にゃんこのヨガ的生き方

毎日をゆったり、元気に機嫌よく暮らす

2012-09-29 10:36:50 | こころ
ここ2年ほど、色々なことに対する欲望が弱くなってきました。特に物に対する欲。何かを買いたいと思うことがあまりありません。

特に着るものに対して顕著です。
仕事で着る服は大概決まっていますし、週末は適当でいい。つまり、(仕事着さえあればどうにかなる)という心持ちです。

たまには見てみようかと店をのぞいても、見ているうちに面倒になってやめてしまいます。
以前はこういうお買い物が楽しかったのですが。

今は必要なものを買いに行くだけ。
そろそろ仕事着、仕事靴を買いに行かなくちゃ、という感じです。

「装う」ということはある程度他人、それも異性の目を意識するということです。
もちろん自分のため、また同性の目を意識するということもあるでしょうが、そこにはやはり、「綺麗にしておきたい、綺麗に見られたい」という気持ちがある。

今の私は「綺麗に見られたい」というより、「相手に不快な印象を与えないように」という点にシフトしつつあります。客先へ行く時、顔色を整えるため、以前はしなかった化粧をします。

『アンナ・カレーニナ』にも、同じような記述があります。

『以前は彼女も、美しく装いをこらして、人の気に入られようと思ってみずから進んで化粧をしたものであった。が、その後、年をとるにしたがって、しだいに身じまいをするのが面倒になってきた。われながら器量の落ちたことに気づいたからである。ところが、今はまた、なにか満ちたりた、心おどるものを感じながら、身じまいをするようになった。今の彼女は自分のためでも、自分を美しく見せるためでもなく、ただかわいい子どもたちの母親として、見る人の印象を傷つけないために装いをこらすのだった』
(『アンナ・カレーニナ』 著:トルストイ、訳:木村 浩、新潮文庫)

欲というのは執着です。執着があるということは、ある意味本人にハリを与えます。
欲しいものがあるのは幸せだと、欲しいものがなくなって思いました。欲望は生きる原動力でもあるのです。

この状態になったばかりの時、あまりのハリのなさに、生きているハリさえ見失いかけました。
今ではこの状態に慣れました。別に欲望がなくても、人間生きていけます。物や欲の支配から抜けつつあると云うことでしょうか。

できることなら私は、中国かインドの山奥で、太極拳かヨガでもして暮らしたい。

いつかそのうち出家するんだもんね。飲みの時同僚にそう言ったら、『ビールは飲めないよ』と言われました。

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