獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『国家の罠』その24

2025-02-07 01:14:23 | 佐藤優

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

まずは、この本です。

佐藤優『国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』

ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行。

国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて
□序 章 「わが家」にて
□第1章 逮捕前夜
□第2章 田中眞紀子と鈴木宗男の闘い
 □「小泉内閣生みの母」
 □日露関係の経緯
 □外務省、冷戦後の潮流
 □「スクール」と「マフィア」
 □「ロシアスクール」内紛の構図
 □国益にいちばん害を与える外交官とは
 □戦闘開始
 □田中眞紀子はヒトラー、鈴木宗男はスターリン
 □外務省の組織崩壊
 □休戦協定の手土産
 □外務官僚の面従腹背
 □「9・11事件」で再始動
 □眞紀子外相の致命的な失言
 □警告
 □森・プーチン会談の舞台裏で
 □NGO出席問題の真相
 ■モスクワの涙
 □外交官生命の終わり
□第3章 作られた疑惑
□第4章 「国策捜査」開始
□第5章 「時代のけじめ」としての「国策捜査」
□第6章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
□あとがき
□文庫版あとがき――国内亡命者として
※文中に登場する人物の肩書きは、特に説明のないかぎり当時のものです。

 


モスクワの涙

その後、私は以前からの約束があるためモスクワに向かった。モスクワに行く直前にある外国人から連絡があった。1月24日のことである。
「佐藤さん。今、日本から離れない方がよいと思います。これから鈴木宗男さんの周辺でたいへんなことが起きます。佐藤さんが鈴木さんを助けてあげなくてはなりません」
私はこの情報をモスクワ行きの約束を取りやめるほど重要だとは捉えなかった。むしろ最近、鈴木氏と官邸の関係は改善したと見ていた。
2月17日、自民党幹部からモスクワ滞在中の鈴木氏に電話があり、衆議院議院運営委員長に就任して欲しいとの打診があった。議院運営委員長は、議長、副議長に次ぐナンバー3のポストだ。小泉首相の了承なくしてこの人事はありえない。鈴木氏と官邸の関係は十分安定していると私は見ていた。
野上義二事務次官は、田中女史が国会で答弁した野上次官による電話連絡自体を否定。これにより、国会を舞台に大臣と事務次官が全面的に対立するという前代未聞の事態となった。野上次官は特に無理をして鈴木氏を守ったわけではない。事実を事実と言ったのみだ。しかし、世論は、野上次官が嘘をついてまで鈴木氏を守っているとの印象を強めた。
私は、モスクワから毎日一回、鈴木氏に国際電話を入れたが、鈴木氏は「東京は大丈夫だ。あんたはモスクワで思う存分仕事をすればよい」と快活な対応だったので、特に心配もしなかった。
外務大臣と事務次官の国会答弁が食い違うと言うことは、国政で本来あってはならない話だった。どちらかが嘘をついているということだ。しかし、小泉首相は、事実関係を徹底的に詰めることはせずに田中外相、野上次官の両名を更迭し、それと同時に国会混乱の責任をとって鈴木氏は議運委員長を辞任する手続をとった。マスコミはこれを小泉流の「三方一両損」と受けとめたが、実態は少し異なっていた。イニシアティブをとったのは小泉首相ではなく鈴木氏だった。
1月29日夕刻、私はモスクワ・シェレメチェボ国際空港のバーで、見送りに来てくれた気心の知れた書記官と一緒にウオトカを飲んでいた。少し疲れたので、飛行機の中ではゆっくり寝ようと思っていた。私は書記官の携帯電話を借り、東京の親しい政治部記者に電話をした。いつも沈着冷静なその記者が「今はちょっと電話で話ができない。たった今、小泉が眞紀子と野上を更迭した。宗さんも辞表を出した」と早口で言って、電話を切った。
私は鈴木氏に電話をかけた。電話はつながらないものと考えていたが、鈴木氏自身が電話口に出た。私は「こんな形の終わりでいいんですか。嘘をついているのは向こう(田中女史)なんですよ」と言った。
鈴木氏は、「佐藤さん、心配しないでいいよ。これは俺から切ったカードなんだ。『田中をやめさせて下さい。それならば私も引きましょう」と俺から総理に言ったんだ。総理から担保もとっている。田中をやめさせただけでも国益だよ」と淡々と電話口で述べた。
私の眼から涙がこぼれた。私は涙もろい方ではない。それ以上に、同行していた書記官は感情を表さない訓練がよくできている人物で、私は彼女が涙を流した姿をほとんど見たことがないが、彼女ももらい泣きをしていた。書記官が私に「佐藤さん、ほんとうにこれで終わり、大丈夫と思いますか」と問いかけてきた。
私は「大丈夫ではないと思う。これから1ヵ月が勝負だが、もはや僕たちの手を離れた世界の話だ。僕は生き残れないかもしれない。あなたたち若い人は、うまく逃げ切ることだ。僕はもうモスクワには来ることもないかもしれない」と答えた。

外務省では、大多数の省員が田中更迭を歓迎したが、これと共に鈴木宗男氏の影響力が決定的に強まり、田中時代に鈴木氏、更に私と対峙した人々には激しい圧迫が加えられるとの恐怖が走った。
2月1日、イーゴリ・イワノフ露外相が訪日した。その晩、イワノフ外相、森前首相、鈴木氏との会談が六本木の寿司屋で行われ、私も同席した。夕食会の後、イワノフ外相は小泉首相を表敬した。寿司屋の外ではテレビカメラを含め数十名の記者が待機しているので、私と鈴木氏は、15分程時間をおいて外に出た。幸い記者は去った後だった。
車で外務省に戻ろうとする途中で携帯電話が鳴った。パノフ大使からだ。これからイワノフ外相の部屋に鈴木氏を呼び、明日の外相会談の準備も兼ねてざっくばらんな話をしないかという提案だった。
私は角崎利夫欧州局審議官と外務省の通訳に電話をして、ホテルに来るように頼んだ。イワノフ外相と鈴木氏の間では、タジキスタンにおける日露の戦略的提携とイルクーツク首脳会談までの合意を踏まえて今後の平和条約交渉を加速させることについて意見交換がなされた。
鈴木氏は、平和条約交渉について、北方四島が日本領と確認されない限り平和条約は締結できないという原則だけは絶対に譲らなかった。また、領土問題を迂回して経済関係が発展できるとの立場にも与しなかった。上手な連立方程式を作って、領土も経済も戦略的提携も日本にとって有利な方向に進めるとの野心をもっていることをロシア人の前で隠さなかった。このように北方領土問題にあくまでもこだわったことでロシア人政治エリートは鈴木氏、東郷氏、そして私を信頼したのである。ロシア人とは原理原則を大切にする相手とだけ真剣な取り引きをするのである。
その日は徹夜で会談記録を作り、翌2月2日午前中に十全ビルの鈴木事務所を訪れ、渡した。外にはテレビの中継車が一台停まり、十数名の記者がいたが、幸い私に気付いた者はいなかった。
鈴木氏は「あんたと俺のツーショットをみんな狙っているので、注意しよう」と言った。そして、私が鈴木宗男氏と会うのはこれが最後となった。
その後も、逮捕される5月14日まで、毎日、最低2回は私は鈴木氏に電話を入れるようにしたが、面会は差し控えた。
イーゴリ・イワノフ外相と鈴木氏が外相会談前に会ったということは、一部外務省幹部にとっては衝撃だった。「今後、重要なことは全て裏で鈴木が決めるようになる。これでは外務省はいらなくなる」といった内容の外務省幹部のオフレコ懇談の内容が私の耳にも入った。

今回はワイドショー、週刊誌のみならず一般紙も鈴木叩きの論調に傾いた。「鈴木宗男の運転手をする外務省幹部」という見出しで私を扱った記事が「週刊文春」に出たのを契機に、外務省内部、それもロシアスクールの幹部しか知らない内容に種々の嘘を混ぜた情報が各週刊誌、月刊誌に掲載されるようになった。この嵐は止まらないというのが私の見立てだった。外務省幹部の何人かからアプローチがあった。
「君も早く鈴木攻撃を始めろ。そうすれば逃げ切ることができる」という話が大半だった。これに対して、「私は鈴木宗男を外務省員としても、佐藤優個人としても尊敬しています。ですからそのような話には乗れません」と答えた。
その後、外務省内部の調査でも私はこのフレーズを繰り返すことになる。もちろん、私には鈴木氏への想いもある。しかし、それよりも私は、この騒動を私が付き合っている外国人たちがどう受けとめるかということに関心があった。
私を含め、外務省関係者は鈴木宗男氏こそが日露関係のキーパーソンであるとロシア人に紹介してきた。もし、私が鈴木氏を裏切れば、ロシア人は今後、日本人外交官がどのような政治家をキーパーソンと紹介しても、信用しないであろう。私が最後まで鈴木氏と進み、一緒に沈めば、ロシア人は「われわれが信用する日本人外交官が、この政治家は信用できるといえば、それは本気の発言だ。政治の世界に浮き沈みはつきものだ。いつかまた、われわれが信用する日本人外交官がこの政治家は信用できると言って紹介してくれば、その話に乗ってもロシア側が裏切られることはない」と受けとめてくれる。これがロシア人の常識なのだ。
ロシア人はみなタフネゴシエーターで、なかなか約束をしない。しかし、一旦、約束すれば、それを守る。また、「友だち」ということばは何よりも重い。政治体制の厳しい国では、「友情」が生き抜く上で重要な鍵を握っているのである。このことはイスラエルをはじめとして世界中で活躍するユダヤ人についても言えることだった。私が沈むことによって、ロシア人とユダヤ人の日本人に対する信頼が維持されるならば、それで本望だと私は思った。
竹内行夫駐インドネシア大使が事務次官に任命された時点で、私は腹を括った。竹内次官の哲学はただ一つ、外務省という「水槽」を守ることだ。この点で、竹内氏は野上次官の正統な後継者である。本質的にノンポリなのである。川島前次官、丹波外務審議官、東郷局長がもっていたような、政治のダイナミズムを巧みに用いて外交ゲームをしようという腹はない。
もちろん、竹内次官の内在的ロジックでは、外務省という「水槽」が維持、強化されることが、国益なのであろう。ただし、この類の人物は鈴木宗男氏を排除したいと強く考えていても自らリスクを冒すことはない。全ては官邸、それも小泉首相がどう考えるかで動くタイプの官僚と見ていい。
鈴木氏が田中更迭にあたって「鈴木氏からカードを切った」ことが恐らく裏目に出るだろうと私は思った。小泉氏にすれば、それは鈴木氏が閣僚人事にまで手を突っ込んできたことになる。
鈴木氏本人は、嫉妬心が希薄な人物だけに田中女史や小泉氏の嫉妬心に気がついていない点が致命的に思えた。2月1日の参議院予算委員会で小泉総理が「今後、鈴木議員の影響力は格段に少なくなる」と述べたことはレトリックではない。この時点で既に流れは決まっていたのである。そして、これはほんとうの戦争だ。いくところまでいくだろう。しかも、私の持ち時間は限られている。私は背筋が寒くなるのを感じた――。

 

 


解説
小泉首相は、事実関係を徹底的に詰めることはせずに田中外相、野上次官の両名を更迭し、それと同時に国会混乱の責任をとって鈴木氏は議運委員長を辞任する手続をとった。マスコミはこれを小泉流の「三方一両損」と受けとめたが、実態は少し異なっていた。イニシアティブをとったのは小泉首相ではなく鈴木氏だった。
(中略)鈴木氏は、「佐藤さん、心配しないでいいよ。これは俺から切ったカードなんだ。『田中をやめさせて下さい。それならば私も引きましょう」と俺から総理に言ったんだ。総理から担保もとっている。田中をやめさせただけでも国益だよ」と淡々と電話口で述べた。

私は、別のところ(獅子風蓮の夏空ブログ)で、この本『国家の罠』のマンガ版ともいうべきマンガのことを書いています。

マンガ「憂国のラスプーチン」を読む その23(2025-01-28)
ここでは、小泉首相の側から田中真紀子を最初に切ったかのような書き方になっています。
この本『国家の罠』と、ちょっと食い違いますね。
どちらが正しいのでしょうか。

 

獅子風蓮



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