獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その26)

2024-11-22 01:55:53 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
●第六章 性善説という病
 □外交を「性善説」で考える日本人
 □「善意の人」が裏切られたと感じると……
 □国家主義思想家、蓑田胸喜
 □愛国者が国を危うくするという矛盾
 □大川は合理主義者か
 ■大川周明と北一輝
 □イギリスにみる「性悪説」の力
〇第七章 現代に生きる大川周明
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第六章 性善説という病

大川周明と北一輝

松本健一は大川周明にとって北一輝を「生涯のライバル」と位置づけている。筆者もその通りであると思う。大川と北は1925年頃に仲違いしてしまうのであるが、その後もお互いに畏敬の念を持ち続けていた。大川周明は、五・一五事件の内乱罪幇助で禁錮5年が確定し、1935年10月に下獄する。翌1936年に二・二六事件が起きた。大川は同じく囚われの身になっている北一輝について1936年8月11日の日記に次のように記している。

北君の事がしきりに頭に浮かぶ。何処に閉じ籠められて居るのか解らないが、此頃の暑さには弱って居るだろう。芝居気があり過ぎるほどあるけれど妙に子供らしいところがあるから、果たして毅然として難役を貫き通すか何うか。運命に対して方形なり得るか何うか。芝居がやり通せなくて醜態を暴露しなければよいがと思う。尤も北君とても一ト廉(ひとかど)の人品だから案外あきらめが早く、悠然裡に処するかも解らない。是非そうあって欲しい。何によらず大きいものが好きで、或時は屑屋が持ち歩くような巨大な蟇口を買って来たり、また或時は棍棒のような長大な万年筆を買って来ては喜んで居た。予にもそれらを買ってくれたが、両者とも到底実用に適さなかった。余り出鱈目を飛ばすので、呆れて吹き出すと、ヤ解ったかと言って自分も呵笑する。それほど平気で嘘を云うし、嘘がばれても平気であった。とにかく此の六七年はまったく往来しないから、昔の北君と若干変わって居るかも解らない。(松本健一『大川周明』岩波現代文庫、2004年、260-261頁)

この内容から、大川の北に対する人間的親近感が「果たして毅然として難役を貫き通すか何うか。運命に対して方形なり得るか何うか」という部分に現れている。
戦後、おそらく1953年に大川は「北一輝君を憶う」という論考を書いている。その中でも大川は北に好意的だ。

一言で尽せば北君は普通の人間の言動を律する規範を超越して居た。是非善悪の物さしなどは、母親の胎内に置去りにして来たように思われた。生活費を算段するにも機略縦横で、とんと手段を択ばなかった。誰かを説得しようと思えば、口から出放題に話を始め、奇想天外の比喩や燦爛たる警句を連発して往く間に、いつしか当の出鱈目が当人にも真実に思われて来たのかと見えるほど真剣になり、やがて苦もなく相手を手玉に取る。口下手な私は、つくづく北君の話術に感嘆し、「世間に神憑りはあるが、君のは魔憑りとでも言うものだろう」と言った。そして後には北君を「魔王」と呼ぶことにした。
処刑直前に北君が私に遺した形見の第二の品は、実に巻紙に大書した『大魔王観音』の五字である、北君がこれを書くとき、その中に千情万緒が往来したことであろう。一つ大川にからかってやれという気持ちもあったろう。また私が魔王々々と呼んで北君と水魚のように濃かに交って居た頃のことを思いめぐらしたことであろう。また今の大川には大魔王観音の意味が本当に判る筈だと微笑したことでもあろう。いずれにせよ死刑を明日に控えてのこのような遊戯三昧は、驚き入った心境と言わねばならぬ。(「北一輝君を憶ふ」『近代日本思想大系2:大川周明集』所収、筑摩書房、1975年、364頁)

大川周明は口下手で、また金銭については神経質なくらいに潔癖だった。他人に借りを作るのが嫌いなのである。この点、豪胆な性格で、パトロンから巧みにカネを引っ張り、法螺話か冗談か、真剣な革命論なのかよくわからないが面白い話をする北一輝は、大川にないものを持ち合わせた愛すべきライバルなのである。 処刑直前に「大魔王観音」などという巻紙を書いて寄こす北の生死を超えたユーモアに大川は感服しているのである。
一方、大川の二・二六事件に対する評価は手厳しい。

フランス革命に於けるルソーと同様、二・二六事件の思想的背景に北君が居たことは拒むべくもない。併し私は北君がこの事件の直接主動者であるとは金輪際考えない。
二・二六事件は近衛歩兵第一連隊、歩兵第三連隊、野戦重砲兵第七連隊に属する将兵千四百数十名が干戈を執って決起した一大革命運動であったにもかかわらず、結局僅かに三人の老人を殺し、岡田内閣を広田内閣に変えただけに終ったことは、文字通りに竜頭蛇尾であり、その規模の大なりしに比べて、その成果の余りに小なりしに驚かざるを得ない。しかもこの事件は日本の本質的革新に何の貢献もしなかったのみでなく、無策であるだけに純真なる多くの軍人を失い、革新的気象を帯びた軍人が遠退けられて、中央は機会主義、便宜主義の秀才型軍人に占められ、軍部の堕落を促進することになった。
若し北君が当初から此の事件に関与し、その計画並びに実行に参画して居たならば、その天才的頭脳と支那革命の体験とを存分に働かせて、周到緻密な行動順序を樹て、明確なる具体的目標に向って運動を指導したに相違ない。(前掲書、366- 367頁)

大川周明は、クーデターを結果で判断する。二・二六事件で内閣が交代しても、国家政策は基本的に変化しないまま、日本の現状を真剣に憂いている青年将校やそれを支持する軍高官が遠ざけられ、秀才型で出世主義者の軍事官僚が台頭し、結局、官僚支配が強まったと分析している。それから、大川は政治運動は個人としての決断に基づくべきと考えているので、将校の命令に逆らえない下士官や兵士を巻き込むという二・二六事件の手法にも違和感があったのだと筆者は考える。
大川はこのような稚拙なクーデターに北一輝ほどの能力と洞察力のある者が首謀者であるとは考えていない。思想を裁く必要があったので、北が生け贄とされたと大川は認識している。北一輝が性善説に立脚していたならば、北やその同志を銃殺に追い込んだ日本国家そして、天皇を呪詛したであろう。しかし、北は冤罪による処刑を宿命として受け入れた。もし北が性悪説に立っていたならば、もっと入念に計画された「乾いたクーデター」を引き起こし、権力を奪取していたであろう。筆者の理解では、北も大川同様に人間の本質を善でも悪でもない無記の存在と了解していたのだ。


解説
松本健一は大川周明にとって北一輝を「生涯のライバル」と位置づけている。筆者もその通りであると思う。

戦前の国家主義者で日蓮主義の系列につながる人物として、井上日召、田中智学、石原莞爾そして北一輝などが知られています。
しかし、それぞれの思想の中身については、私はあまり詳しくありません。
いつか調べてみたいと思っています。


獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その25)

2024-11-21 01:39:46 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
●第六章 性善説という病
 □外交を「性善説」で考える日本人
 □「善意の人」が裏切られたと感じると……
 □国家主義思想家、蓑田胸喜
 □愛国者が国を危うくするという矛盾
 ■大川は合理主義者か
 □大川周明と北一輝
 □イギリスにみる「性悪説」の力
〇第七章 現代に生きる大川周明
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第六章 性善説という病

大川は合理主義者か

北一輝と大川周明が20世紀日本の傑出した国家主義思想家であることは論を待たない。この二人の知的巨人は、思想的構成、性格を異にしていたが、人間として互いに認め合い尊敬していた。本章のテーマである性善説、性悪説という観点で、両者の視座は共通している。人間の本性を善でもなければ、悪でもない、無記すなわち価値中立的なものととらえるのである。従って、人間により構成される国家にも蓑田胸喜が付与するような神聖で侵すことのできない絶対的な善の要素を認めないのである。
蓑田胸喜は自分自身を、日本の伝統の回復を求めてやまない復古主義者と見なしているのであろうが、実は、蓑田こそが典型的な近代主義者である。自らが生きる時代の視座をもって日本の歴史の諸事実をつなぎあわせ、単一の価値観で貫かれた歴史を提示する手法は、典型的な近代ロマン主義である。これに対して、大川周明は、『愚管抄』や『神皇正統記』など過去のテキストの読解を通じて、その内在的論理を掴もうとする。その結果として、個別性の中に普遍性を発見し、自己完結した多元的世界像こそが日本の伝統であるという言説を提示する。大川周明の言説は、前近代的な復古主義(プレモダン)であると同時に、近代の限界を超克したポストモダン思想の両義性をもつのだ。この点で、プレモダンかつポストモダンの大川周明と徹底した近代主義者である蓑田胸喜は過去の日本思想史を読解する方法が根本的に異なるので、議論が全く噛み合わないのである。しかし、大川周明と北一輝の議論はよく噛み合っている。理論と実践の分離を徹底的に排除する、すなわち思想をもつということは行動することであるという北の思想も近代主義の枠組みを超克しているので、大川と噛み合うのであろう。
国家主義陣営の思想家は、傾向として人々の情念に訴えるタイプが多い。しかし大川周明は、この陣営では例外的に論理性、合理性を重視するところに特徴がある。これは大川の人間観が性善説、性悪説のいずれにも立脚せずに、無記の立場から突き放して人間を観察していることに基づく。筆者の見立てでは、これは大川が国際的に十分通用する言説を組み立てることを可能にした長所だ。しかし、このような大川の論理性を思想家としての限界と見る識者もいる。例えば、竹内好は大川を合理主義者と規定し、それ故にカリスマになれないとの見立てを示す。

大川が冷酷な人物だと評されるのは、かれの合理主義が禍しているのであって、自分が何ものにも心酔しないし、人からも心酔されない性格に由来するものです。だからカリスマにはなれない。その代り学問の世界では業績を残しました。(竹内好「大川周明のアジア研究」『近代日本思想大系2:大川周明集』所収、筑摩書房、1975年、398頁)

筆者はこの解釈は、大川を誤解していると思う。大川が合理主義を尊重するのは、合理性の限界をよくわかっているからだ。むしろ合理性で割り切れない向こう側の世界に、人間にとって重要な事柄が存在すると考える。合理性で割り切れない世界をはっきりと明示するためにウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』で「記述されうること、それはすなわち起こりうることである。そして因果法則が許容しえないものは、すなわち記述されえないものである」(岩波文庫、2003年、141頁)、「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」(同149頁)と述べているが、大川の合理性重視とはこの認識に近いのである。大川が合理的なものにこだわるのは、本当に重要なのは合理性で割り切れない世界にあることをよくわかっているからである。藤原正彦が『国家の品格』(新潮新書、2005年)で強調している、論理と合理性に依存する改革では日本社会の荒廃を阻止することができないので、論理よりも情緒、合理主義よりも武士道精神を重視しなければならないという主張も、筆者の理解では、大川周明やウィトゲンシュタインと同じ発想なのである。論理や合理主義が適用される世界、例えば法廷審理や株式市場では、当然それに従うが、人間生活の全てに論理や合理主義を適用するのは不当拡張と言っているのだ。決して論理や合理主義を無視して、感情で行動することを是認しているのではない。
大川周明は、合理主義の世界とその向こう側の世界とを行ったり来たりできる類い希な天賦の才能(カリスマ)をもっていた。国家主義陣営の中で、北一輝、井上日召あるいは石原莞爾は、周囲の人々に「この人々が唱える理念のためにならば、自分の命を差し出してもいい」と思わせるようなカリスマをもっていた。宗教指導者と政治指導者のカリスマをあわせもっていたのである。これに対して大川のカリスマは、他者に同調を求めるという形をとらない。しかし、大川は自己の生命や名誉よりもたいせつな理念をもっている。それは、日本国家と日本人が本源的にもつ力に対する信頼だ。この信頼から大川は国体論を組み立てているのである。大川は、民主主義であれ、共産主義であれ、思想の背後にはそれを生み出してきた伝統と文化があるので、それを無視して日本や中国に輸入することは不可能と考えていた。北一輝を含む多くの日本の国家主義者が孫文の国民革命に感情を揺さぶられたのに対し、大川周明は距離を置いた姿勢を示す。大川は孫文の三民主義の基礎となる民主主義(デモクラシー)自体が欧米的な原理であって、アジア解放の手段にならないと考えていた。ちなみに共産主義も大川にとってはロシア的原理なので共産主義がアジアを解放することはできないと考えている。


解説
大川が合理主義を尊重するのは、合理性の限界をよくわかっているからだ。むしろ合理性で割り切れない向こう側の世界に、人間にとって重要な事柄が存在すると考える。

私は、医師として毎日科学としての医学に基づいて合理的な思考のもとに患者の診療にあたっています。
しかし、信仰者として、人間生活においては究極的に合理性を超えたことに重要な事柄が存在していることも実感しています。
そういう意味では、大川の本質は、私に理解しやすいものでした。


獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その24)

2024-11-20 01:07:14 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
●第六章 性善説という病
 □外交を「性善説」で考える日本人
 □「善意の人」が裏切られたと感じると……
 □国家主義思想家、蓑田胸喜
 ■愛国者が国を危うくするという矛盾
 □大川は合理主義者か
 □大川周明と北一輝
 □イギリスにみる「性悪説」の力
〇第七章 現代に生きる大川周明
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第六章 性善説という病

愛国者が国を危うくするという矛盾

まず、歴史観についてである。大川は歴史を人間が自己の生命を時間秩序に従って構成するシステム、つまり自分自身の「小さな物語」を通して、普遍的な歴史を認識すると考えている。既に述べたように世界史についても、並存するいくつもの小世界が切磋琢磨することで進んでいくと考える。それに対し蓑田は、大川の歴史観はライプニッツ流のモナドロジー(単子論=複数の自己完結した小宇宙により世界が構成されているという考え方)であると強く反発し、歴史は個人を超える客観性をもつもので、それに絶対的に服従するのが正しい歴史観であると主張する。

モロモロの臣民各個人が「日本歴史の全体を自己の裏に宿している」というのは、歴史的精神の客観性超個人性を無視否認し、モロモロの「部分が全体なり」というに等しい。君臣の大義を紛更する不忠不臣の凶逆思想は、この全体と部分、歴史と個人との関係を明弁確認せざる学術論理学の方法論的誤謬に基くのである。(「大川周明氏の学的良心に愬(うった)ふ」『蓑田胸喜全集 第六巻』所収、柏書房、2004年、309頁)

蓑田が大川の歴史観をライプニッツ主義と決めつけているが、これはよいポイントを衝いている。ライプニッツ主義に基づくならば、民族や国家はそれぞれ自己完結した「出入りする窓をもたないモナド(単子)」なので、それぞれ独自の神話に基づいた歴史物語をつくり、共生・共存する。ここから歴史的に逆賊として処理された人々についても、逆賊の内在的論理を追体験、再解釈することにより、レッテル貼りではわからない真理が見えてくる。真剣に生きた人間は何らかの真理をもっているという歴史観になるので、逆賊とレッテル貼りされた人々の生き方の中に愛国者としての姿が見えてくるのである。筆者の理解では、大東亜共栄圏の発想も自己完結的な多元社会モデルをとるライプニッツ主義に基づいているのであり、植民地を外部に獲得していくという帝国主義とは思想的構えが異なるのである。蓑田の歴史観は単純で、全体が部分に優先し、歴史は個人に優先するので、それを認めない輩はすべて国賊だということになる。そして全体や歴史は天皇に体現され、それは「明治天皇御集」の和歌の解釈で客観的に確定できることになる。逆説的であるが、歴史的客観性を確信する蓑田の歴史観はスターリンの「史的唯物論」に近い。
この歴史観を天皇観に敷衍すると、大川の場合は、多元世界を担保する普遍的原理が天皇なので、日本人がキリスト教、仏教、イスラームを信奉しても何の問題もない。蓑田によれば、宗教としての天皇に帰依しない者は日本人ではない。蓑田の方法論からは日本人である以上、全員が同じ世界観をもつべきであるという普遍主義が導かれる。ここでは内心の自由は認められない。
第二に明治天皇に対する評価についてである。蓑田は大川の天皇観が西欧流の王権神授説だと一方的に決めつける。それだから「ナポレオンやレニン、スターリンと並列して、恐れ多くも、明治天皇を『専制者』と申上ぐるごとき言語道断真に驚くべき表現をさえ敢てしている」(前掲書、306頁)のだ。蓑田は大川の論理連関を無視し、共産主義者レーニン、スターリンと明治天皇を並列しているという難癖をつけている。
第三は、『神皇正統記』に対する評価の問題についてである。大川は南北朝時代の南朝イデオローグ、北畠親房の『神皇正統記』が描く他者に寛容な多元的世界観を高く評価するが、それが蓑田には気に入らない。そこで蓑田は国粋主義者で北畠親房の史観に批判的な国語学者山田孝雄の言説に追従する中で大川を批判する。
例えば、藤原家の摂関政治が天皇親政を変更した反国家的出来事であるにもかかわらず、親房がそれを批判しないのはおかしいと指摘する。さらに嵯峨天皇が弟の淳和天皇に譲位したことを親房が「兄弟の謙譲の美徳」と評価していることに猛反発し、私情によって皇位継承の「ゲームのルール」が変更された事例を肯定的に評価する親房の言説は『正統記』に値しないと決めつける。
第四は、足利尊氏、源頼朝を国賊とみるか否かについてである。「人物についてのみ見れば、尊氏兄弟は実に武士の上に立ちうる主将の器であった」(大川周明 『日本二千六百年史』第一書房、1939年、210-211頁)と足利尊氏の統率力を大川が肯定的に評価したことに関しても蓑田は猛反発する。蓑田は足利尊氏を表記するときに尊称のニュアンスをもつ尊氏を避け、高氏と記す。

「室町幕府の根本的の弱点」についても単に「統一の欠如」というごとき言葉を用いて、その凶逆反国体性を無視している。(中略)高氏が朝廷に反逆し奉り、大川氏も認むる「自己の功名」を遂げんとして人心収攬に憂身をろうした点にあることを洞察せず洞察しても言わざるものであ
って、いずれにせよ、これ大川氏の史論における国体観念の不明徴を実証するものなるはいうまでもないのである。(前掲書、325-326頁)

さらに大川が、「源頼朝は、極端なる勤王論者によって、皇室を蔑(な)みせる罪魁(ざいかい)の如く非難されるけれど、その心において皇室に不忠なるものではなかった。むしろ頼朝は、生まれながらの勤王家なりしというをあたれりとする」(大川周明『日本二千六百年史』第一書房、1939年、139頁)と書き、また頼朝が鎌倉幕府を開いたのは「決して私心から出たものとは思わない」(同141頁)と評価したことに蓑田は噛み付く。

昭和の「憲政常道論」「議会中心政治」も実に「政治を円滑に行わんとする」ことを標榜した。これがミノベ「機関説」以外の何物でもないということは今細論する必要はあるまい。大川氏の(源頼朝、(北条)泰時、(足利)高氏弁護論が「天皇機関説」でないという反証を何人か提示しうるであろうか?(前掲書、329頁)

蓑田は大川に対して筆誅を加えるとともに、同志の宅野田夫が検事局に大川を不敬罪で告発する。再び大川を「塀の中」に送ろうとしたのだ。検事局は告発を受理したが、不起訴にした。「ただ内務省当局は問題になった個所の修正を求めた。これに対し博士は、根本の精神が貫かれ、日本国民に官製歴史教科書と異る生き生きした歴史観を与えることができるなら、あえて字句の末節にこだわらぬという態度をもって、『日本二千六百年史』の改訂に応じた」(中村武彦「『日本二千六百年史』の改訂版・事情」『大川周明全集 第七巻』所収、岩崎書店、1950年、参考資料1-2頁)。
しかし、その改訂の実態は「字句の末節」の修正にとどまらない、史観の本質的転換を伴うものだった。大塚健洋氏は、『日本二千六百年史』の各版を比較検討して、大川周明が筆を曲げたことを明らかにする。

結局、『日本二千六百年史』は、多くの部分にわたって改訂を余儀なくされた。天皇の行為に敬語が使われるようになったほか、「日本は恐らくアイヌ民族の国土であった」が、「日本にはアイヌ民族が住んでいた」と改変されるなど、微妙だが重大な修正が行われている。はなはだしい場合には、意味がまったく逆になっている箇所すら存在する。たとえば、蒙古を撃退できた理由について、「決して伊勢の神風のみではない」とあったのが、「正に伊勢の神風と」云々となり、 北条氏滅亡の原因について、「当時の国民の勤王心に帰すならばそは甚だしき速断である」が、「当時の国民の勤皇心と」云々に変わっている。(大塚健洋『大川周明』中公新書、1995年、142頁)

なお、足利尊氏に関して肯定的に書かれた部分も全面的に削除された。
こうして蓑田胸喜は「日本ファシズム」の総元締めに対しても勝利し、論壇での地位を不動のものにする。その後、蓑田は目立った論争を行わなくなる。それは「まさに社会がそして帝国大学が蓑田化したことによる落差=差異の消滅から蓑田や原理日本社が御用済みになったからである」(竹内洋「蓑田胸喜伝序説前半生を中心に」『蓑田胸喜全集 第一巻』柏書房、2004年、833頁)との評価に筆者も同意する。
蓑田胸喜は決して無反省な性格ではない。自著『国防哲学』(原理日本社、1936年、全集第六巻に収録)の中で教育勅語の引用に誤植を生じたことについては「平生忠節の誠足らざりし結果にて誠に申し訳なく恐懼の至りに存じ明治神宮に参拝致し畏まりを申し上げました」(『蓑田胸喜全集 第六巻』、1021頁)との対応だ。誤植を詫びに明治神宮に参拝するというのは、当時の基準でも普通でないが、これは蓑田の生真面目さを物語るエピソードだ。また、蓑田は金銭に潔癖で、原理日本社の会計報告もきちんと行っている。蓑田に関してカネ絡み、セックス絡みのスキャンダルも聞こえてこない。蓑田胸喜の理論と実践も完全に一致している。終戦5ヵ月後の1946年1月30日、蓑田は熊本県の自宅で縊死した。時代の精神に殉じたのである。
蓑田胸喜は主観的には日本のルネッサンス(再生)に全身全霊を投入していたのであろうが、第三者の立場から突き放して見るならば、自己のルサンチマン(怨念)と思い込みで目が曇り、日本の言論空間を閉塞状況に追い込んで、国家破滅の道備えをした。蓑田のキャラクターは、生真面目であると同時に思い込みが激しい。筆者の解釈では「巨人の星」の星飛雄馬型である。
しかし、蓑田に象徴される自己閉塞的なナショナリズムの凄みは、民族国家のためには自己の生命を捨て去る気構えができていることだ。大多数の人々にとって宗教が生き死にの原理でなくなった現代においても、ナショナリズムは生き死にの原理を提供する代替宗教としての機能を果たしているのだと思う。しかし、自己の生命を大切にしない人は、他者の命を大切にしないし、他者の内在的ロジックを掴むことが苦手になる。そして「思い込んだら試練の道を~~」という星飛雄馬型で閉塞した言論空間を作りだしていく。われわれが蓑田から学ぶことは、主観的には愛国心に燃え、絶対の真理を確信する型の生真面目な論壇人が日本国家と日本人の生存を危うくするという逆説的な真理である。

 


解説
蓑田胸喜は主観的には日本のルネッサンス(再生)に全身全霊を投入していたのであろうが、第三者の立場から突き放して見るならば、自己のルサンチマン(怨念)と思い込みで目が曇り、日本の言論空間を閉塞状況に追い込んで、国家破滅の道備えをした。蓑田のキャラクターは、生真面目であると同時に思い込みが激しい。筆者の解釈では「巨人の星」の星飛雄馬型である。

私(獅子風蓮)からみたら、佐藤氏自身も自己のルサンチマン(怨念)と思い込みで目が曇り、日本の言論空間を混乱に追い込んでいると言えなくもない。とくに創価学会を援護する論評において。
佐藤氏のキャラクターは、まさに「生真面目であると同時に思い込みが激しい」とは言えないか。
そのことの検証は、これから氏の著書を読み込んでいくことで次第に明らかになってくると思います。


われわれが蓑田から学ぶことは、主観的には愛国心に燃え、絶対の真理を確信する型の生真面目な論壇人が日本国家と日本人の生存を危うくするという逆説的な真理である。

この「真理」は、佐藤氏にブーメランのように返ってくるような気がします。
実際、佐藤氏は池田大作氏の死亡の後も創価学会・公明党は衰退することなく世界に向かって発展するというようなことを言ってきましたが、実際のところは先日の総選挙の結果を見るまでもなく、創価学会・公明党は確実に衰退してきています。
佐藤氏は、主観的には本気で創価学会・公明党が好きでこれを擁護する論評をしたつもりなのでしょうが、そのことで創価学会員が自省の機会を失い、ズルズルと衰退の道を歩むのなら、創価学会員にとってははた迷惑なことです。「贔屓の引き倒し」とはこのことでしょう。


獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その23)

2024-11-19 01:49:17 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
●第六章 性善説という病
 □外交を「性善説」で考える日本人
 □「善意の人」が裏切られたと感じると……
 ■国家主義思想家、蓑田胸喜
 □愛国者が国を危うくするという矛盾
 □大川は合理主義者か
 □大川周明と北一輝
 □イギリスにみる「性悪説」の力
〇第七章 現代に生きる大川周明
□あとがき


第四部 21世紀日本への遺産

第六章 性善説という病

国家主義思想家、蓑田胸喜

蓑田胸喜は1894年1月26日、熊本県八代郡野津村(現在の八代市)で生まれた。生家は材木商兼旅館であった。熊本の第五高等学校を経て1917年、東京帝国大学文科大学哲学科宗教学宗教史学科に入学する。大学時代は、リベラルな学生が結集した「新人会」に対抗して、上杉慎吉東大教授の肝いりで作られた国家主義団体「興国同志会」で活躍した。キリシタン研究で著名な姉崎正治教授が指導教授になったが、姉崎は、思い込みが激しくエキセントリックな蓑田の性格を嫌い、きちんとした指導をしなかったようである。当然、東京大学で教職のポストを得ることもできなかった。これが蓑田のルサンチマン(怨念)の出発点になる。
蓑田は学生時代から、歌人で国家主義思想家でもある三井甲之に師事する。大学卒業後、三井の主宰する『人生と表現』の編集を手伝いながら、右翼運動に従事する。1922年、蓑田は慶應義塾大学予科の教授になり(1932年に国士舘専門学校教授に転出)、1925年に『原理日本』を創刊し、日本の国家体制を強化するためには「学術革命」を行う必要があると主張した。『蓑田胸喜全集』の編纂にあたった竹内洋京都大学名誉教授が『原理日本』の性格について端的にまとめているので引用する。

(中略)

蓑田胸喜の反共思想は捻れている。共産主義を直接攻撃の対象にするのではなく、共産主義のような反日・反国体思想を野放しにしている自由主義に現下日本の病因があるので、まず自由主義の拠点になっている東京大学や京都大学の自由主義的教授陣を壊滅させてしまおうとするのである。また、蓑田は反日・反国体思想の壊滅は言論戦による筆誅だけでは不十分で、政治力や暴力を臭わせる天誅も必要であると考える。具体的には、菊池武夫貴族院議員や猪野毛利栄衆議院議員(政友会)をはじめとする右翼政治家、さらに国会外の圧力団体(例えば政教社の五百木良三が発起人となった国体擁護連合会)を用いて、ターゲットとなった学者や論壇人を着実に葬り去っていく。蓑田が展開した天皇機関説批判、国体明徴運動で、美濃部達吉東京帝大法学部教授、瀧川幸辰京都帝大法学部教授、津田左右吉早稲田大学教授等を著作発禁・辞職に追い込んだ。
自由主義者をすべて駆逐した後、蓑田のエネルギーは他の国家主義者に対して向けられる。ここで大川周明がターゲットにされる。すでに述べたように大川は五・一五事件で下獄したが、1937年10月に仮釈放になり、右派、国家主義陣営の論客として精力的に活動する。大川の著作は、論理明晰で文体や構成も優れているのでいずれもベストセラーになった。特に1939年に出版された『日本二千六百年史』(第一書房)は、翌1940年が皇紀2600年に当たることもあって50万部を超えるベストセラーとなった。蓑田も多くの著作を公刊したが、大部分が自らが主宰する原理日本社からで、大新聞や論壇誌の書評に取り上げられたこともほとんどなかった。蓑田の著作は陸軍省が機密費で買い上げていると噂さえされた。五・一五事件で前科者として“整理”されたはずの大川が再び脚光を浴びることに蓑田は我慢できなかった。ここには明らかに男の嫉妬がある。蓑田は1940年に「大川周明氏の学的良心に愬ふ」(『蓑田胸喜全集 第六巻』に収録)という論考を発表し、四つの論点で大川周明を追いつめる。その四点について具体的に見てみよう。


解説
蓑田が展開した天皇機関説批判、国体明徴運動で、美濃部達吉東京帝大法学部教授、瀧川幸辰京都帝大法学部教授、津田左右吉早稲田大学教授等を著作発禁・辞職に追い込んだ。

蓑田胸喜と言っても私は知りませんでした。
しかし、美濃部達吉東京帝大法学部教授の天皇機関説を批判して攻撃した国家主義思想家だったのですね。


獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その22)

2024-11-18 01:12:33 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
〇第六章 性善説という病
 □外交を「性善説」で考える日本人
 ■「善意の人」が裏切られたと感じると……
 □国家主義思想家、蓑田胸喜
 □愛国者が国を危うくするという矛盾
 □大川は合理主義者か
 □大川周明と北一輝
 □イギリスにみる「性悪説」の力
〇第七章 現代に生きる大川周明
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第六章 性善説という病

「善意の人」が裏切られたと感じると……

しかし、日本の場合、外交官や国際政治専門家の多くが性善説に立って外交政策を組み立て、相手国の予期せぬ行動で期待通りにいかないと、過度の挫折感を味わうというパターンを繰り返している。国民も基本的に性善説に立って国際関係を見る。その結果、日本人の見る世界像と日本人以外の人々の世界像の間に大きな乖離が起こるのだ。善意の人ほど、その善意が認められないと怒りを覚える。国家にしても同じ傾向がある。自らの善意を常に傷つけられているという意識を持っている個人や国民は、結果として排外的民族主義を唱道することになる。
戦前日本の事例を見てみよう。第一次世界大戦に勝利した連合国の一員である大日本帝国は、1919年のパリ(ヴェルサイユ)講和会議で、人種差別撤廃条項を提案したが、イギリス、オーストラリアの強力な反対、さらにアメリカの中途半端な対応で、提案は拒絶された。日本は国際連盟の有力メンバーとして話し合いによる国際紛争の解決に努力した上、軍縮会議では大川が『米英東亜侵略史』で言及したように、日本に不利になる条約を締結するなど、国際平和を維持するために誠実な努力をした。アメリカやイギリスが建前として述べる理想を、性善説に立つ日本は額面通りに受け止めたのである。しかし、欧米列強は植民地主義を決して放棄しなかった。その現実に気づいたとき、日本は列強の二重基準に騙されたと心底憤慨し、そのような二重基準をとるシニカルな諸国と、汚い「ゲームのルール」を構築して生き残りを図るというような姑息な手段よりも、世界に新たな道義を導入することに魅力を感じた。そして、中国、東南アジア諸国、さらにインドを新たな世界秩序を形成するメンバーと考え、大東亜共栄圏の構築を真摯に考えた。ここでも大東亜共栄圏のメンバーとなる諸国の善意に期待するという日本の性善説が現れている。
帝国主義国による植民地支配からの解放を願っていた諸国も、それぞれの政治目標は異なっていたが、他民族や他国家の本性を性悪説でとらえていた。当然のことながら自民族、自国も性悪説の原理、すなわち基本的に自己の利益だけを考え、他者を犠牲にしてでもその利益を追求するのであるが、あまりやりすぎて他民族や他国家からの反発が強くなりすぎると、逆に自民族と自国家の利益を損なうと計算して、国際協調という名の折り合いをつけたのだ。
日本人はこのような性悪説に基づいて外交を組み立てることが苦手なのである。従って、いつも、他国も日本国家と同じく性善説に基づいて行動すると想定して足下をすくわれるのだ。そのような経験が蓄積すると、性悪説に基づいて行動する周辺諸国の全てが敵に見えてくる。一般論として、善意の人が「裏切られた」という意識を強くもつと、今度は極端に攻撃的になるのである。特に問題なのは国家主義的傾向の強い人々の「性善説という病」が、排外的民族主義という形で発症する場合である。
右派・国家主義者の言説は、アジア主義という形で国際的広がりをもつ言説と極端に純化した自己閉塞的言説に分かれる。現実政治により強い影響を与えるのは後者の自己閉塞的言説だ。この種の言説は、おそらく無自覚のうちに自己絶対化の誘惑に陥り、国家の選択の幅を著しく窮屈にしてしまう。結果として外交の硬直化をもたらし、国益を毀損する。ただしこのような自己閉塞的言説は、「日本政府は国内においても外交でも毅然たる対応をとれ」と強調するのみで、外交における具体的政策を提案することがないので、その内在論理が外交にいかなる悪影響を与えるかについて実証的に説明することが難しい。

ここで大川周明に対する強い敵愾心を隠さなかった国家主義思想家、蓑田胸喜を通して、自己閉塞的な国家主義者の言説が孕んでいる問題点を考えていきたい。 大川周明は北一輝と比較すると、中国革命に対する関与は小さいが、イギリスのインド植民政策に通暁し、インドの独立活動家に具体的支援を与えたことからも明らかなように、アジア主義の系譜に連なる思想家であることは間違いない。同時に大川は、帝国主義としてのイギリスとアメリカの質的差異を認め、「米英可分論」の立場から、日米戦争を回避するための交渉を在米インド人脈・ユダヤ人脈を通じて行うなど、現実主義者としての面がある。これに対して蓑田には国際政治の現実と噛み合う論理が欠如している。

 


解説
日本人はこのような性悪説に基づいて外交を組み立てることが苦手なのである。従って、いつも、他国も日本国家と同じく性善説に基づいて行動すると想定して足下をすくわれるのだ。そのような経験が蓄積すると、性悪説に基づいて行動する周辺諸国の全てが敵に見えてくる。

優れた外交官であった佐藤氏のこの分析は、おそらく正しいのでしょう。


獅子風蓮