にゃんこのヨガ的生き方

毎日をゆったり、元気に機嫌よく暮らす

外食時の悩み

2012-03-11 18:44:27 | 
今日は天気がよかったので、太極拳の後、買い物に出かけました。

最高10度とのことなので、冬コートにマフラーまでしていったけれど、
日中はぽかぽと春の陽気。

買い物を終えた頃には喉が渇いてたまりません。
昼ごはんに何を食べようかと考え、食べるよりビールを飲みたいと切に思いました。
水は持っている。水を飲めば喉の渇きはおさまる。
なのにどうにも譲れない。外でないと生は飲めませんからね!

誰かと一緒ならば何とでもなりますが、
ひとりで外食する場合、いつも悩むことがあります。
できれば食事だけですますのではなく、ビールを飲みたい。
旨いつまみがほしい。
でも定食屋でも麺屋でも、私には一人前の量が多い。
ビールを飲むとなれば尚更です。
一人前を(果たして食べられるだろうか)という不安とともに食すのは悲しいものです。
これはダイエットが残していった、ちょっと悲しいお土産です。

よってひとりの時は、
 ・つまみを何品か頼みビールを堪能、ご飯ものを食べない
 ・つまみ一品でビールを一杯だけ飲んだ後、ご飯ものにする
上記いずれかにするかを、吟味の末に決めるのです。

もうずっと以前、高齢の方が新聞に、
『外食は量が多くて困る。年寄り向けに、量少なめを作ってほしい』
と書いていました。

私はその頃まだ食べ盛りだったので、
『何で一人前を食べられないんだろう。量少なめなんて手間がかかること、お店はやらない』
と思いました。

同じことを私は最近思う。
外食のお店の方、「半分」というのを作ってください。そしたら私は喜んで注文します。
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筋肉強化月間 続

2012-03-08 21:24:19 | 体を動かす
先週・先々週と、筋トレは12回×2セットで行いましたが、
昨日の筋トレでちょっと趣向を変えてみました。

スロー筋トレ。

お高い個人レッスンを受けている人の横にいると、
独特なテンポで筋トレを行っているのに気づきます。

12秒かけてマシンのおもりを動かし、1秒止め、2秒で元に戻す。
この動作を、ひとつの機器につき6回づつ行う。
(本来これを1日30分、週に3回、1ヶ月間行う)

このテンポで筋トレを行ってみたところ、疲れる、こたえる。
反動をつけてはいけないと、ゆっくり目に筋トレを行ってきた私ですが、
同じウェイトでも、私がこれまで行ってきたのと同じとは思えないほど、
ずっしりと負荷がかかります。

あまりの大変さに、途中からなし崩し的になりながら、
『これだ。次回からはこのスロー筋トレで行こう』と思いました。

(でも週に3回は無理だから、とりあえず週1で)
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筋肉強化月間

2012-03-05 22:09:28 | 体を動かす
今月は自称「筋肉強化月間」です。

前回受けたジムのカウンセリングで、筋力を上げるためには
筋トレの強度を上げることをアドバイスとして受けました。

その後私は律儀(?)にも、アドバイスを実践、負荷と回数を上げています。
また毎日のストレッチメニューとして、「板のポーズ => チャトゥランガ」を数回行っています。

腕はいい感じで筋肉がついてきました。

なのに。チャトゥランガをしてる時に『オナカ出てるよ』と言われてしまいました。
てやんでぃ。年相応なんでぃ。


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ヨガ

2012-03-05 21:53:26 | 体を動かす
インフルエンザで休んでいたため、今日はほぼ1ヶ月ぶりに
パワーヨガのプログラムに出席。

合掌もアーサナも、余計なことは考えず、
ただ自分の呼吸に意識を集中して体を動かす。
心と体が一致するような、何とも言えない感覚。


ヨギーニも宗教の修行者も、突き詰めれば同じところに行き着くのかもしれない。
厳しい修行に励んでいる間、隣に立った人の心が読めるようになったと、
とある人のことを聞いた。

この感覚に浸っていたいと思うけれど、現実には明日も仕事。
いつか俗なことに煩わされず、自分の心と体だけに向き合ってみたい。

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過去、自分を立て直す

2012-03-04 21:05:00 | こころ
私の両親は聴覚障害者です。
彼らとは、手話・口話で会話してきました。
私は小さい頃から、両親と外界の間に立って通訳をしてきました。
物怖じしている暇はありませんでした。

両親はいつも私を頼りにしていました。妹は数歳年下でした。
「自分がやらなければ」という義務感が、常に私の中にありました。
ほんの小さな頃から18才で家を離れるまで、そんな生活が続きました。

10年ほど前、とあることで心療内科にかかりました。診断結果は『パニック障害』でした。

あなたはアダルトチルドレンです。
両親が耳が不自由だったため、子どもの頃から
大人の役割をしてこなければならなかったことが原因です、と。

その時の状態を、自分の境遇のせいにされるのに納得がいきませんでした。
自分と両親のそれまでを、否定されたような気がしました。
口惜しいような気持ちで、私は医師に言いました。
何でそんなこと言うんですか。両親が耳が聞こえないなんて関係ないでしょう。
そうくってかかりながら、私はぼろぼろと涙をこぼしていました。

じゃあ、なぜあなたは泣いているんですか。
耳が聞こえないなんて関係ないと言いながら、涙が止まらない。
それはあなたが泣いているんじゃないんですよ。
あなたの中の、小さかった頃のあなたが泣いているんです。

・・・
医師の診断を受けた後、忘れていた多くのことを一気に思い出しました。

私には両親に抱っこされた記憶がありません。
両親に抱っこされている2才位の頃の写真はあるのですが。

私は両親、特に母親に甘えることができませんでした。
私自身、年齢の割にしっかりしていたのと、
「甘やかさず、しっかりした子に育てなければ」という両親の思惑があったのかもしれません。
祖母も同居しており、私のことを可愛がってくれましたが、
明治生まれの祖母は厳格で、子どもの頃の私にとっては怖い存在でした。

私の記憶にあるのは、母親の膝に乗っている小さな妹です。
妹はいつも母親に甘えていました。母親は妹を可愛がっていました。
私は妹が羨ましく、妬ましかった。

母親に言われたこと、してもらえなかったこと、母親の眼差しなど、
とうに忘れていたことが、後から後から思い出されました。
私は泣きながら多くのことを夫に話しました。
何日か経ち、さすがに夫が聞くのに耐えかねた頃、
自分の中の泣いていた子どもが、静かに空へ消えていくのを感じました。

・・・
それで全部終わったと思っていました。
それがつい最近、両親と3人で旅行をし、
耳が聞こえないということは大変なことだと改めて認識しました。
両親と長いこと離れて暮らすうち、耳が聞こえる人と暮らす快適さに、
私はすっかり慣れてしまっていたようです。

旅行から戻った時、私は疲れていました。
そしてバイトさんが『父親と欧州を旅行中』と聞き、うちのめされたような気がしました。
彼女の父親はきっと、経済的にも精神的にも頼りになるのだろうな。
パパについて行けば安心なんだろうな。
私なんか、国内温泉旅行でも、親の面倒を見なければならないのに。

・・・
誰が悪い訳でもありません。両親は耳が聞こえない。
私はたまたまその両親の元に生まれついた。それだけです。

両親が耳が聞こえないために、通常ならばしなくても済んだことを
私はしてこなくてはなりませんでした。
そして通常ならばしてくるはずのことを、してきませんでした。

普通ならしてくるはずのこと。それは、肉親に甘え、
在りのままの自分を受け入れてもらい、ひいては他人と信頼関係を築くこと。

小さな頃から、私の中にはいつも怒りがありました。
甘えることもせず、大人の役割を果たしてきた子どもだった私。
私はただ、『そのままでいいよ』と優しく抱っこしてもらいたかっただけ。

自分を受け入れてもらったのは、ずっと後になってからです。
夫をはじめ、他の人に受け入れてもらうことで、
子どもの頃にできなかったことをやり直すことができました。

私は虐待を受けたわけではありません。知り合いには、父親に殴られて育った人、
病気のため実の両親に捨てられ、祖母に育てられた人がいます。

両親は両親で、『耳が聞こえたらよかったのに』と思っているでしょう。
聞こえないことからくる不自由さ、辛さは本人でなければ判りません。
彼らは彼らなりの感情を抱えていると思います。

境遇がどうであれ、誰もが自分で引き受け、「ここ」から始めるしかありません。

もし自分の中で、子どもだった自分が泣いているのなら。
その子を抱きしめてあげてください。
大変だったね、辛かったねと、その子のために泣いてあげてください。
その子の悲しみや、やり場のない怒り、寂しさをわかってあげてください。
そうすることで、泣いている子は消えていきます。
それは自分を甘やかすことではありません。自分を立て直す作業です。

・・・
両親は今も健在です。
先日このブログに過去の記憶について記載しましたが、今は削除しておきます。
私は別に両親を悲しませたい訳ではないので。
いつか、書いても差し支えがない時が来たら、
その時、再度書いてみたいと思います。

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姿勢

2012-03-04 16:26:24 | 体を動かす
例えば椅子に腰掛けている時。あなたの背中はどのような状態ですか。
よくありがちなのが、「背もたれに寄りかかり、背中がC字形に曲がっている」。

なるべく意識して、骨盤を立ててみましょう。
骨盤を立てると、背筋が真っ直ぐに伸びます。
背筋を真っ直ぐのまま保持しようと思うと、案外背筋を使用します。

ヨガには「長座」という基本のポーズがあります。
両足を揃えて前に出して座ります。
つま先は真っ直ぐ天井に向け、踵・膝裏は床につけます。
骨盤を立て、背筋を真っ直ぐに伸ばします。

長座の姿勢から屈伸を行ったりするですが、
この長座の姿勢を保持するというのも、結構きついものです。
背筋に効きます。

日常でも、ちょっと気をつけることで体が変わってきます。

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今日の体調

2012-03-04 16:08:43 | インポート
今朝は太極拳に出てきました。

その後、買い物に出かける予定だったのですが、
プログラムが終わってみると、なんと疲れていました。

おまけに今日はまた冬日。気温は低いし、風が冷たい。
こんな日に限って、手袋もマフラーも持って来ていない。
仕方なしに家へ帰りました。

その後、ぐっすり昼寝。
いつもの体力がまだ戻ってきていないのかな。
太極拳で疲れるなんて、私としたことが。
まあでも無理しても仕方ないし。ぼちぼち行きますか。



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日々の暮らし

2012-03-04 15:58:08 | 日々の暮らし
昨日は桃の節句でしたね。
我が家には娘2人がいますが、住環境と趣味の問題から雛人形がありません。
昨日は桃の花を買い、飾りました。

祖母は季節の行事をだいじにする人でした。
お正月から始まり、七草粥、節分、桃の節句、端午の節句、お月見、えびす講、ゆず湯。

今でも鮮明に覚えているのがお月見です。
月見団子を買い求め、すすきと共に部屋に飾る。
部屋の電灯はつけず、戸を開け放っておく。
時間と共に月が高く上ってきて、冴え冴えと輝き渡り、室内を静かに照らす。
祖母は窓際で、いつまでもその眺めを楽しんでいました。

祖母は自営業を営み、かつ家事もこなしていましたが、
そのような中で、季節の行事を大切にするというのは、
日々の暮らしを大切にすることだったのだな、と今では思います。

かつてと今では生活様式が異なるため、なかなか同じようにはいきませんが、
「時間に追われ、いつの間にか毎日が過ぎ去ってしまう」のではなく、
「ゆっくりと歩く程度の早さ」で、日々の暮らしを大切にしたいと思います。

ちなみに桃の花は、今朝起きたらにゃんこに倒されて、辺り一面水浸しでした。
仕方ないので、花瓶をベランダに出しています。
来年からは花は飾れないな...
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