獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

東村山市議転落死事件~創価学会側の主張(11)

2023-04-24 01:13:50 | 東村山女性市議転落死事件

柳原滋雄氏は中田光彦の名前で多数の文章を主に創価学会系の雑誌『潮』に発表しています。

Wikipediaによると、柳原滋雄氏は、早稲田大学在学中の1985年に、創価学会へ入会。
創価学会員である柳原滋雄氏の主張は大きなバイアスがかかっていると見た方がいいでしょう。

柳原滋雄氏は自身のホームページの中で「コラム日記」を書いており、「東村山市議転落事件」についても現在も積極的に記事をアップしています。

さっそく、「柳原滋雄のホームページ」からいくつか気になる記事をピックアップしてみましょう。

 


■東村山市議の闇5 朝木明代の万引きの背景(2022/11/24 木曜日)

朝木明代の娘である朝木直子と矢野穂積がいつ頃から親密性を深めたのかは定かでない。明代の死後、2人が恋人同然のいちゃついた姿でいるのを見て「不謹慎」と感じた市民がいたことも事実だ。ともあれ、東村山の人気市議だった朝木明代を含む「草の根」会派から3人を擁立し全員当選させるという目論見は破綻し、加えて、苦し紛れに行った議席譲渡には市民から猛反発する動きが出てきて、朝木明代への重圧は一層強くなった。

朝木明代が東村山市内の洋品店で万引き行為を取り押さえられたのは1995年6月19日の午後3時すぎのことだった。盗ったのはわずか1900円のTシャツで、その場で店主に取り押さえられ、結果的には「未遂」に終わっている。だが店主によると発覚したのは2度目であり、1度目はまさか市議会議員がそんなことをするとは信じられないまま、見逃す結果になったという。そのため今度こそはと身構えていたところに案の定、明代が現れ、再び万引きを繰り返したというわけだった。

その場には複数の客がいて、客の勧めもあり、店主は東村山署に届け出た。その結果、軽微な万引き事件は朝木明代自身の取り調べに発展し、その後の転落死事件へとつながっていく。

死亡当時、明代には3つの重圧がかかっていたと推察される。一つ目は、議席譲渡問題に関する会派中心者としての責任。2つめが矢野穂積と娘である直子との関係性である。そして3つめに、この万引き事件という自身が起こした不始末の影響だ。この不始末行為に対し、矢野穂積から鋭い叱責が飛んだことは同人の性格を知る者なら容易に想像できる。

万引き事件は、上記の1と2などの要因から、ストレスに耐えきれなくなった明代が、自身の職業的地位も顧みずに起こしてしまった行動とみられる。


(つづく)

 

 


解説
朝木明代の娘である朝木直子と矢野穂積がいつ頃から親密性を深めたのかは定かでない。明代の死後、2人が恋人同然のいちゃついた姿でいるのを見て「不謹慎」と感じた市民がいたことも事実だ。

柳原氏はこう書いていますが、不確かな噂をもとに直子さんと矢野氏の間に何かあったかのような印象を与える書き方は許せません。

Wikipediaによると、矢野氏は2021年11月30日に亡くなっています。
もう訴えられる心配がないから、矢野氏については何を書いても構わないと思っているのでしょうか。

柳原氏、卑劣です。


獅子風蓮


東村山市議転落死事件~創価学会側の主張(10)

2023-04-23 01:57:43 | 東村山女性市議転落死事件

柳原滋雄氏は中田光彦の名前で多数の文章を主に創価学会系の雑誌『潮』に発表しています。

Wikipediaによると、柳原滋雄氏は、早稲田大学在学中の1985年に、創価学会へ入会。
創価学会員である柳原滋雄氏の主張は大きなバイアスがかかっていると見た方がいいでしょう。

柳原滋雄氏は自身のホームページの中で「コラム日記」を書いており、「東村山市議転落事件」についても現在も積極的に記事をアップしています。

さっそく、「柳原滋雄のホームページ」からいくつか気になる記事をピックアップしてみましょう。


■東村山市議の闇4 矢野と朝木明代(2022/11/22 火曜日)

矢野穂積と朝木明代の関係については宇留嶋瑞郎著『民主主義汚染』(1998年)に詳しい。それによると2人が初めて知り合ったのは1975年。互いが30歳前後のときだったという。同書に次のようにある。「朝木明代と矢野穂積が親密な関係になっていくのはその翌年のこと」。さらに82年の終わりごろ、喫茶店の2階に活動拠点としての事務所を借りた。この場所は「矢野と明代の活動の拠点となっただけでなく、2人がプライベートな関係を深めた場所でもあったようだ」と意味深な表現で指摘している。このころ矢野が35歳、朝木明代が38歳だった。一方、転落死事件に対する逆の立場の人間だが、乙骨正生著『怪死』(1996年)では2人の関係について次のように書いている。

「誹謗中傷の極めつけにあるのがW不倫情報。朝木さんと矢野さんは、以前からW不倫関係にあり、2人が性交渉していた声が、事務所から漏れていたなどとの噂が、東村山市内では、創価学会・公明をはじめとする反『草の根』グループからまことしやかに流されているのである」

ここで私は2人が不倫関係にあったかどうかの事実を詮索するつもりはない。指摘しておきたいのは、乙骨正生という人物が自らの著作の中で、矢野穂積と朝木明代の関係性もしくは疑惑を端的に記述した事実であり、その後、矢野側が乙骨正生を名誉毀損で提訴した事実もなかったという経緯である。こうしたプライベートな関係は、実際は証明するのは簡単ではない。
(以下省略)

(つづく)


解説
「2人が不倫関係にあったかどうかの事実を詮索するつもりはない」といいながら、柳原氏は、矢野氏と朝木議員の間に不適切な関係にあったかのような印象を植え付けます。
乙骨氏は反『草の根』グループからまことしやかに流されていたW不倫情報(デマ)を批判的に紹介しただけなのに、そのことを疑惑の証拠のように言うのは明らかにおかしな言い分です。

Wikipediaによると、矢野氏は2021年11月30日に亡くなっています。
もう訴えられる心配がないから、朝木さんや矢野氏については何を書いても構わないと思っているのでしょうか。


柳原氏は、そうとう卑劣な人物のようです。


獅子風蓮


東村山市議転落死事件~創価学会側の主張(9)

2023-04-22 01:36:17 | 東村山女性市議転落死事件

柳原滋雄氏は中田光彦の名前で多数の文章を主に創価学会系の雑誌『潮』に発表しています。

Wikipediaによると、柳原滋雄氏は、早稲田大学在学中の1985年に、創価学会へ入会。
創価学会員である柳原滋雄氏の主張は大きなバイアスがかかっていると見た方がいいでしょう。

柳原滋雄氏は自身のホームページの中で「コラム日記」を書いており、「東村山市議転落事件」について現在も積極的に記事をアップしています。

さっそく、「柳原滋雄のホームページ」からいくつか気になる記事をピックアップしてみましょう。

 


■東村山市議の闇3 キーパーソンとなる人物(2022/11/21 月曜日)

1995年の議席譲渡という奇想天外な方法を思いついた人間はだれか。当時「草の根」という名称の会派で選挙を戦った朝木明代、その娘の朝木直子、明代の政治的同伴者であった矢野穂積の3人の中でだれが言い出したのかは定かでない。もともと矢野は朝木明代の政治活動を下支えしてきた人物であり、このときも落選を契機に素直にその任務に徹し続けていれば何も問題は生じなかったはずだが表舞台に立ちたかったのだろう。いずれにせよ議席譲渡は朝木直子と矢野穂積2人による連携プレーの結果生じたものであり、2人に大きな責任があることはいうまでもない。平穏であったはずの東村山市議会に民主主義に反する行動を持ちこみ、無用の混乱に陥れた責任が彼らにはあるからだ。またその行動は、朝木明代の転落死事件まで一直線に結びついている構造が見られる。

矢野穂積は朝木明代の3歳下の1947年生まれ。矢野と朝木明代は市民運動を通して共闘する関係となり、議席譲渡問題が起きた際の年齢は、朝木明代50歳、矢野穂積47歳、朝木直子27歳だった。矢野穂積は地元では「訴訟マニア」として有名で、政敵に対して訴訟をチラつかせ、相手の批判を封殺することを常套手段としてきた。矢野の良心の呵責を欠いた行動はほかにもさまざま見られるが、サイコパス研究の世界的権威であるカナダのロバート・ヘア博士が考案したサイコパス・チェックリストで診断すれば、「サイコパス」(良心の呵責をもたない異常人格者)の類型に入ることは間違いない人物と見られている。サイコパスの行動は良心の呵責を欠いた「捕食者」そのものとしての行動であり、その観点からその後の経緯を見ていくと、非常にすっきりと理解できる構造がある。

その証拠に、矢野と朝木明代、矢野と朝木直子の間にはそれぞれサイコパス特有ともいえる関係性が観察された。


(つづく)

 


解説
矢野穂積氏に対して、柳原氏はサイコパスの類型に入ると断定している。
たとえ、訴えられた相手であったとしても、これは言いすぎではないでしょうか。

Wikipediaによると、矢野氏は2021年11月30日に亡くなっています。
もう訴えられる心配がないから、矢野氏については何を書いても構わないと思っているのでしょうか。


獅子風蓮


東村山市議転落死事件~創価学会側の主張(8)

2023-04-21 01:29:22 | 東村山女性市議転落死事件

柳原滋雄氏は中田光彦の名前で多数の文章を主に創価学会系の雑誌『潮』に発表しています。

Wikipediaによると、柳原滋雄氏は、早稲田大学在学中の1985年に、創価学会へ入会。
創価学会員である柳原滋雄氏の主張は大きなバイアスがかかっていると見た方がいいでしょう。

柳原滋雄氏は自身のホームページの中で「コラム日記」を書いており、「東村山市議転落事件」についても現在も積極的に記事をアップしています。

さっそく、「柳原滋雄のホームページ」からいくつか気になる記事をピックアップしてみましょう。

 


■東村山市議の闇 1(2022/11/16 水曜日)

2022年は世界史においても日本史においても後世の歴史にとどめおかれる年となったようだ。2月にロシアがウクライナ侵攻を行い、世界を仰天させた。国内では統一教会を自らの欲得のために利用した政治家が暗殺された。だが2022年ほどではないとは思われるが、1995年も歴史の分水嶺となった年だった。1月に阪神淡路大震災が起き、3月にオウム真理教の地下鉄サリン事件が発生した。秋には宗教法人法が改正され、宗教叩きに利用された。多くの出来事が集中して起きた中、宗教が大きくクローズアップされたという点で、1995年と2022年は似通っている。このコラムでこれから連載を始める「東村山市議の闇」も、この1995年に関係して世に噴出した問題だった。きっかけは、東京西部の地方自治体、東村山市を舞台に起きた。1995年4月の統一地方選。東村山市議選で初当選した朝木直子が、自分の議席を意図的に返上する形で、次点で落選した矢野穂積に議席を譲渡した問題である。市民からはこんなイカサマ行為が許されるのかという民主主義の根幹にもとづく批判が沸き起こった。東村山のその後の問題の多くが、実はこのときの「議席譲渡」から始まっている。


(つづく)

 


解説
東村山市議会における「議席譲渡」問題は、乙骨氏の著書では次のように説明されています。

乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』Ⅱ章 その1

95年4月23日に投票が行われた統一地方選挙・東村山市議選に、「草の根」は朝木明代、朝木直子、矢野穂積の3氏を擁立、議会運営委員会への出席資格を得る3議席の獲得を目指した。結果は、朝木明代さんが2622票を獲得してトップ当選。朝木直子さんも1926票を獲得しての4位当選だったが、矢野氏は最下位当選者に52票届かぬ1249票で次点だった。
「草の根」全体の総得票数は、5797票(得票率率11%)で、これは3人当選の社会党の総得票数4593票(得票率8%)を1200票以上凌いでいる。だが、組織のない悲しさ、得票数は多かったが、それをうまく振り分けることができず、目標の3議席獲得はならなかった。
この結果を受けて「草の根」では、「ムラ議会」の改革を推進するためには、27歳と若く政治経験の少ない直子さんが議席を得るよりも、「東村山市民新聞」の編集長として議会の傍聴経験も豊富で、市政に精通している矢野氏が議席を得る方が、「草の根」を支詩してくれた市民の期待に応えることができると判断。直子さんが東村山市から転出することで当選を返上し、矢野さんに議席を譲ることにした。
(中略)
しかし、全国でも初めてというこの「当選返上」は、市民の間に賛否両論を呼び、マスコミも大きく取り上げるところとなった。
「当選人の繰上補充」を定めた公職選挙法第97条は、当選人が当選資格を喪失した場合、直ちに選挙会を開き、繰り上げ当選人を決めることを義務づけている。したがって、直子さんの転出による当選資格の喪失に伴う矢野氏の議席繰り上げは、公選法上はなんら問題ない。実際、東村山選挙会は、5月21日、直子さんの当選辞退と矢野氏の繰り上げ当選を認めている。
とはいうものの、繰り上げ当選はすんなり認められたわけではなかった。東村山市選挙会では、「草の根」の議席譲渡に反対する立場の政党推薦の選挙立会人から、「議席委譲は憲法に反する」などの異議が続出。4月28日と5月11日に開かれた選挙会がいずれも、立会人の妨害によって流会するなど、混乱を極めた。
(中略)
市民の追い風を満帆に受けての順調な歩みを続けてきた「草の根」にとって、「当選返上」問題は、初めての逆風だったといえる。

そして、乙骨氏は、次のように、中立的かつ公平な意見を述べています。

私は、議席譲渡に関して『草の根』の論理を擁護するつもりは一切ないし、理解できない。しかし、現在の『草の根』批判には、議席譲渡に対する批判と、これまでの活動に対する反発が混同されているのは否定できない。

私も、乙骨氏の意見に賛成します。

 

獅子風蓮


東村山市議転落死事件~創価学会側の主張(7)

2023-04-20 01:10:23 | 東村山女性市議転落死事件

柳原滋雄氏は中田光彦の名前で多数の文章を主に創価学会系の雑誌『潮』に発表しています。

Wikipediaによると、柳原滋雄氏は、早稲田大学在学中の1985年に、創価学会へ入会。
創価学会員である柳原滋雄氏の主張は大きなバイアスがかかっていると見た方がいいでしょう。

柳原滋雄氏は自身のホームページの中で「コラム日記」を書いており、「東村山市議転落事件」についても現在も積極的に記事をアップしています。

さっそく、「柳原滋雄のホームページ」からいくつか気になる記事をピックアップしてみましょう。

 


■万引き依存症が関連した東村山市議転落死事件(2018/11/06 火曜日)

本日付の東京新聞に「中高年女性に目立つ万引き依存症」と題する記事が掲載されていた。お金はもっているのに病的に万引きを繰り返す中高年女性が多いことを報じる報道を見るにつけ、私は一人の女性のことを思い出す。1995年9月に死亡した東村山市議(当時)の朝木明代のことである。この女性は地元の洋服店で定価2000円に満たないTシャツを万引きし、警察の取り調べを受けていた。そうした渦中に本人はビルの上層部から転落死する。

彼女が警察の取り調べで窮地に立っていた状況をよくわかっていたはずの同僚市議・矢野穂積は、転落死の真相を隠す意図からか、教団謀殺説なる主張を繰り返し、その後民事訴訟で敗訴の山を築いた。

冒頭の記事では40・50代の女性にこの「依存症」に陥るケースが多いと指摘している。上記の朝木の犯行が発覚したのは、彼女が50歳に達する前後のことだった。当時、あるジャーナリストは、市議会議員というお金にさほど困ると思われない彼女がそんなことをすることはないと予断と偏見のみで各種紙面で主張していたが、精神心理学の知見は、こうした女性たちを「依存症」と命名するほど、普遍的な病理であることを明らかにしている。95年当時はそのような実態はまだ広くは知られていなかった。

歳月の経過は真相を浮き彫りにしていく。当事者が自らの利害で多くのウソを垂れ流して目先の自己弁明を図ったとしても、長い歳月は真実を押し上げる働きをする。この事件も、まさにそうした経過をたどっていく事件と思われてならない。

(つづく)

 


解説
たしかに、お金に困っていなくともストレスなどから常習的に万引きを繰り返す「依存症」としての中年女性がいることは、近年知られるようになりました。
だとしても、朝木議員が万引き常習の「依存症」だったかのように決めつける、このような書き方はいかがなものでしょう。

獅子風蓮