しのの気まぐれ日記

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建築が語るもう一つの明治

2008年08月18日 22時59分11秒 | Weblog
今日の『建築が語るもう一つの明治』の前半は、片山東熊の特集だった!!
琵琶湖疏水のポンプ室とかも出て来たよ。
ただね、藤森先生は悪くないんです、テレビ局が悪いんですが『奇兵隊出身』って書く所を『騎兵隊出身』って書いてた・・・。
片山の説明で工部大学校と金吾と曽禰が出て来た!!
ただ、東熊の造った赤坂離宮を明治さんが『贅沢だ』って言ったせいで、皇太子に住んでもらえなくて、ショックで寝込んで伏せがちになって二年後に亡くなったってエピソードで纏めて、可哀相な感じで終わっちゃってた。
私は、東熊は西洋建築の丸真似ってより、純粋に好きになったものを自分の中で1番美しく設計したように思うんですがね。
個人的には東熊が自分の住む所は中古で手に入れて、改装が終わると次の家に移るってことを繰り返してた事とかも、やって欲しかったかも。
今、赤坂離宮つーか迎賓館改装予定なんですね、安藤忠雄が設計って・・・、安藤忠雄の設計は嫌いじゃないけど、迎賓館には向かないと思うんですけどね・・・。

そして、後半は伊東忠太だったんですが。
導入部が西南戦争で、ガタが西郷さんに出した、泣いちゃうよ~(・_・、)なお手紙の現物が出て来た!!必要かコレ?
後半は忠太に行くまでが長かったです。
銀座煉瓦街と官庁街も途中で入ったんですが、いきなりコンドル先生だったよ、ウォートルスとかは無視なんだ。
まぁ、解説の先生達が東大の先生ばかりだったし、仕方ないか。
鹿鳴館の階段とか出て来たよ!!倉庫みたいな所に仕舞ってあった。
煉瓦街の話題で居住性は良くないって言ってるんですが、作り方に問題があることは、丸無視ですか?
アレ早く作り過ぎなんですよね。
日本建築だって、シックイとか完全に乾くまでほって置くでしょ、煉瓦だってちゃんと積み上げの時に乾かさなくちゃいけないのに、チャッチャとやり過ぎです。

で、忠太ですが、パパへのお手紙に書いた便秘の悩みや金の無心。
日記に書いた、金吾に褒められた(^0^)/、や、女の子と抱き合っちゃった(^o^)v、ってのまで暴露されてた(笑)
つーか、忠太の日記めっちゃあるかんじでした。
しかも学生時代も毎日書いてるから、先生の金吾とかコンドル先生とかも出てきそうな雰囲気なんですよね、見たいな~。

平安神宮を造ったのは忠太なんですよね、凄いけど、もしかしたら建築の学校を出てないと寺社建築に携われないってことなのかもしれないなぁって。
棟梁達の技術がなけりゃ西洋被れの建築家達だって何もできなかっただろうに・・・。

あ、ガタの古希庵と明治神宮も出てきた~。
そういやアレ忠太だっけ。
だから古希庵の庭の置物、変てこなヤツだったんだな。
忠太は自分で考えた化け物や妖怪好きだもんな。

忠太の葬式って築地本願寺でやってるんだ!!
自分で造った建築で葬式って建築家冥利に尽きますね。
コメント (2)
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