しのの気まぐれ日記

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圭介の肖像画

2012年03月17日 23時59分59秒 | 資料話?付
今月の6日のサイト開業記念日にUPしようとしてたネタが、行き詰ったので日記で書いちゃおうと思った。
サイト開業日はいまだに圭介色を濃くしようとしている私がいます。


クララの日記の1879年1月15日に
『閣下は工学寮のイタリア人教授フォンタネージ氏に油絵の肖像画を描いてもらっておられる』ってなってたので、圭介の油絵の肖像画が!!って思ったんですよ。
でも、1879年1月15日ってフォンタネージ先生、もうイタリアに帰っちゃってるよ!!
どこのフォンタネージ先生に描いてもらっているんですか?って思ったけど、順当に考えると可能性が高いのは以下の2つかなって。

①クララが日記に書いた年が違う、もしくは違う年に聞いたことを書いた。
②他の工部美術学校のイタリア人教師が描いてるのを聞いて、フォンタネージ先生と勘違いして書いた。

②番の場合だと、可能性が高いのはフェレッティかな。
 1879年1月15日は、フォンタネージ先生帰国後で、サン・ジョヴァンニの来日前だし。
 イタリアにはフェレッティの描いた肖像画も何点か残っているので(圭介のじゃないけどね)、肖像画も描く人ではあるっぽいので。

と、ここまでは推測できても、フォンタネージ先生もフェレッティ先生も遺品はイタリアなので調べに行くのも無理だしな~、ってことで行き詰った。
むしろ、ラグーザ先生の大鳥圭介像のように多摩美とかが持ってないかな…。

フェレッティ先生は、日本での評価が低くて(例の退学事件のせいで)、あんまり研究がなされていないので、作品の情報が出てこないんですよ。
後年、イタリアでデッサン師範の免許も取れてるし、工部美術学校の教師としては理想的なんじゃないかなと思うんですけどね。
あくまでも工部美術学校は芸術家を育てるために作られた訳ではなく、『百工の補助』の為の学校なんだし。

って訳で、大鳥圭介肖像画の情報がありましたらお待ちしております
コメント
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