しのの気まぐれ日記

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会津旅行(27日_AM)

2009年03月05日 00時19分52秒 | 旅行記
半分くらい書いた時点で、記事が消えました。
ブログのせいじゃありません、私がミスりました…(たまには正直に)。
まあ、気を取り直して、でも箇条書きで終わってしまおうと決意した。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

ルートはこんな感じ。
名古屋⇒(深夜高速バス)⇒東京⇒(新幹線はやぶさ)⇒郡山⇒(高速バス)⇒会津若松
遠いね…

会津への到着時刻はだいたい9時半頃だったかな?
まずは白虎隊記念館へ!!
では記念館でのツッコミ所を箇条書きに!!

・健次郎の手紙の字は今でもこんな感じの字を書く人いそうな字だった。
・柴四郎の写真の名前が手書きで修正されていた、修正前は一体どんな文字が書かれていたというのだ?
・健次郎の書は殿の書の隣に置いてもらってるのに浩の書は離されている(危険だから?)
・容保公の書はホノボノ「大路ゆく車の音も霞むなり 都の春の花の匂ひに。容保」
・健次郎の書は無難なのを置いてあるな「山家月。旋野つから心にかかる雲もなし月静かなる峰のかくれ家。修長」
・山川のは白川の歌「那須山の高嶺に雪の降りしより 万須〱寒し白河の里」
・釜さんの額は頼まれて書いたっぽい
・慶喜公の歌は日向内記の刀に邪魔されて読みにくい、あの位置に置いてあるのはワザト?
・具視ちゃんの写真には一緒に500円札も飾ってある、まあ500円ぐらいなら飾ってもね。
・木戸さんの名前の「木戸孝允」の『允』の字は手書きで修正。
・ガタの書は斉彬様の書の隣に置かれていたよ「堤ふく風夕たちて隅田川 かもめもさわく花の下かげ。有朋」
・そしてガタの写真は黒田と中村半次郎の写真に挟まれていた。長州人の間より薩摩人の間の方が平和だからですか?
・板垣メイン扱いの集合写真の谷(干城)さんはめっちゃ可愛い!!とても32歳には思えないんですけど!!
・山川大蔵と神保修理の胸像は並んでおかれているのに、なぜあんなに身長差をつける必要があるのか(胸像なのに)?
・そして山川の胸像のモデルは誰?ってくらいな別人度。
・2Fに徳富蘇峰コーナーみたいなところがあった、来館したこともあるらしい。
・いつも思うが蘇峰って、(どの時代でも)ずっといる感じ。
・圭介のは額と歌があったが「来援の幕将 大鳥圭介」って書かれた字は手書きだった。
・幕将と入れようとすると「爆笑」と変換されるのは圭介クオリティ。
・額『「治國如○小鮮」如楓生。明治11年冬月頁需書於碧雲』
・歌「朝顔。百千のあさ顔の花咲きにけり とく起きて見よ露のひぬまに。如楓」
・圭介がそういうなら、今年の夏は朝顔の観察日記でも書いてみるか(たぶんやらないと思うけど、言ってみた)。
・で、圭介額の上にガタの写真と歌があった。「夕日かげ清水寺にさしかかり 時雨横きる影の中山。有朋」
・山川の小松獅子の絵もあった。もっとエキサイティングな舞だったに違いないと思ってしまう、だって「小松獅子団9人の平均年齢は14歳」なんだよ(いや、それどころじゃないかもしらんが)。
・松平13代の御当主の写真を見たら本当に松平の顔をしていた、遺伝ってすごいな…。
・そうそう2Fでは紙芝居風アニメを上映。
・容保様はもうちょっと力を入れて描いても良いと思うんだ。
・アニメには圭介も一瞬出てくるよ。
コメント
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