獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その28)

2024-12-10 01:15:32 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
〇第六章 性善説という病
●第七章 現代に生きる大川周明
 ■「自国の善をもって自国の悪を討つ」
 □自己絶対化に陥らないためには……
 □各国・地域で形成される「国民の物語」
 □日本に残されたシナリオは何か
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第七章 現代に生きる大川周明

「自国の善をもって自国の悪を討つ」

それでは最後に大川周明から21世紀を生きる日本人が学ぶべきことについて、筆者の見解を率直に記したい。『米英東亜侵略史』の主題である外交については、これまでの章で論じてきた。ここでは国際政治、国内政治の枠を超え、「日本の改革」について大川が抱いていた信念を読み解きながら、その核心に迫りたい。
大川は、これまで何度も引用してきた『日本二千六百年史』の中で改革に対する基本姿勢を説明している。改革は歴史に学ぶことから始まる。非歴史的な、あるいは歴史を超越して、いつでもどこでも通用するような改革のドクトリンは、本質的なところでは役に立たないと断言する。


いかなる世、いかなる国といわず、改造又は革新の必要は、国民的生命の衰弱・退廃から生まれる。生命の衰弱・退廃は、善なるものの力弱り、悪なるものの横行跋扈することによる。故にこれを改造するためには、国民的生命の裏に潜む違大なるもの・高貴なるもの・堅実なるものを認識し、これを復興せしむることによって、現に横行しつつある邪悪を打倒しなければならぬ。簡潔に言えば、改造又は革新とは、自国の善をもって自国の悪を討つことでなければならぬ。そは他国の善なるがごとく見ゆるものを借りきたりて、自国の悪に代えることであってはならぬ。かくの如きは、せいぜい成功しても木を竹につぐに止まり、決して樹木本来の生命を更新するのではなく、これを別個の竹たらしむるに終わるであろう。それ故に、建設の原理は、断じてこれを他国に求むべきにあらず、実にわが衷(うち)に求めねばならぬ。しかしてわが衷に求むべき建設の原理は、ただ自国の歴史を学ぶことによってのみ、これを把握することができる。いま改造の必要に当面しつつある時代において、われらはいよいよ国史研究の重要を痛感する。(大川周明『日本二千六百年史』第一書房、1939年、13-14頁)

大川周明の基本認識を、現下日本の情勢分析に筆者なりに敷衍してみると次のようになる。
①改革は、日本人の活力が衰弱し、悪が跋扈するようになったから必要とされている。
②改革のためには日本人の本源的生命力に内在する高貴で堅実な要素を再認識し、復興させることが不可欠だ。
③改革とは、日本人の本源的生命力に内在する善の要素によって、日本人に現れている悪の諸現象を克服することである。
④外国の内在的な思想、例えばアメリカ型の新自由主義を善の要素と思って日本に移入しても、それは短期的な弥縫策で終わることが目に見えている。日本という木に竹を接ぎ木することにしかならず、木の生命を更新できない。
⑤日本の改革の内在的論理は、日本の歴史の研究によってのみ把握することができる。それによって日本国家と日本人の本源的生命力が何であるかを掴むのである。従って、改革と日本史研究は表裏一体の関係にある。

日本では、小泉政権(2001年4月~)の5年間の間に、社会的格差が広がり、圧倒的大多数の国民の生活は苦しくなり、地方は切り捨てられ、生徒・学生の学力は低下し、外交は「八方塞がり」の状態にあるにもかかわらず、政権の支持率は一貫して高い。別に小泉純一郎首相が詐術を用いているわけではない。国民は、改革を真摯に望んでいるから、改革を唱える小泉氏に惹きつけられるのである。外交面では日本国家と日本人の名誉と尊厳を守る毅然たる外交を多くの国民が望んでいる。国民の集合的無意識のどこかに小泉首相ならば、国内改革、外交の両面において日本国家と日本人の本源的生命力を掴み出すことができるのではないかという期待感があるのだろう。
日本の歴史に改革思想を求めるという方法論を構築するにあたり、大川周明は、今から700年前、南北朝時代の南朝イデオローグ北畠親房が著した『神皇正統記』から大きな影響を受けている。少し長くなるが大川が『神皇正統記』の意義について述べている部分を正確に引用する。


後醍醐天皇の建武中興は、たとえ回天の偉業中道にして挫折したとはいえ、まごうべくもなき日本精神の勃興なるが故に、この精神の最も見事なる結晶として、北畠親房の『神皇正統記』が生まれた。平安朝の末葉より鎌倉時代の初期にかけて、国史を等閑に附したることは、必然国体観念の混迷を招き、今よりしてこれを想えば、到底許し難き思想が行われていた。例えば慈鎮(慈円)和尚の『愚管抄』に現れたる思想である。慈鎮は関白藤原忠通の子であるが、その著書の中には天皇のことをみな『国王』と書き、はなはだしきは礼記の百王説をそのままに信受して『皇統百代限り』というがごとき妄誕至極の言をなし、実に『神の御代は知らずに人代となりて神武天皇以後百代とぞ聞こゆる。既に残り少なく八十四代にもなりける』とさえ述べている。八十四代と申すは順徳天皇のことにして、いま十六代にて日本の皇統は亡ぶという驚くべき思想である。かくのごとき時代の後をうけ、わが北畠親房が『大日本は神国なり』と高唱し、神胤長くこの世に君臨して、天壌とともに無窮なるべきことを明確に力説したのは、まさに一句鉄崑崙、虚空をして希有と叫ばしむるものである。まことに神皇正統記は、前に遠く建国創業を望み、後にはるかに明治維新を呼ぶところの国史の中軸にして、この書ひとたびいでて大義名分の存するところ、炳乎として千載に明らかになった(前掲書、19-20頁)

大川周明によれば、中国の「王は百代しか継続しない」という、当時のグローバルスタンダードであるドクトリンをそのまま鵜呑みにする慈円のような人物は、いくら知識をもっていても日本的なるものの「事柄の本質」がわかっていないことになる。これに対して北畠親房は「大日本者神國也」という他国にはない日本国家の存在根拠、伝統的なことばで言う国体の「事柄の本質」を把握しているので、中国の学説によって、日本の皇統が途絶えてしまうのではないかなどと惑わされることがないのである。

 


解説

改革は歴史に学ぶことから始まる。非歴史的な、あるいは歴史を超越して、いつでもどこでも通用するような改革のドクトリンは、本質的なところでは役に立たないと断言する。

賛同します。


獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その27)

2024-11-23 01:47:09 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
●第六章 性善説という病
 □外交を「性善説」で考える日本人
 □「善意の人」が裏切られたと感じると……
 □国家主義思想家、蓑田胸喜
 □愛国者が国を危うくするという矛盾
 □大川は合理主義者か
 □大川周明と北一輝
 ■イギリスにみる「性悪説」の力
〇第七章 現代に生きる大川周明
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第六章 性善説という病

イギリスにみる「性悪説」の力

それではここで性悪説が歴史に具体化した事例について話を進めよう。人間や国家の本質を性悪説ととらえても、それを克服するという方向で思惟を進めるのならば大きな問題は生じない。問題は性悪説の上に開き直って、力をもつ国家や民族が行動する場合だ。それはイギリスの帝国主義政策に端的に表れている。第四章で解説したように、イギリスは当面の敵を一つに絞り、それ以外を味方にするか中立化して、まずその敵を打ちのめす。しかし、敵を徹底的に壊滅することをあえて避け、敵の余力を温存しつつ、名誉を保全する形で手打ちをする。そして、この旧来の敵をイギリスの味方にする。そして、将来現れるであろうイギリスに対抗する新たな敵を、今は味方となった旧来の敵を先兵に送り込んで叩きつぶすのである。他国、他民族をイギリスにとって利用できる対象としてしか考えず、人間であれ人間の集合体である部族や国家であれ、最終的には自己保身の原理で動き、力に屈するという徹底的な性悪説からイギリスのこのようにシニカルな帝国主義政策が展開されるのである。
大川周明は『米英東亜侵略史』でこのようなイギリスの狡猾な戦略としてアロー号戦争(第二次アヘン戦争、1857~60年)を取り上げる。この戦争でイギリスはインド人を中国侵攻の先兵にしたのだ。

この戦争においてイギリス陸軍の主力は、実に一万の印度兵でありました。印度人は英人のためにその国を奪われた上、同じ亜細亜の国々を征服する手先に使われて今日に及んでおります。(英国東亜侵略史 第五日 阿片戦争)

かつての敵を徹底的に潰すことはせずに、懐柔し、将来の戦争で自国の先兵として使うというのはイギリスのお家芸だったが、第二次世界大戦後はアメリカにも引き継がれた。日本のイラクへの自衛隊派兵も、突き放して見るならば、この構造だ。東西冷戦で東側に属し、アメリカと激しく対立したブルガリアとウクライナがイラクに派兵したのもこの図式だ。
ここで大川周明は、中国がイギリスの植民地にならなかったのは、日本の存在があったからと考える。大川は日本人と中国人は「われわれ」という一人称複数形を用いるべき兄弟と考える。もっとも兄弟という言葉を用いる場合、どちらが兄でどちらが弟かということはひじょうに重要な問題であるが、大川はこの点についてはあえて踏み込まない。日本人と中国人は、「物語」を共有している。

我らの先祖は日本の歴史を学ぶと同じ程度の親しみをもって支那の歴史を学び、日本の英雄豪傑を崇拝すると同じ程度の熱心をもって支那の英雄豪傑を崇拝したのであります。(英国東亜侵略史 第六日 我らはなぜ大東亜戦を戦うのか)

兄弟である中国人に対してイギリスはアヘンを吸わせて廃人にしようとしている。中国人がアヘンの流入を阻止しようとするのは当然のことだ。しかし、イギリス人は、「お前たちはアヘンを吸い続ければいいんだ。それが嫌ならば戦争を仕掛けてやる。お前たちは戦争で俺たちに勝てると思っているのか」という実に乱暴な態度で中国人に最後通牒を突きつけている。兄弟である日本人が義憤を感じ、武力によってイギリスの野望を阻止したのは当然のことなのだ。大川の怒りは、性悪説を克服しようとする努力を払わず、「力さえあれば何でもできる」という傲慢な考えでアジアに接しているイギリスのシニシズムに対して向けられている。


もし新興日本が支那保全をもってその不動の国是とし、かつこの国是を実行する力を具えていなかったならば、すでに阿弗利加大陸の分割を終え、満輻の帝国主義的野心を抱いて東亜に殺到し来れる欧米列強は、必ず支那分割を遂行し、イギリスは当然獅子の分け前を得たことと存じます。現に支那・印度・西蔵に活躍する名高きイギリス軍人ヤングハズバンドは、支那のように土地は広大、物産は豊富、しかもその全地域が人間の住むに適する温帯圏内に横たわる国土を、一個の民族が独占しているのは、神の御心に背く Against God's Will だと公言しているのであります。
日本の強大なる武力は、幸いにして支那を列強の俎板の上にのせなかったのでありますが、それでもイギリスの政治的・経済的進出を拒むに由なく、支那の最も大切なる動脈楊子江において、とりわけイギリスの勢力は嶄然(ざんぜん)他を凌いで強大となったのであります。(英国東亜侵略史 第五日 阿片戦争)

日本の武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。しかし、真実が常に一つであるとは限らない。無数の事実の中からどれとどれをつなぎ合わせるかで、真実が異なることもある。中国人の反植民地活動家の眼には、日本も列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリス、アメリカはつけ込んだ。日本こそが中国の植民地化と奴隷的支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国の政治家と知的エリートの心を捉えたのである。アメリカもイギリスも国際関係は性悪説で成り立っている、すなわち各国は自己の生き残りのためには何でもするというのが現状と考えていた。しかし、人類はそのような性悪説を矯正する必要があるという認識をもっていた。それが国際連盟や軍縮会議、不戦条約につながるのである。しかし、性悪説を克服するという建前を一般論として掲げ、他国には主権尊重や人権を強要しながらも、自国の国益を追求する場合には理想を放棄し、剥き出しの性悪説で対応した。日本には米英のこのような二重基準、シニシズムが道義的に許せなかったのである。しかし、このような二重基準、シニシズムは、現実の外交で大きな力をもつのである。
日本でも有能な外交官や政治家は性悪説で外交を展開する。日露戦争のときの小村寿太郎、戦後の吉田茂、岸信介などは、国家の本質が悪であることを冷徹に認識して外交を組み立てた。しかし、こうした政治家や実務家は自己の内在的論理を学術的表現で提示しなかったので、性悪説は思想にまで高められていないのである。紙幅の関係で詳しく論じることができないが、日本の国家主義思想家で例外的に徹底的な性悪説に基づいて言説を組み立てたのが第四章で言及した高畠素之である。
高畠は、ソ連の本質がアメリカ同様の帝国主義であることを見抜いていた。ソ連もアメリカもともに性悪説に立脚した帝国主義国であった。日本の国家主義思想家の系譜で、高畠は大川と並び、論理整合性や哲学的思考を重視する点に特徴がある。高畠は群馬県前橋市の出身で、キリスト教(プロテスタンティズム)に入信し、同志社大学神学校に入学するが、社会主義思想と出会って中退し、堺利彦や大杉栄などの社会主義者、無政府主義者とともに文筆分野で活躍する。高畠は語学に堪能で、マルクスの『資本論』の日本語完訳を初めて実現する。しかし、『資本論』を翻訳する過程で、マルクスは進化論を知らなかったために唯物史観のような作業仮説に頼ったという認識を抱くようになり、人類の生存競争は本質的に悪なので、人間の本性は暴力装置である国家によって規制されなくてはならないと考えるに至った。そして国家社会主義(state-socialism) を提唱する。高畠は民主主義はその性格上、必ず衆愚政治に陥ると考え、議会制民主主義を信用しなかった。政治改革は暴力装置である国家の根本を握る軍人にしかできないと考えた。そして陸軍大将の宇垣一成に接近するが、本格的運動を起こす前に癌で死去(1928年)した。

高畠の実践活動は、彼の在世中、国家社会主義運動としてはそれほど大きな社会的影響をもちえなかったが、彼の思想的影響下に育った多数の国家社会主義者は、日本の政治状勢の反動化、ファシズムの拡大・強化に大きな役割を果たした。彼の死後、1930年代にはいって急速に勢力を伸張した国家社会主義運動の理論的根底は、多く高畠の見解に基づくものであった。(大島清執筆「高畠素之」の項より。『現代マルクス=レーニン主義事典 下』所収、社会思想社、1981年、1243頁)

大島はマルクス主義の立場から記述しているので高畠素之をファシズムの一類型としてとらえるが、筆者はこの見解には与しない。筆者の理解では、高畠と大川の二人はその理論構成において傑出しているにもかかわらず、現在では忘却されてしまった日本の国家主義思想家なのである。
高畠がイスラームに関する知識をもち、大川が高畠のレベルでマルクス主義の内在的論理に通暁していたならば、日本の国家主義思想は、世界に類例を見ない知的説得力をもったことになると思う。二人の遺産を復活することは、「八方塞がり」に陥った現下日本の外交に的確な指針を与える上でも有益と思う。

 


解説
日本の武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。しかし、真実が常に一つであるとは限らない。無数の事実の中からどれとどれをつなぎ合わせるかで、真実が異なることもある。中国人の反植民地活動家の眼には、日本も列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリス、アメリカはつけ込んだ。

なるほど、そういう歴史理解がありうるのですね。
勉強になりました。


獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その26)

2024-11-22 01:55:53 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
●第六章 性善説という病
 □外交を「性善説」で考える日本人
 □「善意の人」が裏切られたと感じると……
 □国家主義思想家、蓑田胸喜
 □愛国者が国を危うくするという矛盾
 □大川は合理主義者か
 ■大川周明と北一輝
 □イギリスにみる「性悪説」の力
〇第七章 現代に生きる大川周明
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第六章 性善説という病

大川周明と北一輝

松本健一は大川周明にとって北一輝を「生涯のライバル」と位置づけている。筆者もその通りであると思う。大川と北は1925年頃に仲違いしてしまうのであるが、その後もお互いに畏敬の念を持ち続けていた。大川周明は、五・一五事件の内乱罪幇助で禁錮5年が確定し、1935年10月に下獄する。翌1936年に二・二六事件が起きた。大川は同じく囚われの身になっている北一輝について1936年8月11日の日記に次のように記している。

北君の事がしきりに頭に浮かぶ。何処に閉じ籠められて居るのか解らないが、此頃の暑さには弱って居るだろう。芝居気があり過ぎるほどあるけれど妙に子供らしいところがあるから、果たして毅然として難役を貫き通すか何うか。運命に対して方形なり得るか何うか。芝居がやり通せなくて醜態を暴露しなければよいがと思う。尤も北君とても一ト廉(ひとかど)の人品だから案外あきらめが早く、悠然裡に処するかも解らない。是非そうあって欲しい。何によらず大きいものが好きで、或時は屑屋が持ち歩くような巨大な蟇口を買って来たり、また或時は棍棒のような長大な万年筆を買って来ては喜んで居た。予にもそれらを買ってくれたが、両者とも到底実用に適さなかった。余り出鱈目を飛ばすので、呆れて吹き出すと、ヤ解ったかと言って自分も呵笑する。それほど平気で嘘を云うし、嘘がばれても平気であった。とにかく此の六七年はまったく往来しないから、昔の北君と若干変わって居るかも解らない。(松本健一『大川周明』岩波現代文庫、2004年、260-261頁)

この内容から、大川の北に対する人間的親近感が「果たして毅然として難役を貫き通すか何うか。運命に対して方形なり得るか何うか」という部分に現れている。
戦後、おそらく1953年に大川は「北一輝君を憶う」という論考を書いている。その中でも大川は北に好意的だ。

一言で尽せば北君は普通の人間の言動を律する規範を超越して居た。是非善悪の物さしなどは、母親の胎内に置去りにして来たように思われた。生活費を算段するにも機略縦横で、とんと手段を択ばなかった。誰かを説得しようと思えば、口から出放題に話を始め、奇想天外の比喩や燦爛たる警句を連発して往く間に、いつしか当の出鱈目が当人にも真実に思われて来たのかと見えるほど真剣になり、やがて苦もなく相手を手玉に取る。口下手な私は、つくづく北君の話術に感嘆し、「世間に神憑りはあるが、君のは魔憑りとでも言うものだろう」と言った。そして後には北君を「魔王」と呼ぶことにした。
処刑直前に北君が私に遺した形見の第二の品は、実に巻紙に大書した『大魔王観音』の五字である、北君がこれを書くとき、その中に千情万緒が往来したことであろう。一つ大川にからかってやれという気持ちもあったろう。また私が魔王々々と呼んで北君と水魚のように濃かに交って居た頃のことを思いめぐらしたことであろう。また今の大川には大魔王観音の意味が本当に判る筈だと微笑したことでもあろう。いずれにせよ死刑を明日に控えてのこのような遊戯三昧は、驚き入った心境と言わねばならぬ。(「北一輝君を憶ふ」『近代日本思想大系2:大川周明集』所収、筑摩書房、1975年、364頁)

大川周明は口下手で、また金銭については神経質なくらいに潔癖だった。他人に借りを作るのが嫌いなのである。この点、豪胆な性格で、パトロンから巧みにカネを引っ張り、法螺話か冗談か、真剣な革命論なのかよくわからないが面白い話をする北一輝は、大川にないものを持ち合わせた愛すべきライバルなのである。 処刑直前に「大魔王観音」などという巻紙を書いて寄こす北の生死を超えたユーモアに大川は感服しているのである。
一方、大川の二・二六事件に対する評価は手厳しい。

フランス革命に於けるルソーと同様、二・二六事件の思想的背景に北君が居たことは拒むべくもない。併し私は北君がこの事件の直接主動者であるとは金輪際考えない。
二・二六事件は近衛歩兵第一連隊、歩兵第三連隊、野戦重砲兵第七連隊に属する将兵千四百数十名が干戈を執って決起した一大革命運動であったにもかかわらず、結局僅かに三人の老人を殺し、岡田内閣を広田内閣に変えただけに終ったことは、文字通りに竜頭蛇尾であり、その規模の大なりしに比べて、その成果の余りに小なりしに驚かざるを得ない。しかもこの事件は日本の本質的革新に何の貢献もしなかったのみでなく、無策であるだけに純真なる多くの軍人を失い、革新的気象を帯びた軍人が遠退けられて、中央は機会主義、便宜主義の秀才型軍人に占められ、軍部の堕落を促進することになった。
若し北君が当初から此の事件に関与し、その計画並びに実行に参画して居たならば、その天才的頭脳と支那革命の体験とを存分に働かせて、周到緻密な行動順序を樹て、明確なる具体的目標に向って運動を指導したに相違ない。(前掲書、366- 367頁)

大川周明は、クーデターを結果で判断する。二・二六事件で内閣が交代しても、国家政策は基本的に変化しないまま、日本の現状を真剣に憂いている青年将校やそれを支持する軍高官が遠ざけられ、秀才型で出世主義者の軍事官僚が台頭し、結局、官僚支配が強まったと分析している。それから、大川は政治運動は個人としての決断に基づくべきと考えているので、将校の命令に逆らえない下士官や兵士を巻き込むという二・二六事件の手法にも違和感があったのだと筆者は考える。
大川はこのような稚拙なクーデターに北一輝ほどの能力と洞察力のある者が首謀者であるとは考えていない。思想を裁く必要があったので、北が生け贄とされたと大川は認識している。北一輝が性善説に立脚していたならば、北やその同志を銃殺に追い込んだ日本国家そして、天皇を呪詛したであろう。しかし、北は冤罪による処刑を宿命として受け入れた。もし北が性悪説に立っていたならば、もっと入念に計画された「乾いたクーデター」を引き起こし、権力を奪取していたであろう。筆者の理解では、北も大川同様に人間の本質を善でも悪でもない無記の存在と了解していたのだ。


解説
松本健一は大川周明にとって北一輝を「生涯のライバル」と位置づけている。筆者もその通りであると思う。

戦前の国家主義者で日蓮主義の系列につながる人物として、井上日召、田中智学、石原莞爾そして北一輝などが知られています。
しかし、それぞれの思想の中身については、私はあまり詳しくありません。
いつか調べてみたいと思っています。


獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その25)

2024-11-21 01:39:46 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
●第六章 性善説という病
 □外交を「性善説」で考える日本人
 □「善意の人」が裏切られたと感じると……
 □国家主義思想家、蓑田胸喜
 □愛国者が国を危うくするという矛盾
 ■大川は合理主義者か
 □大川周明と北一輝
 □イギリスにみる「性悪説」の力
〇第七章 現代に生きる大川周明
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第六章 性善説という病

大川は合理主義者か

北一輝と大川周明が20世紀日本の傑出した国家主義思想家であることは論を待たない。この二人の知的巨人は、思想的構成、性格を異にしていたが、人間として互いに認め合い尊敬していた。本章のテーマである性善説、性悪説という観点で、両者の視座は共通している。人間の本性を善でもなければ、悪でもない、無記すなわち価値中立的なものととらえるのである。従って、人間により構成される国家にも蓑田胸喜が付与するような神聖で侵すことのできない絶対的な善の要素を認めないのである。
蓑田胸喜は自分自身を、日本の伝統の回復を求めてやまない復古主義者と見なしているのであろうが、実は、蓑田こそが典型的な近代主義者である。自らが生きる時代の視座をもって日本の歴史の諸事実をつなぎあわせ、単一の価値観で貫かれた歴史を提示する手法は、典型的な近代ロマン主義である。これに対して、大川周明は、『愚管抄』や『神皇正統記』など過去のテキストの読解を通じて、その内在的論理を掴もうとする。その結果として、個別性の中に普遍性を発見し、自己完結した多元的世界像こそが日本の伝統であるという言説を提示する。大川周明の言説は、前近代的な復古主義(プレモダン)であると同時に、近代の限界を超克したポストモダン思想の両義性をもつのだ。この点で、プレモダンかつポストモダンの大川周明と徹底した近代主義者である蓑田胸喜は過去の日本思想史を読解する方法が根本的に異なるので、議論が全く噛み合わないのである。しかし、大川周明と北一輝の議論はよく噛み合っている。理論と実践の分離を徹底的に排除する、すなわち思想をもつということは行動することであるという北の思想も近代主義の枠組みを超克しているので、大川と噛み合うのであろう。
国家主義陣営の思想家は、傾向として人々の情念に訴えるタイプが多い。しかし大川周明は、この陣営では例外的に論理性、合理性を重視するところに特徴がある。これは大川の人間観が性善説、性悪説のいずれにも立脚せずに、無記の立場から突き放して人間を観察していることに基づく。筆者の見立てでは、これは大川が国際的に十分通用する言説を組み立てることを可能にした長所だ。しかし、このような大川の論理性を思想家としての限界と見る識者もいる。例えば、竹内好は大川を合理主義者と規定し、それ故にカリスマになれないとの見立てを示す。

大川が冷酷な人物だと評されるのは、かれの合理主義が禍しているのであって、自分が何ものにも心酔しないし、人からも心酔されない性格に由来するものです。だからカリスマにはなれない。その代り学問の世界では業績を残しました。(竹内好「大川周明のアジア研究」『近代日本思想大系2:大川周明集』所収、筑摩書房、1975年、398頁)

筆者はこの解釈は、大川を誤解していると思う。大川が合理主義を尊重するのは、合理性の限界をよくわかっているからだ。むしろ合理性で割り切れない向こう側の世界に、人間にとって重要な事柄が存在すると考える。合理性で割り切れない世界をはっきりと明示するためにウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』で「記述されうること、それはすなわち起こりうることである。そして因果法則が許容しえないものは、すなわち記述されえないものである」(岩波文庫、2003年、141頁)、「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」(同149頁)と述べているが、大川の合理性重視とはこの認識に近いのである。大川が合理的なものにこだわるのは、本当に重要なのは合理性で割り切れない世界にあることをよくわかっているからである。藤原正彦が『国家の品格』(新潮新書、2005年)で強調している、論理と合理性に依存する改革では日本社会の荒廃を阻止することができないので、論理よりも情緒、合理主義よりも武士道精神を重視しなければならないという主張も、筆者の理解では、大川周明やウィトゲンシュタインと同じ発想なのである。論理や合理主義が適用される世界、例えば法廷審理や株式市場では、当然それに従うが、人間生活の全てに論理や合理主義を適用するのは不当拡張と言っているのだ。決して論理や合理主義を無視して、感情で行動することを是認しているのではない。
大川周明は、合理主義の世界とその向こう側の世界とを行ったり来たりできる類い希な天賦の才能(カリスマ)をもっていた。国家主義陣営の中で、北一輝、井上日召あるいは石原莞爾は、周囲の人々に「この人々が唱える理念のためにならば、自分の命を差し出してもいい」と思わせるようなカリスマをもっていた。宗教指導者と政治指導者のカリスマをあわせもっていたのである。これに対して大川のカリスマは、他者に同調を求めるという形をとらない。しかし、大川は自己の生命や名誉よりもたいせつな理念をもっている。それは、日本国家と日本人が本源的にもつ力に対する信頼だ。この信頼から大川は国体論を組み立てているのである。大川は、民主主義であれ、共産主義であれ、思想の背後にはそれを生み出してきた伝統と文化があるので、それを無視して日本や中国に輸入することは不可能と考えていた。北一輝を含む多くの日本の国家主義者が孫文の国民革命に感情を揺さぶられたのに対し、大川周明は距離を置いた姿勢を示す。大川は孫文の三民主義の基礎となる民主主義(デモクラシー)自体が欧米的な原理であって、アジア解放の手段にならないと考えていた。ちなみに共産主義も大川にとってはロシア的原理なので共産主義がアジアを解放することはできないと考えている。


解説
大川が合理主義を尊重するのは、合理性の限界をよくわかっているからだ。むしろ合理性で割り切れない向こう側の世界に、人間にとって重要な事柄が存在すると考える。

私は、医師として毎日科学としての医学に基づいて合理的な思考のもとに患者の診療にあたっています。
しかし、信仰者として、人間生活においては究極的に合理性を超えたことに重要な事柄が存在していることも実感しています。
そういう意味では、大川の本質は、私に理解しやすいものでした。


獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その24)

2024-11-20 01:07:14 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
●第六章 性善説という病
 □外交を「性善説」で考える日本人
 □「善意の人」が裏切られたと感じると……
 □国家主義思想家、蓑田胸喜
 ■愛国者が国を危うくするという矛盾
 □大川は合理主義者か
 □大川周明と北一輝
 □イギリスにみる「性悪説」の力
〇第七章 現代に生きる大川周明
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第六章 性善説という病

愛国者が国を危うくするという矛盾

まず、歴史観についてである。大川は歴史を人間が自己の生命を時間秩序に従って構成するシステム、つまり自分自身の「小さな物語」を通して、普遍的な歴史を認識すると考えている。既に述べたように世界史についても、並存するいくつもの小世界が切磋琢磨することで進んでいくと考える。それに対し蓑田は、大川の歴史観はライプニッツ流のモナドロジー(単子論=複数の自己完結した小宇宙により世界が構成されているという考え方)であると強く反発し、歴史は個人を超える客観性をもつもので、それに絶対的に服従するのが正しい歴史観であると主張する。

モロモロの臣民各個人が「日本歴史の全体を自己の裏に宿している」というのは、歴史的精神の客観性超個人性を無視否認し、モロモロの「部分が全体なり」というに等しい。君臣の大義を紛更する不忠不臣の凶逆思想は、この全体と部分、歴史と個人との関係を明弁確認せざる学術論理学の方法論的誤謬に基くのである。(「大川周明氏の学的良心に愬(うった)ふ」『蓑田胸喜全集 第六巻』所収、柏書房、2004年、309頁)

蓑田が大川の歴史観をライプニッツ主義と決めつけているが、これはよいポイントを衝いている。ライプニッツ主義に基づくならば、民族や国家はそれぞれ自己完結した「出入りする窓をもたないモナド(単子)」なので、それぞれ独自の神話に基づいた歴史物語をつくり、共生・共存する。ここから歴史的に逆賊として処理された人々についても、逆賊の内在的論理を追体験、再解釈することにより、レッテル貼りではわからない真理が見えてくる。真剣に生きた人間は何らかの真理をもっているという歴史観になるので、逆賊とレッテル貼りされた人々の生き方の中に愛国者としての姿が見えてくるのである。筆者の理解では、大東亜共栄圏の発想も自己完結的な多元社会モデルをとるライプニッツ主義に基づいているのであり、植民地を外部に獲得していくという帝国主義とは思想的構えが異なるのである。蓑田の歴史観は単純で、全体が部分に優先し、歴史は個人に優先するので、それを認めない輩はすべて国賊だということになる。そして全体や歴史は天皇に体現され、それは「明治天皇御集」の和歌の解釈で客観的に確定できることになる。逆説的であるが、歴史的客観性を確信する蓑田の歴史観はスターリンの「史的唯物論」に近い。
この歴史観を天皇観に敷衍すると、大川の場合は、多元世界を担保する普遍的原理が天皇なので、日本人がキリスト教、仏教、イスラームを信奉しても何の問題もない。蓑田によれば、宗教としての天皇に帰依しない者は日本人ではない。蓑田の方法論からは日本人である以上、全員が同じ世界観をもつべきであるという普遍主義が導かれる。ここでは内心の自由は認められない。
第二に明治天皇に対する評価についてである。蓑田は大川の天皇観が西欧流の王権神授説だと一方的に決めつける。それだから「ナポレオンやレニン、スターリンと並列して、恐れ多くも、明治天皇を『専制者』と申上ぐるごとき言語道断真に驚くべき表現をさえ敢てしている」(前掲書、306頁)のだ。蓑田は大川の論理連関を無視し、共産主義者レーニン、スターリンと明治天皇を並列しているという難癖をつけている。
第三は、『神皇正統記』に対する評価の問題についてである。大川は南北朝時代の南朝イデオローグ、北畠親房の『神皇正統記』が描く他者に寛容な多元的世界観を高く評価するが、それが蓑田には気に入らない。そこで蓑田は国粋主義者で北畠親房の史観に批判的な国語学者山田孝雄の言説に追従する中で大川を批判する。
例えば、藤原家の摂関政治が天皇親政を変更した反国家的出来事であるにもかかわらず、親房がそれを批判しないのはおかしいと指摘する。さらに嵯峨天皇が弟の淳和天皇に譲位したことを親房が「兄弟の謙譲の美徳」と評価していることに猛反発し、私情によって皇位継承の「ゲームのルール」が変更された事例を肯定的に評価する親房の言説は『正統記』に値しないと決めつける。
第四は、足利尊氏、源頼朝を国賊とみるか否かについてである。「人物についてのみ見れば、尊氏兄弟は実に武士の上に立ちうる主将の器であった」(大川周明 『日本二千六百年史』第一書房、1939年、210-211頁)と足利尊氏の統率力を大川が肯定的に評価したことに関しても蓑田は猛反発する。蓑田は足利尊氏を表記するときに尊称のニュアンスをもつ尊氏を避け、高氏と記す。

「室町幕府の根本的の弱点」についても単に「統一の欠如」というごとき言葉を用いて、その凶逆反国体性を無視している。(中略)高氏が朝廷に反逆し奉り、大川氏も認むる「自己の功名」を遂げんとして人心収攬に憂身をろうした点にあることを洞察せず洞察しても言わざるものであ
って、いずれにせよ、これ大川氏の史論における国体観念の不明徴を実証するものなるはいうまでもないのである。(前掲書、325-326頁)

さらに大川が、「源頼朝は、極端なる勤王論者によって、皇室を蔑(な)みせる罪魁(ざいかい)の如く非難されるけれど、その心において皇室に不忠なるものではなかった。むしろ頼朝は、生まれながらの勤王家なりしというをあたれりとする」(大川周明『日本二千六百年史』第一書房、1939年、139頁)と書き、また頼朝が鎌倉幕府を開いたのは「決して私心から出たものとは思わない」(同141頁)と評価したことに蓑田は噛み付く。

昭和の「憲政常道論」「議会中心政治」も実に「政治を円滑に行わんとする」ことを標榜した。これがミノベ「機関説」以外の何物でもないということは今細論する必要はあるまい。大川氏の(源頼朝、(北条)泰時、(足利)高氏弁護論が「天皇機関説」でないという反証を何人か提示しうるであろうか?(前掲書、329頁)

蓑田は大川に対して筆誅を加えるとともに、同志の宅野田夫が検事局に大川を不敬罪で告発する。再び大川を「塀の中」に送ろうとしたのだ。検事局は告発を受理したが、不起訴にした。「ただ内務省当局は問題になった個所の修正を求めた。これに対し博士は、根本の精神が貫かれ、日本国民に官製歴史教科書と異る生き生きした歴史観を与えることができるなら、あえて字句の末節にこだわらぬという態度をもって、『日本二千六百年史』の改訂に応じた」(中村武彦「『日本二千六百年史』の改訂版・事情」『大川周明全集 第七巻』所収、岩崎書店、1950年、参考資料1-2頁)。
しかし、その改訂の実態は「字句の末節」の修正にとどまらない、史観の本質的転換を伴うものだった。大塚健洋氏は、『日本二千六百年史』の各版を比較検討して、大川周明が筆を曲げたことを明らかにする。

結局、『日本二千六百年史』は、多くの部分にわたって改訂を余儀なくされた。天皇の行為に敬語が使われるようになったほか、「日本は恐らくアイヌ民族の国土であった」が、「日本にはアイヌ民族が住んでいた」と改変されるなど、微妙だが重大な修正が行われている。はなはだしい場合には、意味がまったく逆になっている箇所すら存在する。たとえば、蒙古を撃退できた理由について、「決して伊勢の神風のみではない」とあったのが、「正に伊勢の神風と」云々となり、 北条氏滅亡の原因について、「当時の国民の勤王心に帰すならばそは甚だしき速断である」が、「当時の国民の勤皇心と」云々に変わっている。(大塚健洋『大川周明』中公新書、1995年、142頁)

なお、足利尊氏に関して肯定的に書かれた部分も全面的に削除された。
こうして蓑田胸喜は「日本ファシズム」の総元締めに対しても勝利し、論壇での地位を不動のものにする。その後、蓑田は目立った論争を行わなくなる。それは「まさに社会がそして帝国大学が蓑田化したことによる落差=差異の消滅から蓑田や原理日本社が御用済みになったからである」(竹内洋「蓑田胸喜伝序説前半生を中心に」『蓑田胸喜全集 第一巻』柏書房、2004年、833頁)との評価に筆者も同意する。
蓑田胸喜は決して無反省な性格ではない。自著『国防哲学』(原理日本社、1936年、全集第六巻に収録)の中で教育勅語の引用に誤植を生じたことについては「平生忠節の誠足らざりし結果にて誠に申し訳なく恐懼の至りに存じ明治神宮に参拝致し畏まりを申し上げました」(『蓑田胸喜全集 第六巻』、1021頁)との対応だ。誤植を詫びに明治神宮に参拝するというのは、当時の基準でも普通でないが、これは蓑田の生真面目さを物語るエピソードだ。また、蓑田は金銭に潔癖で、原理日本社の会計報告もきちんと行っている。蓑田に関してカネ絡み、セックス絡みのスキャンダルも聞こえてこない。蓑田胸喜の理論と実践も完全に一致している。終戦5ヵ月後の1946年1月30日、蓑田は熊本県の自宅で縊死した。時代の精神に殉じたのである。
蓑田胸喜は主観的には日本のルネッサンス(再生)に全身全霊を投入していたのであろうが、第三者の立場から突き放して見るならば、自己のルサンチマン(怨念)と思い込みで目が曇り、日本の言論空間を閉塞状況に追い込んで、国家破滅の道備えをした。蓑田のキャラクターは、生真面目であると同時に思い込みが激しい。筆者の解釈では「巨人の星」の星飛雄馬型である。
しかし、蓑田に象徴される自己閉塞的なナショナリズムの凄みは、民族国家のためには自己の生命を捨て去る気構えができていることだ。大多数の人々にとって宗教が生き死にの原理でなくなった現代においても、ナショナリズムは生き死にの原理を提供する代替宗教としての機能を果たしているのだと思う。しかし、自己の生命を大切にしない人は、他者の命を大切にしないし、他者の内在的ロジックを掴むことが苦手になる。そして「思い込んだら試練の道を~~」という星飛雄馬型で閉塞した言論空間を作りだしていく。われわれが蓑田から学ぶことは、主観的には愛国心に燃え、絶対の真理を確信する型の生真面目な論壇人が日本国家と日本人の生存を危うくするという逆説的な真理である。

 


解説
蓑田胸喜は主観的には日本のルネッサンス(再生)に全身全霊を投入していたのであろうが、第三者の立場から突き放して見るならば、自己のルサンチマン(怨念)と思い込みで目が曇り、日本の言論空間を閉塞状況に追い込んで、国家破滅の道備えをした。蓑田のキャラクターは、生真面目であると同時に思い込みが激しい。筆者の解釈では「巨人の星」の星飛雄馬型である。

私(獅子風蓮)からみたら、佐藤氏自身も自己のルサンチマン(怨念)と思い込みで目が曇り、日本の言論空間を混乱に追い込んでいると言えなくもない。とくに創価学会を援護する論評において。
佐藤氏のキャラクターは、まさに「生真面目であると同時に思い込みが激しい」とは言えないか。
そのことの検証は、これから氏の著書を読み込んでいくことで次第に明らかになってくると思います。


われわれが蓑田から学ぶことは、主観的には愛国心に燃え、絶対の真理を確信する型の生真面目な論壇人が日本国家と日本人の生存を危うくするという逆説的な真理である。

この「真理」は、佐藤氏にブーメランのように返ってくるような気がします。
実際、佐藤氏は池田大作氏の死亡の後も創価学会・公明党は衰退することなく世界に向かって発展するというようなことを言ってきましたが、実際のところは先日の総選挙の結果を見るまでもなく、創価学会・公明党は確実に衰退してきています。
佐藤氏は、主観的には本気で創価学会・公明党が好きでこれを擁護する論評をしたつもりなのでしょうが、そのことで創価学会員が自省の機会を失い、ズルズルと衰退の道を歩むのなら、創価学会員にとってははた迷惑なことです。「贔屓の引き倒し」とはこのことでしょう。


獅子風蓮