写真の函館製マッチは神山覚兵衛さん、後の玉林治右衛門さんという方が準窃盗犯の囚人として函館懲役場に入っている時に獄中で四年ぐらい掛かって作り出したんです。
で、この人の事を調べると江戸で杉田玄瑞の門に入って蘭学を学んだ、同門には大鳥圭介等。
ってなってたんですが、圭介はいったい江戸で幾つの塾に居たんでしょう。
江川さんの所と、坪井塾以外にも、横浜のヘボンさんの所で英語習ってたとか、色々な人のエピソードの端っこに出てくるのですが、何時なのかとか、詳しいソースとかが解らなくてモヤモヤします。
どなたかご存知な事があるましたら、教えていただけると嬉しいです。
因みに、このマッチは明治十一年に黒田が事業化を決定し、翌年函館マッチ製造所を設立。
玉林さんは十三年十月五日に減刑放免、翌日の六日付で開拓使函館支庁民事課雇兼製造所主任になってました。
『兼』の字に、つい圭介を思い浮かべてキュンとしたのは内緒です。
で、この人の事を調べると江戸で杉田玄瑞の門に入って蘭学を学んだ、同門には大鳥圭介等。
ってなってたんですが、圭介はいったい江戸で幾つの塾に居たんでしょう。
江川さんの所と、坪井塾以外にも、横浜のヘボンさんの所で英語習ってたとか、色々な人のエピソードの端っこに出てくるのですが、何時なのかとか、詳しいソースとかが解らなくてモヤモヤします。
どなたかご存知な事があるましたら、教えていただけると嬉しいです。
因みに、このマッチは明治十一年に黒田が事業化を決定し、翌年函館マッチ製造所を設立。
玉林さんは十三年十月五日に減刑放免、翌日の六日付で開拓使函館支庁民事課雇兼製造所主任になってました。
『兼』の字に、つい圭介を思い浮かべてキュンとしたのは内緒です。