2010年、君はこの家にやって来た。
電車の中で猫を連れている人がいて、Aさんが話しかけた。それがきっかけだった。
君は生まれて間もない迷い猫で、Mさんが保護、故郷の知り合いに引き渡しに行くため新幹線に乗るところだった。けれどその知り合いは『宅急便で猫を送ってください』と言うような人だと。『そんなところに貰われて行っても幸せになれない、よかったらこの子を引き取って貰えませんか』と。
Aさんから連絡を受けた時、私はたまたま外出していた。自宅にいたら多分、出かけるのを断っていたと思う。
東京駅でMさんAさんと落ち合った。一目見て、Mさんが信用できる人だと判った。
君は生後1.5か月、500g。お目目が半分塞がり、鶏ガラのように痩せこけていた。
正直に言うと、引き取るのは半分義務みたいなものだった。判りました、大事に育て最後まで面倒見ますねとMさんに伝え、君を引き取った。Mさんは泣いていたよ。2-3日君と一緒にいて、情が移っていたんだ。
君は小さく瘦せこけていた。手のひらに乗る大きさだった。私が連れて来たから私が面倒みるね、とAさんがリビングで何日か添い寝して君の面倒をみた。Aさんに踏みつぶされやしないか私は不安だった。Aさんが寝返りを打っても大丈夫なぐらいに早く大きくなればいいのに、と思ったことを覚えているよ。
獣医さんで診てもらったところ、君は白血病ウィルスのキャリアだと判明した。陽性だった。3年で発症する可能性大。発症したとして、症状は腹痛、貧血、白血病、口内炎、免疫低下。君はインターフェロン療法を何度か受け、無事陰性に転じた。
君はすくすくと大きくなっていった。
私は君が鳴くと、コアラみたいにパーカーの懐に入れて運んだっけ。大きくなっても時々そうしたね。
本当のことを言うとね。私は君のことを、同じ年の春に家出して帰ってこなかった「ちる」の生まれ変わりなんじゃないかと思ったんだ。ちるが3月に家出して、君が8月にこの家に来た。同じ茶トラで、やることなすことよく似ていたからね。君のことを、ちるだと思って可愛がってやろうと思った。だけど君は「ちる」じゃなく、「ちゃび」だった。
2016年。先住猫の「にゃら」が亡くなった。君は寂しそうにしていた。相棒の「さく」を迎え入れることにした。
あの時君はさくにマウンティングをしたね。さくはひどく怯えた声を出した。私は君のことを怒ってしまった。後にも先にも、君のことをあんなに怒ったのはあの時だけだった。君はすぐにやめたけど、あれで君とさくとの関係が決まってしまったような気がする。
皆の関心がさくに集まったこともあり、君は次第に声が出なくなった。何度か嘔吐するような素振りをみせ、食欲が落ちて、やっと私は君の異変に気付いた。それからはご飯でも声掛けでも、とにかく君を優先、君に気を配るようにした。君はきっと君に向けられた愛情がなくなったように感じ、(ぼくは一体どうなるんだろう)と不安だったんだよね。君が普通の状態に戻るまで暫くかかったっけ。
君が好きだったこと、よくしたこと。
トイレのふたの上に乗って、タンクから出る水を飲むこと。
洗面台の蛇口から水を飲むこと。
毛玉や小物などを前脚でちょいちょいと蹴って遊ぶこと。
抱っこされること。抱っこされると安心してすぐに寝たね。
グリルで魚を焼くと、台所に来て伸びあがって匂いを嗅ごうとしたこと。
台所の引き出しを開けると、かつお節を貰えると思って来たこと。
君が怖がったこと。
雷、地震、花火。
どれもこれもちょっと音が聞こえただけで怖がって、押し入れによじ登っては奥で息を潜めていたね。仕事をしていて夕立になり雷が鳴ると、君のことが心配になったよ。夏祭りの花火などは長く続くから、君にとっては怖い時間だったよね。ドライヤーも三線も、苦手だった。
手帳を見たら私は2017年に「ちゃびは大切な存在」、2019年に「ちゃびは神さまからの贈り物」と書いていたよ。もっとずっと前からそう思っていたように思うんだけど、どうなんだろう。土日の午後を君と陽だまりの中で過ごしたくて、外へ出かけることは少なくなっていったよ。君はいつの間にか、私のお宝ちゃんになっていたんだ。
2020年、君は腎臓の数値が悪いことがわかった。自宅で点滴をする日々が始まった。
2021年、君は何度も何度もトイレに行くようになった。膀胱炎との見立てで抗生剤を飲んだけど治らなかった。君は癌を発症していた。変異した部分だけを取り去ることができず、膀胱を全摘した。大手術だったのに君は耐えてくれ、家に帰ってきてくれた。尿をためておくことができないからおむつをすることになったね。
それでもね。点滴をしていさえすれば小康状態を保って、もっと一緒にいられるかもしれないと思っていたよ。でも癌が転移するのは早かった。膀胱全摘手術から半年、桜が咲く前に君は旅立ってしまった。
君が病気になったのは壁紙リフォームのせいかもしれない。全ての部屋の壁紙を貼りかえるのに半年かかった。カビが生えている箇所は防カビ剤を使い、接着剤、有機溶剤、色々な薬剤を使ったと思う。『作業している間は猫ちゃんは部屋の外に出さないでください』と言われそれに従ったけど、残留した薬剤を吸ったり、脚に付着した薬剤を舐めたこともあったかもしれない。リフォームが始まってすぐ、君は一度食欲がなくなっている。リフォームが終わった後、君は嘔吐した。それまで君は嘔吐することなどなかった。
君を失った原因は、或いは私のせいだったかもしれないと思うと居たたまれない。当時はこんなことになるとはこれっぽっちも思っていなかった。それどころか家中綺麗になって嬉しかった。この家に住んで20年。壁紙はあちこちボロボロだった。あの時しなくても、遅かれ早かれ壁紙を替えることになったと思う。自分を責めてみても、君はもう戻ってこない。
ちゃびしゃん。君との毎日は温かくて穏やかで楽しくて幸せだった。ありがとう。そしてごめんね。涙が乾くまでもう少しかかりそうだよ。
後で気づいたよ。「ちる」が家出したのが3/13。君が旅立ったのが3/14。君とちるは、やっぱりどこかで繋がっていたのかな。
電車の中で猫を連れている人がいて、Aさんが話しかけた。それがきっかけだった。
君は生まれて間もない迷い猫で、Mさんが保護、故郷の知り合いに引き渡しに行くため新幹線に乗るところだった。けれどその知り合いは『宅急便で猫を送ってください』と言うような人だと。『そんなところに貰われて行っても幸せになれない、よかったらこの子を引き取って貰えませんか』と。
Aさんから連絡を受けた時、私はたまたま外出していた。自宅にいたら多分、出かけるのを断っていたと思う。
東京駅でMさんAさんと落ち合った。一目見て、Mさんが信用できる人だと判った。
君は生後1.5か月、500g。お目目が半分塞がり、鶏ガラのように痩せこけていた。
正直に言うと、引き取るのは半分義務みたいなものだった。判りました、大事に育て最後まで面倒見ますねとMさんに伝え、君を引き取った。Mさんは泣いていたよ。2-3日君と一緒にいて、情が移っていたんだ。
君は小さく瘦せこけていた。手のひらに乗る大きさだった。私が連れて来たから私が面倒みるね、とAさんがリビングで何日か添い寝して君の面倒をみた。Aさんに踏みつぶされやしないか私は不安だった。Aさんが寝返りを打っても大丈夫なぐらいに早く大きくなればいいのに、と思ったことを覚えているよ。
獣医さんで診てもらったところ、君は白血病ウィルスのキャリアだと判明した。陽性だった。3年で発症する可能性大。発症したとして、症状は腹痛、貧血、白血病、口内炎、免疫低下。君はインターフェロン療法を何度か受け、無事陰性に転じた。
君はすくすくと大きくなっていった。
私は君が鳴くと、コアラみたいにパーカーの懐に入れて運んだっけ。大きくなっても時々そうしたね。
本当のことを言うとね。私は君のことを、同じ年の春に家出して帰ってこなかった「ちる」の生まれ変わりなんじゃないかと思ったんだ。ちるが3月に家出して、君が8月にこの家に来た。同じ茶トラで、やることなすことよく似ていたからね。君のことを、ちるだと思って可愛がってやろうと思った。だけど君は「ちる」じゃなく、「ちゃび」だった。
2016年。先住猫の「にゃら」が亡くなった。君は寂しそうにしていた。相棒の「さく」を迎え入れることにした。
あの時君はさくにマウンティングをしたね。さくはひどく怯えた声を出した。私は君のことを怒ってしまった。後にも先にも、君のことをあんなに怒ったのはあの時だけだった。君はすぐにやめたけど、あれで君とさくとの関係が決まってしまったような気がする。
皆の関心がさくに集まったこともあり、君は次第に声が出なくなった。何度か嘔吐するような素振りをみせ、食欲が落ちて、やっと私は君の異変に気付いた。それからはご飯でも声掛けでも、とにかく君を優先、君に気を配るようにした。君はきっと君に向けられた愛情がなくなったように感じ、(ぼくは一体どうなるんだろう)と不安だったんだよね。君が普通の状態に戻るまで暫くかかったっけ。
君が好きだったこと、よくしたこと。
トイレのふたの上に乗って、タンクから出る水を飲むこと。
洗面台の蛇口から水を飲むこと。
毛玉や小物などを前脚でちょいちょいと蹴って遊ぶこと。
抱っこされること。抱っこされると安心してすぐに寝たね。
グリルで魚を焼くと、台所に来て伸びあがって匂いを嗅ごうとしたこと。
台所の引き出しを開けると、かつお節を貰えると思って来たこと。
君が怖がったこと。
雷、地震、花火。
どれもこれもちょっと音が聞こえただけで怖がって、押し入れによじ登っては奥で息を潜めていたね。仕事をしていて夕立になり雷が鳴ると、君のことが心配になったよ。夏祭りの花火などは長く続くから、君にとっては怖い時間だったよね。ドライヤーも三線も、苦手だった。
手帳を見たら私は2017年に「ちゃびは大切な存在」、2019年に「ちゃびは神さまからの贈り物」と書いていたよ。もっとずっと前からそう思っていたように思うんだけど、どうなんだろう。土日の午後を君と陽だまりの中で過ごしたくて、外へ出かけることは少なくなっていったよ。君はいつの間にか、私のお宝ちゃんになっていたんだ。
2020年、君は腎臓の数値が悪いことがわかった。自宅で点滴をする日々が始まった。
2021年、君は何度も何度もトイレに行くようになった。膀胱炎との見立てで抗生剤を飲んだけど治らなかった。君は癌を発症していた。変異した部分だけを取り去ることができず、膀胱を全摘した。大手術だったのに君は耐えてくれ、家に帰ってきてくれた。尿をためておくことができないからおむつをすることになったね。
それでもね。点滴をしていさえすれば小康状態を保って、もっと一緒にいられるかもしれないと思っていたよ。でも癌が転移するのは早かった。膀胱全摘手術から半年、桜が咲く前に君は旅立ってしまった。
君が病気になったのは壁紙リフォームのせいかもしれない。全ての部屋の壁紙を貼りかえるのに半年かかった。カビが生えている箇所は防カビ剤を使い、接着剤、有機溶剤、色々な薬剤を使ったと思う。『作業している間は猫ちゃんは部屋の外に出さないでください』と言われそれに従ったけど、残留した薬剤を吸ったり、脚に付着した薬剤を舐めたこともあったかもしれない。リフォームが始まってすぐ、君は一度食欲がなくなっている。リフォームが終わった後、君は嘔吐した。それまで君は嘔吐することなどなかった。
君を失った原因は、或いは私のせいだったかもしれないと思うと居たたまれない。当時はこんなことになるとはこれっぽっちも思っていなかった。それどころか家中綺麗になって嬉しかった。この家に住んで20年。壁紙はあちこちボロボロだった。あの時しなくても、遅かれ早かれ壁紙を替えることになったと思う。自分を責めてみても、君はもう戻ってこない。
ちゃびしゃん。君との毎日は温かくて穏やかで楽しくて幸せだった。ありがとう。そしてごめんね。涙が乾くまでもう少しかかりそうだよ。
後で気づいたよ。「ちる」が家出したのが3/13。君が旅立ったのが3/14。君とちるは、やっぱりどこかで繋がっていたのかな。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます