・・!!
スタバで 「いつものダークモカチップ・フラペチーノ」 を注文。 

意味があろうとあるまいと、私が71年間生きてきた、ずっと平穏
無事に生きてこれたことは事実。
周囲を見回しても、自分が思った以上に健康であることに感謝。


これほどまでに育ててくれた母に感謝。 

まぁ、医学的に見たら、それなりに、あちこちガタがきているのだ
ろうが、今の個人的感想が、私にとっては最重要だ。


これからも、私は、まだまだ、生きていく !!  

浅き夢見路 熟睡もせず

2017年07月23日 07時52分22秒 | 考える
浅き夢見路 熟睡もせず

3:10 ふと目が覚めて水を飲む。

それにしても、本が増えた。
このままでは、いつか本の重さで、床が抜け落ちてしまう。
まわりを見回して、そんなことを考える。

とは言え、考えてみれば、3時起きは、さすがに早すぎる。
外はまだ暗い。

3:46 再眠。


父親の夢を見た。
父と相撲を取っている。

そう言えば、私は、父と体をぶつけ合った記憶がない。
幼い頃は、小児麻痺を病んで、体が弱かったせいだろうか?

それはともかく、勝負はあっという間についた。
私の勝ちだった・・・。
しかし、あまりのあっけなさに、涙が出そうになる。
男親とは、常に強くあるべきなのだ。
倒れた父に手を伸ばしたところで、目が覚めた。


しかし、今頃、何故、父の夢なのだろう?



4:55 起き上がる。
窓の外、よく晴れた(?)朝だ。
目覚めに冷たい水を飲む。

この所、意図しない早起きが続く。
気持ちはいいが、体力的には、少々キツい。
今日もまた、出逢い=生きる道を求め、彷徨い歩くのだろう。

ふと思う。
私が子供と相撲を取る日は来ない。
明日、24日、風来居士 (孤児) は71歳になる。

黙々と時は去る、振り向けば、苦情がひとつ。

2017年07月12日 07時18分06秒 | 考える
晴れた空・・・。

体が、冷え切っている。 
気持ちも、どこか冷え冷えとしている。

体の奥底に、何やら、もぞもぞと うごめくものがある。

それが何かが、いまいち判然としない。 

現在、肩から上腕部にかけ、しびれて動きが鈍くなっている。
ひょっとして、脳障害の前触れかもしれない。
体の動きがコントロールできなくなる予感。 

急がねば・・・と思う。 
一体何を・・・。

一刻、そう、一刻の間だ・・・、箸をやめてスプーンを使ってみる。
白髪の一本が、音もなく皿の上に舞い落ちる。 

・・・急ぐ必要がある・・・!!
急がねばなるまい。

やがてくる「死」を思う。
少しでも、「生きてきた証」が欲しい!!  

総てに対して未練が残る。
「虚しさ」が、背中にべったりと張り付いている。
そんな気がする。

足元を見る奴。 
いい奴か、でなけりゃ悪い奴。(考えてみれば、ごく当たり前のことか・・・)
いい奴は足元を見て注意してくれる。
悪い奴は黙って足元をすくう。


いつまでも、私が、このままでいられるはずもなく、
どう変わっていくのかはともかく、いずれにせよ、確実に変わっていく。
・・・多分。

自分の足元は、自分で見て、ゆっくりと歩んでいきたい。
今後、躓いて転んだら、起き上がるのに苦労しそうだ。
  

苦情を一つ。 
先日 (でもないか) 、**市明るい**** 委員会 (バレバレ・・・!!) が、
市民啓発のため (?) だろう、広場で 「紙芝居」 をやっていた。 
残念なことに、観客はほとんどいない。

始まる前に、通りががりの人に一生懸命に声を掛けていたが、
足を止めてくれる人は、ほとんどいない。

結局、観客は、私と、親子連れの2組
椅子が出ているわけじゃないので、ベンチに腰掛けて見ている。

後々のためとは思うが、役員さん(?)が 「写真撮影」 を始めた。
後ろで見ている小さな女の子の前を塞ぐようになってしまっている。
私にも見えない。

広報課にとっては、たった2組とは言え、大切な観客だと思う。 
少々離れて見ていたので、気が付かなかっただけなのかも知れないが、
もう少し周囲への気配りが欲しいものだ。

あれでは、市民への啓発と言うよりは、単にCMの撮影ではないか。 

まっ、はっきり言って、単に気が付かっただけなのだろうが。

格好をつける

2017年07月11日 05時30分08秒 | 考える
先日、バスで、「座ってよ」と、席を譲られた。  

お見受けしたところ、明らかに私よりご年配の方だ。

もっとも、そんな風に感じているのは、こちらだけ、 ・・・(?)
他の、絶対多数の方々から見れば、私の方がずっと年寄り臭いのかも知れぬ。

いずれにせよ、自分はすぐに降りるつもりなので、席を譲られたのだと思い、
有り難く座らせていただいたのだが、その実、相手の方は、バスの前方に
移動して、結局、終点まで立ちっぱなしだった。


つまるところ、人は (私は)、外見もそうだが、仕草、顔つき、総てを含めた
ものが評価の対象となるのだということなのだろう。

そんなことを改めて考えさせられた。

大体、自分の外見、無意識の仕草などは、本人自体はなかなか気付きにくい
ものだ。 

実際、 「格好をつける」 ということは、本当はかなり困難なことなのだ。
多分、当人は普段から、そうと気付かず、「ふり」をしているつもりでいる。

人間同士の付き合いもまた、同じ事。
仲間とは、都合のいい時に利用するために、保存されたデータのようなものだ。

本当は、ただのデータに過ぎないと言い切ってしまいたいところたが、さすがに、
そこまでは、ちょっと・・・。
 

伝え合い・・・。

2017年07月08日 19時37分25秒 | 考える
会館で、顔見知りがいろいろと話をしている。
私はといえば、ひとつテーブルを離して座っている。 

このところ、難聴がひどくなってきたようで、
どうも会話をうまく聞き取れない。
 

とは言え、全く聞こえないわけでもないが、
実質、会話の流れの中に入っていけない。
で、対話となると、ちょっと引いてしまう。

テレパシー能力でもあればなぁ・・・、
そんなことを思うことがある。
が、よくよく考えてみれば、他人の聞きたくない思いまで
聞こえてくるようになると、これはちょっと考えものだ。


それはさておき、携帯電話とは、実に重宝な機械だ。 
いつでも、どこでも、遠くの知人と通話が出来る。

実際、皆さん、この私の前で、隣りで大きな声で話している。

しかし、よく考えてみると、あれほど不用心な情報交換もないだろう。
おそらく、慣れなのだろうが、もしも、私が悪意を持って、会話情報に
耳を澄ましている・・・、 
あるいは録音していたらどうなるのか?

たわむれに、あるいは、ただの思いつきでしゃべったたわいのない一言が、
何かの事件の証拠とされ、自身を追い詰める。
推理小説のパターンだが、そういった可能性だってあるのではないか?


今の人たちは、・・・私自身を含め、平和に慣れすぎているのではないか。
・・・そんな気がする。


おじいちゃん、馬鹿みたい!!   ・・・考えすぎぃ・・・!! 
まっ、そうかも・・・、  それが現実なのかも知れない。

他人が、何をどう見て、何を考えるか?
そんなことは分からない。
いずれにせよ、他人のことを、いちいち知ろうなどとは、傲慢なのかも
知れない。