ちゃびの闘病生活は約1年半ほど続きました。
2020/11 腎不全と診断される。自宅での皮下点滴を始める。週2回
2021/9 移行上皮癌により膀胱全摘、おむつに。1日3回交換
2021/10 皮下点滴を毎日に
2021/12 歯槽膿漏その他で食べられず、経鼻チューブ設置。1日4回ミルク投与開始
おむつを替えたと思ったらあっという間にミルクの時間がやってきます。
点滴のため、夜は寄り道をせず早く帰宅し、時間を決めて食事を切り上げます。
子どもの面倒を見るにあたっては、「子どもが成長する」という希望がありますが、介護にはそれがありません。介護の終わりは、命の終わりです。
(いつまでこんなことが続くんだろう)と思う時もありました。
2022/2、腹部に異物ができました。検査の結果、腫瘍転移でした。もって1-2か月と余命宣告されました。
それまでは週末が待ち遠しかったですが、1日1日をだいじに過ごさなくては、と思うようになりました。
人間と比較して、犬猫の一生は短い。
人間の1週間が、犬猫には1か月以上に値する。
そう思うと、1日たりともおろそかにしたくありませんでした。
朝家を出る前、5分だけでも抱っこするようにしました。
夕食後、できるだけ抱っこして過ごすようにしました。
時間が経つにつれ段々と食欲が落ち、それとともに体重も減っていきました。
病気前は5.4kgだったのが、3kg近くになりました。
療法食などとうに食べず、とにかく食べてくれるものをと猫缶を開けても、食べて小さじ何杯か。何とかミルクで命を繋いでいました。
気持ちの落としどころが見つからない毎日でした。
自分の気持ちを保つために、Webで言葉を拾い集めました。
たくさんのちゃびの動画と静止画を撮りました。
だいすきだよ、と声掛けしました。
ちゃびの命が終わった後も、私の人生は続いていきます。
私はいつか、暫くしていない外食をし、三線を弾き、買い物に出かけ、両親に会いに故郷に帰り、島旅をする。それは私の望みでもあり、限界でもありました。
「にゃら」の時もそうでしたが、猫は体調が悪くなるとあっという間です。
というより、最後の最後まで体調が悪いところを見せないのかもしれません。
亡くなる数日前、激しく数回嘔吐をしたあと、一切食べなくなりました。
水も飲まなくなりました。水飲み場の前に行くのですが、水を飲まずに長いことぼーっと座っているのです。
人間も動物も、食べない飲まないから死ぬのではない。死が近いから食べなくなり、飲まなくなるのだ。死に近い存在に、攻めの治療はかえって苦痛をもたらす。私にはこの説が自然に思えました。
(そうしようと思えばできるのに)点滴とミルクをやめると決断するのは結構辛いものでした。しかしちゃびが自分から水を飲まない以上、自然と体が枯れていくのを待つことにしました。
最期、ちゃびはよろよろと歩いて倒れ、床に突っ伏したかと思うと、足を突っ張りました。
抱き起こすと、瞳が光を失ってビー玉のようになっています。
目を見開き、ゆっくりと口を開ける・閉じるを繰り返します。息が吸えないのでしょうか。
それを何度か繰り返した後、心臓が止まりました。
抱っこしながら大好きだよと声をかける以外に、私たちにできることはありませんでした。
体重は2.5kgを切っていました。
ちゃびの最期を看取るのが、私はずっと怖かった。
腎不全の最期は痙攣することがあると聞いていました。
苦しむちゃびを見たくなかったのです。
そういう意味では、比較的穏やかな最期だったかと思います。
いつかこの喪失感が癒え、ちゃびの可愛かった記憶と楽しかった思い出に純粋に感謝できる日が来るのを待ちます。
2020/11 腎不全と診断される。自宅での皮下点滴を始める。週2回
2021/9 移行上皮癌により膀胱全摘、おむつに。1日3回交換
2021/10 皮下点滴を毎日に
2021/12 歯槽膿漏その他で食べられず、経鼻チューブ設置。1日4回ミルク投与開始
おむつを替えたと思ったらあっという間にミルクの時間がやってきます。
点滴のため、夜は寄り道をせず早く帰宅し、時間を決めて食事を切り上げます。
子どもの面倒を見るにあたっては、「子どもが成長する」という希望がありますが、介護にはそれがありません。介護の終わりは、命の終わりです。
(いつまでこんなことが続くんだろう)と思う時もありました。
2022/2、腹部に異物ができました。検査の結果、腫瘍転移でした。もって1-2か月と余命宣告されました。
それまでは週末が待ち遠しかったですが、1日1日をだいじに過ごさなくては、と思うようになりました。
人間と比較して、犬猫の一生は短い。
人間の1週間が、犬猫には1か月以上に値する。
そう思うと、1日たりともおろそかにしたくありませんでした。
朝家を出る前、5分だけでも抱っこするようにしました。
夕食後、できるだけ抱っこして過ごすようにしました。
時間が経つにつれ段々と食欲が落ち、それとともに体重も減っていきました。
病気前は5.4kgだったのが、3kg近くになりました。
療法食などとうに食べず、とにかく食べてくれるものをと猫缶を開けても、食べて小さじ何杯か。何とかミルクで命を繋いでいました。
気持ちの落としどころが見つからない毎日でした。
自分の気持ちを保つために、Webで言葉を拾い集めました。
たくさんのちゃびの動画と静止画を撮りました。
だいすきだよ、と声掛けしました。
ちゃびの命が終わった後も、私の人生は続いていきます。
私はいつか、暫くしていない外食をし、三線を弾き、買い物に出かけ、両親に会いに故郷に帰り、島旅をする。それは私の望みでもあり、限界でもありました。
「にゃら」の時もそうでしたが、猫は体調が悪くなるとあっという間です。
というより、最後の最後まで体調が悪いところを見せないのかもしれません。
亡くなる数日前、激しく数回嘔吐をしたあと、一切食べなくなりました。
水も飲まなくなりました。水飲み場の前に行くのですが、水を飲まずに長いことぼーっと座っているのです。
人間も動物も、食べない飲まないから死ぬのではない。死が近いから食べなくなり、飲まなくなるのだ。死に近い存在に、攻めの治療はかえって苦痛をもたらす。私にはこの説が自然に思えました。
(そうしようと思えばできるのに)点滴とミルクをやめると決断するのは結構辛いものでした。しかしちゃびが自分から水を飲まない以上、自然と体が枯れていくのを待つことにしました。
最期、ちゃびはよろよろと歩いて倒れ、床に突っ伏したかと思うと、足を突っ張りました。
抱き起こすと、瞳が光を失ってビー玉のようになっています。
目を見開き、ゆっくりと口を開ける・閉じるを繰り返します。息が吸えないのでしょうか。
それを何度か繰り返した後、心臓が止まりました。
抱っこしながら大好きだよと声をかける以外に、私たちにできることはありませんでした。
体重は2.5kgを切っていました。
ちゃびの最期を看取るのが、私はずっと怖かった。
腎不全の最期は痙攣することがあると聞いていました。
苦しむちゃびを見たくなかったのです。
そういう意味では、比較的穏やかな最期だったかと思います。
いつかこの喪失感が癒え、ちゃびの可愛かった記憶と楽しかった思い出に純粋に感謝できる日が来るのを待ちます。
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