にゃんこのヨガ的生き方

毎日をゆったり、元気に機嫌よく暮らす

子どもとの距離

2012-07-01 19:33:59 | 日々の暮らし
本日映画館へ行くにあたり、商業施設を通り抜けました。
服屋や雑貨屋が何軒も並び、商品が展示されています。
通りすがりにブラウスなどを眺めながら、上の娘と買い物に行ったことや、交わした会話が懐かしく思い出されました。

彼女は平日は仕事で、ほぼ毎日のように終電で帰宅します。その時分、私はとっくに就寝。
彼女は土日は自分の趣味のため不在。
彼女に会えるのは平日朝だけです。

彼女がこの家を出て行くと宣言してから、色々なことが思い出され、何かにつけ来し方を思い出しています。

彼女がいなくなれば寂しい。今でも寂しい。
でも彼女の邪魔をしてはいけない。
それだけは肝に銘じたい。

子どもからしたら、親の存在は結構鬱陶しいものです。
私にも覚えがあります。

私は18才で家を出たきり、実家には戻りませんでした。
妹は、姉である私がいなくなったからには(両親の面倒を見なくては)と思ったのでしょう。地元に留まりました。

彼女は結婚後、実家にごく近いアパートに住みましたが、母親は事前連絡もなしに、始終彼女のアパートを訪れていたそうです。
また何かにつけメールをしてきて、XXしてほしい、と頼んでいたと。
(この話はこれまで忘れていましたが、今回の件で思い出しました)

母親は今でも健在。
現在、妹夫婦、こどもふたり、父親・母親の6人で住んでいます。
同居のきっかけは母親の怪我。
しかしその怪我も、他人に頼りたい母親の甘えが透けて見えるような顛末でした。

親からしたら子どもは可愛い。いなくなれば寂しい。
しかし子どもは親の所有物ではありません。

子どもに心配をかけないようにしよう。
子どもには子どもの生活、子どもの人生があるのだから。
それを縛ったり、制限したりすることのないようにしよう。

寂しい気持ちには変わりはありませんし、いよいよ出て行くとなったら、また出て行ったら、これ以上の思いをすると思います。
それでもやはり、親にはある程度の強がりが必要なのかもしれません。
それが二十数年、余分に生きてきた人間の義務なのだと思います。

そう思って、私は少し強がろう。寂しさを押し隠して。












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