しのの気まぐれ日記

(たぶん携帯から)つれづれなるままに書込みします。
ツッコミOK!!(カマン)
題or画像をクリックで元の大きさに。

神山覚兵衛

2013年06月13日 23時21分33秒 | 資料話?付
写真の函館製マッチは神山覚兵衛さん、後の玉林治右衛門さんという方が準窃盗犯の囚人として函館懲役場に入っている時に獄中で四年ぐらい掛かって作り出したんです。
で、この人の事を調べると江戸で杉田玄瑞の門に入って蘭学を学んだ、同門には大鳥圭介等。
ってなってたんですが、圭介はいったい江戸で幾つの塾に居たんでしょう。
江川さんの所と、坪井塾以外にも、横浜のヘボンさんの所で英語習ってたとか、色々な人のエピソードの端っこに出てくるのですが、何時なのかとか、詳しいソースとかが解らなくてモヤモヤします。
どなたかご存知な事があるましたら、教えていただけると嬉しいです。
因みに、このマッチは明治十一年に黒田が事業化を決定し、翌年函館マッチ製造所を設立。
玉林さんは十三年十月五日に減刑放免、翌日の六日付で開拓使函館支庁民事課雇兼製造所主任になってました。

『兼』の字に、つい圭介を思い浮かべてキュンとしたのは内緒です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鉄道一千里記念碑

2013年06月09日 13時16分25秒 | 資料話?付
北海道にある記念碑を調べてたら、釧路市にある鉄道一千里記念碑が田辺朔郎が建ててた。
北海道の鉄道が大正五年五月に延長一千里になったのを記念して、当時北海道庁鉄道部長だった朔郎が昭和二年に建てたらしいんですが、時間掛かりすぎじゃねぇ?
だって十一年も掛かってますよ。
そして昭和三十八年に解体移転になってたから、朔郎が建てたのとはまったく違うかもしれないけどね~。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三十二年五月五日発行『太陽』

2013年06月02日 14時45分34秒 | 資料話?付
圭介の『清国に対する古今感情の変遷』(東京学士会院講演)が載ってて安かったので買っちゃった。
PCで見れるの知ってても、本形状で見たいじゃないですか。
『古今』って言ってるだけあって古代中国からの変遷ですね!
なんとなく幕末頃からな気がしてたけど・・・。
あと、この文の中でルビっていうか、文の隣に点を打ってある箇所が一箇所だけあって、それが『天津条約』だったので、『釜さん!!』って、テンション上がった(笑)

しかし、この本で1番『おぉ』って思ったのは、『明治十二傑投票』(政治家、文学家、科学家、軍人、宗教家、教育家、法律家、医家、美術家、商業家、工業家、農業家)に続く『十二詩宗投票』に圭介が載ってた事です。
圭介が当時の人に『詩うめ~』って思われてたってことですか!!
だから軸とか頼まれてたって思ってもいいですかねぇ?
まあ、十二傑とか、十二詩宗とか言いながら五十票取った人は皆載ってるんですけどね。
圭介の部分見えますかね。


なお、『明治十二傑投票』に圭介は載ってませんでしたが(どれに載っていてもおかしくないと思い、全項目がっつり見たんですけどね…)、商業家には朔朗とイチスケが、農業家にはヤジと釜さんが載ってました。
勿論商業家の一位は栄一で、政治家の一位は伊藤なんですけどね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近代の洋装と毛織物

2013年05月02日 16時27分46秒 | 資料話?付
昨日、一宮市博物館に行ってきました。
そしたら、今日の新聞に大きく載ってて少し驚いてたら、父がそこに載ってる『楯の会』の軍服を見て『これも飾ってあった?』とか聞いて来た。
あー、明治より三島由紀夫なんだなって・・・。

まあ、それはおいといて、愛知の中でも繊維産業が盛んだった(比較的今でも盛ん)地域なので、衣装関係の展示をよく企画します。
去年は『火事と喧嘩は江戸の華 火事装束』って去年で、武家火消の火事装束だけでなく、武家女性の火事装束が展示されてて驚きました。

で、今年は『近代の洋装と毛織物 文明開化のコスチューム』って企画なので、行かねば!!と。
いや~、人が居ない居ない、私の他におじいちゃんが一人しかいませんでしたよ。
しかも、おじいちゃんには学芸員さんが付きっきりで解説していたので、なんか関係者なんだろうなぁって思います。
まあ、そんなですが、展示品はなかなか良かったです、入場料200円にしては。
ってことを除いてもナカナカ。
まあ、勅任官の大礼服はよく見るので感動するほどどはありませんが(侍医頭の岡元卿さんって、残念ながら存じ上げませんし)、有爵者大礼服三着は全部大倉喜八郎さんのでテンション上がりました。
流石に、ご自分で洋装のお店をお持ちなだけあって、なんかシュッっとしてるんですよね。
あと、宮内官大礼服もありました。
宮内庁の勅奏任官以外が着ていた大礼服は、普通の大礼服より上衣の丈が長いので、かなり華やかでした。
なんでも、宮内官大礼服を分けたのは伊藤の意向だったらしいです。
天皇さんの公私で分けた感じ。
あとは、海軍の喪服は地味派手でした。
あ、おじいちゃんを案内していた学芸員さんが、『みんなファスナー付いてなくて、ボタンとフックで留めてるんですよ~』ってわざわざ言ってたのが聞こえて、そりゃそーだろって思ったんですが、どうも展示の準備でマネキンに着せるのが凄く大変だったせいで、つい言っちゃったらしい。
可愛いな、お姉さん。

そういえば大礼服をよく見ると、勲章を差し込むっぽい黒い糸?が幾つも付いてるんですが、アレは勲章を貰うと自分で糸を付けるんでしょうか?
それとも洋装店に持ち込むとメンテナンスしてくれるんでしょうか?
圭介は?
って、ちょっと気になります。

まあ、そんな感じでしたが、どうも前期と後期に別れているようなので、今月末にもう一度行けたら行こうと思ってます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ま○だら寺、書画展示会

2013年05月01日 23時23分41秒 | 資料話?付
この季節にだけ、お祭りに合わせて所蔵の書画イロイロをランダムで展示するのです。
まあ、上は秀吉のですが、今回の目玉は個人的にはコッチ↓

この辺一帯を治める人は、この寺に領地の禁則事項を送るんですが、信忠君と三成君だと一番目に上げてる項目が違うな~って比べれる。
三成君のはもう兵士が来ること前提での第一項目ですが、信忠君のでそれに対応するのは第二項目の『殺生なき事』ですよね。
やっぱり、平和度とかの違いかなぁ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近のスマホのCMで見た

2012年12月12日 22時55分15秒 | 資料話?付
写真は慶喜公所用のカメラなんですが、このカメラ百年以上前の物なのに、レンズの所を左右に振るとパノラマ撮影が出来るんです。
最近のスマホのCMで、グルッと回って撮るパノラマ写真(まあ、あれは360°撮れるんだけどさ)を、思い浮かべちゃった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桂さんの絵

2012年12月11日 21時48分42秒 | 資料話?付
圭介目当てに司馬リョの本をかったのに、色々他の物に意識を引っ張られます。

写真は、中でもビビった桂さんの『大根図』です。
ついでに霊山にある『田舎大臣』も載っています。

うん、いつでも桂さんの絵には目を奪われます。

因みに、この『大根図』は維新後に幕末の労苦を忘れて堕落腐敗した明治政府のあり方を『大根の風味を忘れたか』と批判しているそうなんですが。
・・・大根の風味?

そして、大根図なので、右側は大根でしょうが。
左側は何だろう?
鍋物繋がりで白菜とか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

圭介の肖像画

2012年03月17日 23時59分59秒 | 資料話?付
今月の6日のサイト開業記念日にUPしようとしてたネタが、行き詰ったので日記で書いちゃおうと思った。
サイト開業日はいまだに圭介色を濃くしようとしている私がいます。


クララの日記の1879年1月15日に
『閣下は工学寮のイタリア人教授フォンタネージ氏に油絵の肖像画を描いてもらっておられる』ってなってたので、圭介の油絵の肖像画が!!って思ったんですよ。
でも、1879年1月15日ってフォンタネージ先生、もうイタリアに帰っちゃってるよ!!
どこのフォンタネージ先生に描いてもらっているんですか?って思ったけど、順当に考えると可能性が高いのは以下の2つかなって。

①クララが日記に書いた年が違う、もしくは違う年に聞いたことを書いた。
②他の工部美術学校のイタリア人教師が描いてるのを聞いて、フォンタネージ先生と勘違いして書いた。

②番の場合だと、可能性が高いのはフェレッティかな。
 1879年1月15日は、フォンタネージ先生帰国後で、サン・ジョヴァンニの来日前だし。
 イタリアにはフェレッティの描いた肖像画も何点か残っているので(圭介のじゃないけどね)、肖像画も描く人ではあるっぽいので。

と、ここまでは推測できても、フォンタネージ先生もフェレッティ先生も遺品はイタリアなので調べに行くのも無理だしな~、ってことで行き詰った。
むしろ、ラグーザ先生の大鳥圭介像のように多摩美とかが持ってないかな…。

フェレッティ先生は、日本での評価が低くて(例の退学事件のせいで)、あんまり研究がなされていないので、作品の情報が出てこないんですよ。
後年、イタリアでデッサン師範の免許も取れてるし、工部美術学校の教師としては理想的なんじゃないかなと思うんですけどね。
あくまでも工部美術学校は芸術家を育てるために作られた訳ではなく、『百工の補助』の為の学校なんだし。

って訳で、大鳥圭介肖像画の情報がありましたらお待ちしております
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第2回明治塾も4回目

2011年09月18日 00時03分33秒 | 資料話?付
今回の明治塾のテーマは『人類の為に生きた青山士』
講師は高橋裕先生。
私は、今回の明治塾はコレが受けたくて応募したようなものなので、来れて良かった。
前回は仕事の関係上どうしても来れなくて(泣)
だって前回は『七代目小川治兵衛 近代庭園の先覚者』だったんですよ!!
絶対ガタが出たはずなのに(T-T)

まあそれは置いておいて、今回駐車場に来たら、なんか車が少ない?
でも良く考えたら台風で雨降ってるんだから、もの好きしか来ないよな・・・。
しかし、高橋先生の講義は面白かった。
しかも、青山士本人から聞いた話しとか出て来るんだもんよ(゜o゜)
青山士が立てた碑にエスペラント語が刻んであるから『エスペラント語出来るんですか?』って聞いたら。
『今更一つの言語を覚えるのは面倒くさい、碑文のエスペラント語は東大の山口昇先生に訳してもらった。』んだそうですよ。
え、出来ないんかい!!って、正直思った(笑)
後、終戦後はアメリカのデモクラシーについての本を大量に読んでたとか。
本棚みたら、内村鑑三全集やシュバイツァー全集があったとか(本棚覚えられるのは少し恥ずかしいのは私だけですか?)。
『講演会で荒川放水路を作るのは、巡洋艦を一隻作るより安い』って言ったせいで軍に睨まれたとか。
そんな話しをしたことを話してくれました。
あ、そういえば、講義に入る前にDVDを見たんですが、それが『民衆のために生きた土木技術者たち』で、コレ『日本の近代土木を築いた人びと』と同じ監督で大成建設が作った作品なんですよ。
・・・全部見たかった。
主役が三人出て来て、最初が青山士なので、最初の20分くらいだけの上映だったんですよね。
最後は八田ヨイチなので、身もだえしそうでした。
あ、八田ヨイチと言えば、今年台湾に八田ヨイチの公園が出来たそうですよ。
やっぱり台南も行ってみたいなぁ。
後、パナマ運河博物館には『青山士コーナー』があるそうです。

あ、高橋先生は、凄く青山士ファンなんだなってのが、今回の講義では伝わってきました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明治塾

2011年06月30日 04時35分26秒 | 資料話?付
今回の明治塾は『夜会服でお出かけ下さい』って題でした。
美子陛下のイブニングドレスの写真にポーってなっちゃったよ(笑)
ビコーのイラストが多かったのは写実的な史料が少ないんだろうなぁって思ったけど、最後の質問の時間で欧米の習慣を知ってるか知ってないかの違いは大きいのかもって、単に見てるだけじゃあ気付かなかったイラストを見て、他の絵も要確認だと・・・。
と言うのも、女性の礼装でローブデコルテってあるじゃないですか。
正式な夜会にはローブデコルテを着なきゃいけないんですが、ビコーの描いたイラストは欧米人らしい人はローブデコルテを、日本人はローブモンタントを着ていたりしていました。
ローブモンタント(ローブデコルテのハイネックバージョンのやつ)はお昼のパーティーの時に着られていた服なのですが、欧米ではそうそうに着られなくなったそうです。
多分、当時の日本人には胸元が大きく開いたローブデコルテは抵抗があったんだろうなって、日本人なら思うけど、外国の方からしたら笑いの元なんだろうなぁ。
しかも、イラストを見ても日本人にはイヤミのポイントが分からなかったろうし。
上手い表現だなあと思う。
だって、今回の講師だった方も、この質問タイムでのやり取りするまで、その状態に気付いて無かったっぽいし、気付けないよなぁって思うもん。

今回の内容で私的ヒットは、鹿鳴館の一階には喫茶室や娯楽室があって、メニューには、トリュフ添えの肉類とか、サンドイッチ、アイスクリーム、最高級のシャンパンとかがあったらしい。
鹿鳴館のSSを書く気になったら喫茶室デートはガチだと思う!!

あと、やっぱり戸田さんや捨松さんは、褒められてるとか。
多分、他の日本人のドレス姿が酷評されているのは、下着に注意がされてなかったので、ちゃんと着こなせていなかったとかも『おぉ!!』って思ったよ。

あと、嬉しかったのが、教室の後に明治村所蔵の浮世絵を結構な枚数、生で、凄い間近で見れた事!!良い!!綺麗だった!!
あぁ、でも次回の明治塾には出席できなさそうなんだよな、休みの調整が出来なかったです。
自動車関連会社に勤めているので7~9月は木金休みに変更になったんですよね。
でも9月の明治塾には必ず行く気ですけどね、だってテーマが『青山士』なんだも~ん。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする