懐かしい人には懐かしいと思うが、むかし路上観察学会というのがあった。赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊という人たちの名前が思い浮かぶ。トマソンとか。/彼らは建築が対象なので、必ずしも一致しないが、それでも路上を観察するという視点はずっと消えない。Ota-50の写真がまさにそうだが、路上や街中には、よく観察すると、フォトジェニックなもの、「芸術的」なものが、かなり存在する。夕暮れ時、特に夕焼けが出ていれば、期待が高まる。あとは、ほとんどの人が何も感じず素通りするが、自分はそこで「なにかを発見した」と認識できることと、人目を気にせず、その場で立ち止まれるかが大事。/Ota-50は、枝が大風に吹かれて高く舞い上り、偶然、公共物である電柱・電線に絡まった代物である。面白い点は、高い場所にあること。根なしのくせに枝ぶりがいいところ。蔦か?にしても大きくて元気すぎる。/この実物をそのまま美術館に持っていき、解説を設け、思想性や物語性を付し、ヘッドホンかサラウンドスピーカーからノイズミュージックでも聴こえてきたら、立派な芸術作品ではないか。美術館によく通っているひとであれば、この感覚はわかってもらえると思う。でも、枝はともかく、電柱や電線は普通、持ち運べない。いやいや、そもそも自分は芸術家でも何でもないので、美術館に何かを展示する権利も機会もない。ならば、自分の嗅覚を頼りに、「芸術的なもの」を探し、あるいは作り、作品風に洗練化し、勝手に「活動」してしまえばいい。アールブリュットは「勝手に芸術」を地で行っているから好き。/路上には、「展示物」があるわけでもないし、「作品」も一カ所に固まってはおらず、なんの意図も存在しない。ある日どこかに忽然と現れ、いつしか消えてしまうものも多い。ただ、自分の足で探し、発見する眼があれば、「路上美術展」も「作品」も、突如として目の前に立ち現れる。
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