獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』第4章 その6

2022-12-28 01:37:03 | 統一教会

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

(目次)
□第1章 「神の子」になる
□第2章 盲信者
□第3章 神が選んだ伴侶
■第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき


親友を入信させた悔恨
私は一刻も早く、私の間違いをみんなに伝えたかった。
とくに私が入信をすすめたT子に対しては申しわけない気持ちでいっぱいだった。彼女はまだ祝福を受けておらず、献金もさほどしてないとはいえ、私が安易にすすめてしまった結果、人生を大幅に狂わせてしまった。
(今、彼女はどうしているのだろう。会社のこと、新体操スクールのこと、何から何まで彼女一人に背負わせてしまっている)
いちばん信頼している友人だった。つらい時、苦しい時をいつも助けてくれた人だった。彼女に連絡さえすれば、新体操スクールの対応もすべて任せられる。
でも、彼女は統一教会員だった。一人の人間である前に統一教会員だった----。
2月ぐらいまでの彼女は、それほど熱心な信者ではなかった。統一原理がのみこめてなくて、様々な質問をぶつけてきたぐらいだ。かえって教会に対して批判的な想いを持っていたほどだ。
けれど今の彼女の状態はわからない。私がいなくなったとわかったからには、統一教会から短期集中的教育をうけているかもしれない。だとすると、もう以前の彼女ではない。
私からの連絡を教会に流さずに、新体操スクールだけにとどめておくことは無理だろう。それは、私の以前の、ほんの少し前までの思考回路、行動パターンを考えてみればよくわかる。
マインド・コントロールの実態を知った今、統一教会員である彼女は信じることができない。
また、彼女が脱会しない以上、これから一緒に仕事をしていくことはできないだろう。
(あんなに二人でがんばってきたのに……)
彼女と知り合ったのは大学3年生の頃だった。彼女はスポーツ・フォトグラファーであり、おもに新体操を撮っていた。
気が合った私たちは、二人で同じ夢を抱いた。
オリンピックを終えた私は、次の目標をみつけるためにさまよい続けた。テレビの「クイズダービー」にも出演していたが、芸能界だけにどっぷりつかる気はなかったし、そんな力もなかった。他に何をやればいいのかと、迷いに迷っていた。高校1年から新体操を始めて9年間、新体操ひとすじでやってきた私にとって、オリンピック後の心の空白を埋めることと、次の目標をみつけることは容易なことではなかった。
テレビに出演したことでアマチュア規定に反し、もう二度と新体操の世界に戻れないと言われた。体操協会や大学とうまくいってないのではと、マスコミから袋叩きの攻撃を受けた。
泣いて暮らした日々に力になってくれたのが、このT子であり、T子の家族だった。
T子の実家に居候させてもらいながら、次第に自分を取り戻していった。苦しい時こそ自分をみつめるいい機会だった。
そして、依頼により週一回だけ、子供たちに新体操の指導をすることになった時、私はあらためて新体操の素晴らしさを知った。子供たちの楽しそうな笑顔、「できたヨ」とかけ寄ってくる得意そうな顔。そんな笑顔のひとつひとつが、私に活力を与えてくれた。
自分が感じてきた新体操の世界、苦しくてつらくて、でもその何倍も喜びがあって、そういう想いと素晴らしさを、この子供たちにもっと伝えることができたなら……と私は新しい挑戦をしたいと思うようになった。
(自分の新体操スクールをつくりたい)
一度消えかけた生きることへのエネルギーが、新たな目標によって再び燃え始めた。

 

二人でかなえた新体操スクールの夢
T子もまた、私が新体操スクールをつくることに大賛成だった。
新体操を撮り続けて、その魅力にとりつかれた一人であり、日本の新体操をもっと繁栄させたいと思っていた。世界の最高の舞台に立った私なら、喜びも悲しみも苦しみも、多くのことを伝えられるのではないかと言ってくれた。私のスクールの中から、いい選手が出てくれればと、日の丸を背負うような選手をまた撮ってみたいと思っていた。
スポーツが好きで、自分自身も陸上のトップに立ちたいという夢を持っていたが、身体が弱く、挑戦することさえもできなかった彼女は、ひとつのことに打ちこむ選手たちの姿を見たかったのかもしれない。
人に感動を与えられるような選手をつくりたい、ただ新体操ができるというだけでなく、新体操を通じて心を学べるようなスクールをつくりたい、そういう私の想いに、彼女も共鳴した。
そこから、新体操スクール開校へ向けて準備を進める毎日となった。私たちは二人で会社をつくることにした。有限会社のつくり方という本を買ってきて、その本を見ながら、ひとつひとつ用紙に書き込んでいく。会社の名称を考え、定款を考え、何度も出張所や登記所に通って、何もかもが手作りだった。どうにか86年4月に会社が設立となり、喜びもひとしおだった。
この日から、私たちの外に向けての活動が始まった。広告代理店を通じて、各企業にアタックだ。
企業が協力してくれるということは、それだけ新体操に魅力がある証明でもある。地域で細々とやるのもいいが、新体操全体を考えた時に、企業を味方につけたスクールをつくりたいと思ったし、新体操の魅力を企業にわかってもらいたかった。
私たちの時代は、小学生ぐらいで新体操ができる環境は少なかった。新体操は子供たちにとっても危険性は少ないし、音楽をふんだんに使うので情操教育にも役立つ。企画書を作って広告代理店との話も盛り上がる。
しかし、問題は施設のことだった。
新体操で使うスペースは相当広い。リボンなどは六メートルあるのだから、一人当たりの使用スペースが広いのも当たり前である。それに、輪などは十数メートル以上投げ上げるし、天井の高さも必要だ。
都内で、そんな施設をみつけるのは至難だった。それに、造るとなると何億円かの話になる。
そこまでして採算が合うのか。新体操というスポーツが企業のイメージアップにつながるとしても、そこまで踏みだす勇気は結局なかったのだろう。
構想は次々と崩れ、話は没になっていった。
そのうち、広告代理店は乗り気ではなくなり、スクール開校の夢は遠のいていく。
頼りになるのは自分たちしかなくなった。
誰かれかまわず、「いい体育館知らない?」と聞くのが口ぐせのようになっていた。
(あきらめちゃいけない)
どこかでくじけそうになる心を、必死で奮い立たせた。
そんなある日、鹿児島県人の集まりみたいなものがあった。そこで私は口ぐせとなっていた言葉を口にした。
「いい体育館知りません?」
「ありますよ」
「ホントですか?」
あまりにあっさりした答えにびっくりしたが、さっそくその施設を訪ねることにした。
広く、大きな体育館だった。プールやアスレチックジムまで完備した複合施設で申し分のないところだった。
きっそく、そのN社の社長さんにコンタクトをとる手はずとなった。
そこからの話はまさにトントン拍子だった。
88年4月2日、スクール開校。会社設立から3年目の春のことだった。
スクール開校当初は何もかも手さぐり状態だった。
何しろ3歳から中学生を対象にしたスクールであるし、若いスタッフと共にやっていかなければならない。ある時は幼稚園の先生のようであり、ある時は恐い先生であり、スタッフとは指導について悩みながら進んでいった。
指導の難しさ、楽しさ、面白さを日々感じるばかりだった。
新体操スクールは私の生きがいであり、夢だった。
その夢を、ここでなくしてしまうのだろうか。

 

なんとかしてT子と連絡をとりたい
もし万が一、私が新体操スクールに戻ることができたとしても、二人で、そしてみんなでつくりあげてきたスクールを、またT子と一緒にやっていくことができるのだろうか。それは絶望的に思えた。
彼女は、今までの私と同様、統一教会の思考回路を持った人間なのだ。
なんとかして彼女にも牧師さんと会って話を聞いてもらいたかったが、しかしその前に世間に向かって私の間違いを表明することが先決だった。
そのためには早く記者会見をすることだと思ったが、自分の考えを言葉にするには、まだまだ時間が必要だった。
私は、綿密な計画の上に、T子ではない新体操スクールのスタッフの一人に連絡を入れた。この時期に連絡が入れば、どこまでマスコミや統一教会の手が伸びているかわからず、かえって迷惑をかけるかもしれない。だから公表する必要はなく、彼女を安心させることだけが目的だった。
このことが後にT子にとってどれほど苦痛になるかはわかっていた。しかし、やむを得ないことだった。
そして、私は、自分自身の心の整理と頭の整理につとめていった。
あれほど信じていたことが、また、世間に公言したことが間違いであったことは、自分でも計り知れないほどショックだったらしい。頭の中がしばし空白になった。けれど、なぜかものすごい解放感と安堵感があった。今までぎゅうぎゅうに縛られていたものがフワ~ッと解き放たれていくような感じだった。
私が脱会を決めてからは、牧師さんも少し顔を見にくる程度となった。姉や叔父たちも私に言葉をかけるでもなく、私は読みたい本を読み、ボーッとしていた。

 

頭の整理のために手記を書く
統一教会は相変わらず、尾行や張り込みを続けているようで、一度はある教会に押し入ったそうだ。そこに私たちがいると勘違いしての行動だった。統一教会の怖さは、何をしでかすかわからないという怖さだった。神のためだったら何でもする、指示されたことは疑いも持たずにやるという怖さだった。
次第に冷静に考える力を取り戻してきた私は、勅使河原さんが私の失跡を公表する記者会見で
「彼女は妊娠している可能性がある」と発言したこと、私が彼に宛てた手紙を公開したこと、その他マスコミに対する言動を見て、
(あ、この人は一人の男性として、私を愛しているんじゃないんだな)
と思った。統一教会員としての言動そのものであり、またそれは、統一教会員として、しごく当然のことだった。
わずかな不信感がつのる中、でも彼にも牧師さんのところへ行ってほしいことだけは伝えたいと思った。マスコミや統一教会が目をギラギラさせている中では、会うことも難しいだろう。
私には、彼のためにも二人の関係をビシッと切ってしまうことがいちばんいいと思えた。少しも甘さを見せてはいけない。彼自身が統一教会を脱会すること以外に道はないのだということをわからせたかった。何か強いショックがない限り、自ら牧師の話など聞こうなんて思わないはずだ。きっぱり決別することによって、牧師さんのところへ行ってくれるのではないかという期待があった。
しかし、私が脱会を宣言して世間に出たあとで、彼が、また統一教会がどんな行動に出てくるのか見当もつかなかった。
そして何より、新体操スクールがどうなっているのか、どうなっていくのかが気がかりだった。
昨年から、新体操スクールにもスタッフにも迷惑ばかりかけてきた。私一人のことで、みんなに、つらく悲しい想いをさせてきた。今、この時だってどんなに荒波の中をさまよっていることか。
これ以上、スクールの生徒の親御さんもスタッフも私を受け入れてはくれないだろう。これからどうなるのかわからない私のもとで、スタッフに働いてもらうわけにはいかないと思った。私の心が自由に解き放たれたように、彼女たちにも苦痛から逃れさせてあげたかった。私はどうなろうと、一番に新体操スクールの存続に全精力を傾け、スタッフの将来に力を注がなければと思った。
(自分はどうなってもいい)
本当にそう思った。でもそれは、悲観的な投げやりなものではなかった。あまりにも事が大きすぎて自分の行動の行く末などわかるはずがない。自分が蒔いた種である以上、自分で刈り取らなければならない。ありのままの現実を、あるがままに受けとめよう。
頭の整理のために手記を書き、せまる記者会見に向かって、次第に心は澄んでいった。

 

 

(つづく)

 


解説
第4章では、山崎浩子さんが“拉致・監禁”され、旧統一教会の信仰を捨てるまでの様子がていねいに描かれています。

親友を入信させてしまった悔恨について書いています。胸に刺さります。


獅子風蓮


山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』第4章 その5

2022-12-27 01:23:53 | 統一教会

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

(目次)
□第1章 「神の子」になる
□第2章 盲信者
□第3章 神が選んだ伴侶
■第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき



信者はなぜ金集めに奔走するか
私は脱会者の方々の話も聞きながら、少しずつ気持ちの整理をしていった。
元信者といわれるその人たちは、皆、純粋に、ひたむきに文鮮明をメシアと信じて、歩んできた仲間だった。そしてその誰もが、今もまだ神のため、メシアのためと自分のすべてを投げうって働いている人たちを、一人でも多く救い出したいと思っていた。
テレビに出る元信者、“青春を返せ”と訴える元信者、彼らはその想いを現信者に伝えたくてたまらないのである。自分たちが知った現実を、この真実を知ってほしくてたまらないのである。
そしてそれは、私もまったく同じ気持ちだった。
けれどそれが容易でないこともまた、私たち元信者にはわかっていた。マインド・コントロールされた私たちにとっては、隔離された世界が必要だった。冷静に考える静かな時間が必要だった。信者をだますための情報ではなく、正しい情報が必要だったのだ。
私が、いくら間違いだったと訴えても、それだけでやめる人はいないだろう。また、それだけでやめてはいけない。きちんと牧師さんたちのカウンセリングを受けなければ、それまでの思考回路を残したまま生活することになる。いつまでも脱会したことへの恐怖に怯えながら暮らさなければならないのだ。
私をカウンセリングしてくださった元統一教会員の牧師さんも、ずいぶん長い間苦しんだと聞いた。
「ぼくは脱会したあと、普通に結婚したんだけど、子供が生まれるまでは、やっぱり心配でしたよ。何しろぼくらの時は、脱会したりしたら、ヘビみたいなウロコのある子供が生まれると言われていたんですから。それを本気で信じてたんです。脱会して、そんなことがあるはずはないと思っても、やっぱりどこかで心配でしたね。だから、五体満足で子供が生まれた時には、本当にうれしかっだですよ」
多くの人たちを傷つけ、歩き続ける統一教会。
元信者の中には、7年間もマイクロにのって珍味売りをしてきた人もいた。インチキ募金をしてきた人もいた。霊能師役を何年も続けて、ウソを何百万回とつき続けた人もいた。その人はテレビに出て反対活動をしたため、「死んだ」と教会内部でウワサされていた人であった。
彼らは統一教会の指示通りに、それが天の救いだと信じこまされて、家も仕事も財産もすべてすてて、ひたすら金集めに奔走し続けてきたのであった。すてたものが大きければ大きいだけ、それがウソであっては困るし、信じないわけにはいかなくなっていたのだ。
TBSに無言電話を何度となくかけたという人もいた。アベルの指示で、それが一日の仕事だったのだという。
私はまたひとつ記憶がよみがえった。
教会の幹部の人が、お父様に電話をかけて、「お父様、TBSの報道がとても悪いので無言電話をかけたいと思いますがどうでしょうか」とお伺いをだてたら「おお、どんどん、やれ」というのが返事だったと語ったのも勅使河原さんだった。その時は私も偏向報道ばかりする憎っくきTBSと思っていたから、「お父様はサタンに厳しいからね」と笑ったりしていた。
でも、それが「恩讐を愛せよ」というメシアの言葉だろうか。冷静に考えれば、そんないやらしい手段をとらせるとは情けない限りである。
「真っ向からぶつかることなく、いやがらせをする」
メシアが指示したということは、神が指示したも同じこと。これが神のやり方だということだ。

 

自らはずしたくすり指の婚約リング
よく考えればおかしいことが、どんどん頭の中にわいてくる。
私は幹部の人との接触も多かったので、いろんな話を見聞きした。
マッチングされたあとで、身長が女性の方が大きいということで、組み変えがなされた。
「身長も関係あるんですか」
私が尋ねると、
「やっぱり男性の方が大きくないと、つりあいがとれないでしょ。お父様は、男性のあごの下に女性の頭が入るぐらいがちょうどいいと言われるのよ」
という答えだった。
(へーェ、そこまで考えてくださってるのか)
と、その時は思った。しかしよく考えると、何で身長なんかが関係あるんだ。それこそ普通の結婚相手だったらそれぐらい考えるかもしれないが、これは祝福なのである。七代前の先祖の因縁を霊的にみて相手を決めるというのに、どうして身長が合わないぐらいで、相手を変えてしまうのだ。
こんなケースもあった。
ある日本人の相手はフィリピン人ということで決まっていた。ところがその日本人の家は、家庭問題がはげしい、つまり統一教会に大反対している家ということで、相手はフィリピン人から日本人へと変わった。
家庭問題がはげしい家ならなおさら、よりよい相手、メシアが一番に選んだ相手とマッチングさせるべきだろう。
そうでなくして、何をもって祝福というのだろう。何をもって、これこそ「真の結婚」と統一教会が誇れるというのだろう。ただの集団見合いとどこが違うというのだろう。そちらの方が、まだ本人の意志が尊重される分ましである。祝福を受けて別れるのは0.7パーセントなんてウソばっかり。たくさんの祝福後の脱会のデータがあったし、逆に脱会してから普通の結婚をして幸せに暮らしている人もたくさんいた。
統一教会では、この世の愛は条件づきの愛だと教えられてきた。しかし、統一教会の愛こそ、条件づきの愛であると思った。それは「文鮮明をメシアとして信じている」という条件である。文鮮明を信じたからこそ、この結婚を受け入れた。使命を果たすためなら誰でもいいと思った。
文鮮明がメシアであるからこそ、相手の人を愛せたのである。
だから、文鮮明をメシアとして信じられなくなった今、その愛自体が不確かなものになっていく。
教義の上に成り立った結婚である。教義が間違いであるのに、結婚は認めるということは私にはできない。このまま結婚するということは、統一原理を認めることに他ならない。
こうして統一原理の間違いを知った今、私は勅使河原さんとの結婚を認めるわけにはいかないと思った。
「結婚とは信仰によってするものじゃなく、信頼によってするものなんじゃないか」
牧師さんの言葉が心の中でこだまする。今は、その当たり前のことがよくわかる。
私は、勅使河原さんからもらって左手のくすり指にはめていたピンキーリングを見つめ、そしてはずした。

 

被害者であり加害者でもある狂気の集団
人の苦しみ、悲しみの上に成り立った幸せなどほしくない。人を犠牲にしてまで、知らんぷりして幸せになどなりたくない。偽りの幸せなど手に入れたくなかった。
私は今まで幸せだった。でも信者だったら、みんな幸せなのである。いや、幸せだと思っているのである。そのために人が傷ついたとしても、それは統一原理を知らないからであって、神の摂理をおしすすめるためには仕方のないことなのだと信じている。
おそろしいことである。霊感商法もインチキ募金も合同結婚式も、統一原理からいえばすべて正しいことなのだから。おそるべきマインド・コントロール集団は、目的のためには手段を選ばず、神のために集金マシーンと化していくのだから。
私は、自分自身が手を染めていなくとも、先頭に立って統一教会の旗をふってきたことを本当に悔いた。幸せそうな笑顔をふりまく私たちを見て、多くの人が勇気づけられ、霊感商法をやっていたかと思うと、怖くなった。私は被害者である前に、知らずに加害者になっていたのだ。
悲しかった。全身のカが抜けていくようだった。人のためにとがんばってきたことが、人を傷つける結果しかつくりだせなかったことを思うと情けなかった。
何のための4年間だったのだろう。統一教会という迷宮に引きこまれて、すでに4年の歳月が流れていた。
テレビに映し出される勅使河原さんや桜田淳子さんの姿を見て、かわいそうでならなかった。
逆の立場であったらと、その苦しみや憤りもよくわかる。“反牧”によって二人の仲が引き裂かれたと思うのは当然のことだった。彼らを見るたびに、胸がしめつけられるような想いがした。
しかし、彼らは知らないだろう。“拉致・監禁”を訴える統一教会のその裏は、盗聴・脅迫・尾行・盗みと、目的のためなら、どんなことでもやる集団であることを。
彼らは何も知らず、ましてやマインド・コントロールされているとは夢にも思わず、すべてを善とし、歩んでいるのだ。彼らもまた、被害者であり加害者であった。

 

 

(つづく)

 


解説
第4章では、山崎浩子さんが“拉致・監禁”され、旧統一教会の信仰を捨てるまでの様子がていねいに描かれています。

自分自身が手を染めていなくとも、先頭に立って統一教会の旗をふってきたことを本当に悔いた。幸せそうな笑顔をふりまく私たちを見て、多くの人が勇気づけられ、霊感商法をやっていたかと思うと、怖くなった。私は被害者である前に、知らずに加害者になっていたのだ。

この言葉は重いです。


獅子風蓮


山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』第4章 その4

2022-12-26 01:45:45 | 統一教会

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

(目次)
□第1章 「神の子」になる
□第2章 盲信者
□第3章 神が選んだ伴侶
■第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき



マニュアルで動く信者たち
私は、自分自身が本当にマインド・コントロールされていたのかどうかを考えるために、洗脳や宗教に関する本を読んだ。
その中で、様々の“悪質な”宗教には、多くの共通点があることを知った。
勧誘時には正体をあかきず、迫害する外部の敵を勝手につくりだし、先祖のたたりや脱会することへの恐怖観念が植えつけられる。そのために、話を問いだが最後、信仰を捨てられなくなるというのだ。まさに統一教会のことを言っているようだが、“悪質な”宗教は、ほぼ同様のことを行っているという。
私は、様々な資料をもとに、自分自身の勧誘のされ方、学ぶ方法、その後の生活、それらを照らし合わせて、それこそまさに、マインド・コントロールされていたのだということがわかった。
自分の中に埋もれていた記憶が次々とよみがえってくる。
私は、霊眼が開けているという霊能師に自分のことを見てもらい、そこから統一教会に入っていったはずだった。ところが、それらは霊能師役であり、そしてその人をほめたたえるヨハネ役という役回りまであって、すべてマニュアル化されていたことを知った。私をM先生に紹介した、あの人の良さそうなO氏はマニュアル通りにしゃべっていただけだったのだ。
勅使河原さんが、「統一教会に霊能師なんかいないよ」と、笑いながら言っていたのを思い出した。どうしてそこで疑問がわかなかったのだろう。御言を学べば、霊界と通じることができるようになるのが、統一原理のはずなのに、どうして霊能師なんかいないと堂々と言えたのだろう。
彼は霊能師役がいてヨハネ役がいて、マニュアル化されたものがあることをたぶん知っていたのだろう。
不安をかりたて、不安につけこみ、不当に高価な値段でモノを売りつける。
マニュアルの資料をみると、何から何まで私の体験と一緒だった。
私はそれまで霊感商法は悪いことだとは思っていなかった。私自身が印鑑を買い、そこから統一原理へと導かれ、神を知ることができた。神のもとへと帰るためには、万物復帰が必要なのである。それが救いの第一歩なのであると統一原理では教えられている。だから、印鑑やツポを買うことは、買う側の救いになるのだ。たとえ、この世ではだまされたと言っている人でも、霊界に行けば、「よくぞ、あの時ツポを売ってくださった」と喜ぶに違いないと思っていた。それは霊界に行けばわかることなのだ。
だから、統一原理を知りさえすれば、万物復帰の意味もわかり、霊感商法ではないことがよくわかるはずだと思っていた。それが、これほどひどいやり方をしていたとは……。
しかし、こうしてマニュアル通りに霊感商法を続ける教会員も、悪いと思ってはいないのだろう。いや最初はウソをついてる自分がいやだと思ったとしても、その人の救いのため、世界の救いのため、神のためだと思えば、そんな罪悪感もいつの間にか遼のいていくのだろう。
月百億円などとノルマを与えられ、これに勝利しなければ神の摂理が延長してしまう(文師の言う、地上天国実現のための予定が延期になる) とか、日本がダメになるとか言われれば、必死にならないはずがなかった。
資料によれば、信者の中には「サミット」と呼ばれるグループがあり、「一億円資産リスト」みたいなものがつくられていた。これは不動産やその他で資産が一億円以上ある人のリストで、現段階どのあたりまで“復帰”されているかが記されている。つまり、誰がどのくらい教会関係の集まりに出たとか、ビデオを見始めた頃だとか、どれくらい神のもとへ帰ってきたかが一目瞭然にわかるリストである。
こうして財産を調べあげた上で、ツボや多宝塔などを買わせているのである。
私も一応この「サミット」というグループに属しているということは前に聞いたことがある。一億円なんてとんでもない話だが、特別なグループだったことだけは確かなようだ。
訪韓ツアーを企画して、韓国の霊能師に会わせるということまでサミットのマニュアルの中に入っていて、思わず笑ってしまった。めったに会えないという、あの韓国の霊能師S先生は、サミットグループの人なら容易に会える人物だったわけだ。

 

頭の中に二人の私がいる
次々と脱会する信者たちの手によって、教会内部が暴露されていく。
しかし、これまでもテレビや新聞、雑誌等で様々に暴露されてきたはずなのに、私はそれらに目をやり耳を傾けることはしなかった。そういうものはすべてウソだと思っていた。しまいには拒否反応を起こし、統一教会に反対するものは何も受け入れられなくなり、テレビを見ると頭がいたくなった。キリスト教という名を目にするだけで気持ちが悪くなった。広くなっていたと思っていた視野は、反対に知らぬ間にせばめられていたのだ。
私はマインド・コントロールの恐ろしさを知った。普通に生活し、普通に自分の頭で考えてきたつもりだったのは、いつのまにか、自分自身でさえ情報コントロールをし、心をコントロールするようになっていた。統一教会の考えで、すべてを考えるようになっていた。自分でない自分がおおいかぶきっていたのだ。私と、もう一人の自分、私個人の中に、二人の私が存在していたというわけだ。
ある時は本来の自分が顔を出し、ある時は統一教会員の自分が顔を出し、心はいつも揺れていた。そして、しだいに統一教会員である自分が私を埋めつくすようになっていった。
私たち統一教会員は、マインド・コントロールされた中で造りだされた、あるいは自分が造りだす妄想の世界に生きているのだ。
私は、当然ながら、統一教会がいう“強制改宗グループ”自体が存在しないことを知った。それは、困り果てた親たちの熱意に打たれ、また統一教会問題の深刻さを知り、一円の得にもならない説得を続ける牧師さんたちなのである。
教会はきっと、信者たちが牧師さんと話をしては困るのだろう。真実を知らされるのが怖くて、「つかまったら逃げてこい。何をされるか、わからないぞ」などと恐怖心を与え続けているのだろう。
妄想の世界に生きていた私と、今、現実に知った世界。
私は、聖書をひとつひとつ、ていねいにひもといてくださる牧師さんの姿、時間を忘れるほど熱心に話をしてくださるその姿を見ながら、
(私は間違っていた)
と確信した。


脱会を決意
神を求めたのは確かだった。でも、それがとんでもない神にすり替えられていった。私は神を神として崇めず、神ならぬ神を、神としていたのであった。
「今、どんな気持ち?」
牧師さんが私に尋ねた。
一瞬の間をおいて、私は答えた。
「わかってると思いますけど、やめます」
そう言ったあと、たくさんの人たちのことを思った。私が入信をすすめたT子、それから、私の二番目の姉、そして勅使河原さん。
「勅使河原くんのことはどうするの?」
私の心を見透かすように牧師さんが尋ねる。
私は彼を愛してきた。そう思ってきた。
彼を救い出したかった。
私が脱会するということは、彼にとって私はサタン側の人間になるということだ。彼が脱会しない限り、私たちの結婚はありえない。
私には、どうしていいのかわからなかった。
「彼を救いたいという気持ちはよくわかります。でも、彼が脱会すると思いますか」
私は大きく首を横に振った。
相手が脱会したくらいで自分も脱会するような人は、統一教会の信仰なんか持てない。自分のまわりの誰かが堕ちたとなれば、今まで以上に信仰が強くなるのが普通の信者である。もし逆の立場だとしたら、私は信仰を捨てないだろう。
「これは家族の問題ですからね。家族が本気になって、ことの重大性を知り、動かなければどうにもならないんです」
私は姉がどれほどまでに私のことを心配し、どれほどに苦労をし、涙を流してきたか、日を追うごとに感じていた。姉は執念ともいえる愛情で、私を救い出してくれたのであった。
感謝の気持ちでいっぱいだったが、それを口に出すと、自分の想いが半分しか伝わらないようで言葉が見つからなかった。

 

 

(つづく)

 


解説
第4章では、山崎浩子さんが“拉致・監禁”され、旧統一教会の信仰を捨てるまでの様子がていねいに描かれています。

こうして山崎さんは、脱会を決意するに至ります。


獅子風蓮


山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』第4章 その3

2022-12-25 01:19:15 | 統一教会

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

(目次)
□第1章 「神の子」になる
□第2章 盲信者
□第3章 神が選んだ伴侶
■第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき



学歴コンプレックスから出た経歴詐称
私はもう、真の父母の御名によっては祈れなかった。神を信じているのであって、他の神々を信じていたはずではなかった。唯一なる神を信じていたはずだ。
「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」
私は神の声を聞いたような気がした。
それからというもの、私は、本当の意味で真剣に話を聞くようになった。
世間では大騒ぎになっていること、牧師さんのことをつけまわす車がいることなどを、姉や牧師さんから聞かされたが、今となっては誰にも邪魔されたくなかった。マスコミにも、統一教会にも。
もし、統一原理が間違いであるとしたら、私個人の問題ではなくなる。私は世間に対して、統一原理に太鼓判を押してしまったのだから。
私はとにかく多くの話を聞きたかった。
そして、原理講論、聖書、その他多くの資料をもとに話は進められていった。
何もかもがメッチャクチャだった。文鮮明師の美談も、統一原理のルーツも、真っ赤なウソだった。
文鮮明師は、1935年4月17日のイースターの時、イエスの霊が現れ、
「私のやり残したことをすべて成し遂げてほしい」
と啓示を受けた----というふうに私たちは教えられてきた。
しかし、その日はイースターではない。全キリスト教では、春分の日がきて満月の夜があって、そこから初めての日曜日をイースターとしている。その年の4月17日は日曜日ではなかった。
反対派がそれを指摘すると、それは統一教会が決めたイースターなのだという。まだ統一教会など形も何もなかった時代に、統一教会がイースターを決めるのも変な話だ。それ以来、統一教会では毎年4月17日をイースターとしているらしい。また、最近の講義においては、“イースターの時”という補足は削除されているようだ。
そんな細かいことに、いちいち目くじらをたてなくてもというだろうが、一事が万事そんな状態だった。反対派からのつきあげによってウソをつき、それがどうにも隠し通せなくなったら、最後に真実を話し、理由をこじつけるという手法だ。
文師の学歴だって、「早稲田大学理工学部電気工学科卒」となっていたり、「早稲田大学附属早稲田高等工学校電気工学科卒(現在の早稲田大学理工学部)」となっていたり、()内の注釈がとれていたりと、語られる年代、講師によって様々だ。()内の注釈がとれたものが本当の学歴らしく、最近はそう言っているが、もちろん早稲田大学の理工学部とは何の関係もない。
別に私は、メシアは大学出じゃなくていいと思う。むしろ学歴なんか関係ないと思う。ただ、最初は大学出のような顔をして、卒業生名簿などを調べられ、ウソがつけなくなってくると、知らぬ間に経歴を変えていく。そのウソのつき方があまりにも滑稽でバカバカしかった。
メシアである文師の学歴は問わずとも、どんな経歴をたどってきたかは重要なことだ。メシアがどんな家に生まれ、どんな環境に育ち、どういう出会いがあってここに至るのかは「主の路程」として語り伝えられ、それだからこうなのだと結論づけられているのだから、それぐらい正確に話してほしいものだと思った。関係者の聞き間違いですまされるものではない。“誰か”がウソをつかなければ、この経歴詐称が生まれるはずはない。

 

次々と検証される新事実
私はふと勅使河原さんが言った言葉を思い出した。多くの愛着をこめて笑いながら口にしたのは、「お父様は、学歴コンプレックスがあるから」という言葉だった。
私や桜田淳子さんの相手を選ぶにあたっては、東大卒から先に探したということを、私は聞いていた。それでも東大出ではいなくて、私の相手の勅使河原さんは原研の会長が推薦したのだそうだ。そういう背景もあって彼はそう言ったのだろう。
彼が言うように、学歴コンプレックスから出たウソなのかもしれない。
今までのキリスト教では救われないと言いながら、既成キリスト教からの質問状に対して、「私たちは聖書を教典としています。文鮮明をメシアとは呼んでいません」などと平気でウソをついている資料をみた時、「キリスト教」という名がほしいだけの統一教会のやり方に腹が立って仕方がなかった。
なぜ堂々と、「聖書は真理それ自体ではなく、真理を教示してくれる一つの教科書、(中略)不動のものとして絶対視してはならない」(原理講論より)と、「文鮮明はメシアである」と、既成キリスト教に向かって言えないのか。
他の多くのウソは、反対派の資料ではなく、統一教会から出している出版物によって明確になった。今までこうしてゆっくり見比べたことはなかったが、これでは話にならない。
そして、あまりにも、あまりにもいいかげんな聖書の引用、ねじ曲げ、つくられた美談。統一教会の表の顔と裏の様々な顔・顔・顔。
(いったい私は何を信じてきたというのだろう。神を証できる喜びを味わいながら生きてきたというのに、サタンの手先となって働いてしまったというのか)
布団の中で、泣きながら考え続けた。
(もし、そうだとしたら、私は大変なことをしてきてしまった。神様、ゴメンナサイ。神様……)
「どうして浩子さんは、文鮮明をメシアとして信じたの?」
「高校の時の恩師と重ねあわせて、同じように人のために生きている人だったら信じられると思って……」
「そう、じゃあ、その先生と文鮮明が同じような生き方をしているのか見比べてごらん」
美談がくずれ去った今、比べようもなかった。“為に生きる”と言いながら、何のためになってるんだろうと思った。
恩師はこんなウソつきじやない。もっと正直に生きている人だった。
私は自分が信じたものを真理とし、正しく検証することなく、他の人にすすめてきたのだ。私は、私自身の手によって、人の人生をも狂わせてしまったことになる。

 

思考回路はコントロールされていた
私は、ほとんど統一原理を間違いだと思うようになっていた。
しかし、すぐに決断はできなかった。
統一教会の信者たちのやさしさ、温かさ、真剣さにふれてきた私であった。
自分が間違っていたと認めることは何でもないことだった。けれど、私に接してくれていた教会の人たちを、否定することがなかなかできなかった。
慎重にしなければならない、そう思った。
が、聞けば聞くほど、あまりのいいかげんさに開いた口がふさがらなかった。
それにも増して、自分自身の無知、大バカさかげんにも腹が立って仕方がない。なんでこんな簡単なことが今までわからなかったのか、気づかなかったのか。
頭はパニック状態だった。
「仕方のないことなんですよ。あなたたちはマインド・コントロールされてたんですから。情報をコントロールされ、心をコントロールされていたんです。いったん、その思考回路にはまっちゃうと、なかなか、そこから抜け出せないんですよ」
牧師さんがそう説明してくれる。
私は統一教会から与えられる一方的な情報だけをうのみにしてきた。
たとえ、世間で統一教会に不利な情報が流されたとしても、すぐに連絡が入り、「それには、こういう深い意味があった」とか、「あの人はこんなに悪いことをしてきた人だから、あの言葉は信じられるものではない」という言葉にかき消されてきた。
私に接してくれていたあの人たちは、真実を知っていながら嘘を言っていたのか、それとも嘘を真実だと思って話していたのか、何もかもがわからなくなり、また信じられなくなった。
「浩子さん、あなたは自分自身でこの道を選んだといいましたよね。でも、それはあなたの意思のようにみせかけてはいるけど、ホントはあなたの意思じゃないんです。あなたには、この道を選ぶしか道がなかったんです」
私は統一原理に出会った頃のことから、少しずつ記憶をたどり始めた。
(統一原理なんか聞かなきゃよかった)
と、何度思ったことだろう。この道は決して楽な道じゃないことはわかっていた。でも父の犠牲によって先祖の犠牲によって、私がこの道を知ったというのなら、つらくても行かなければと思った。私一人が犠牲になることで、先祖や子孫が、そして氏族が救われるのなら、私はこの道を行かなければならないと思ったのだ。
「もし、堕ちたら大変です。七代がのろわれ、堕ちた人はみんな悲惨な末路をたどっています」
そういう言葉を何度聞いたことだろう。私一人が責任を果たさない、神やメシアを裏切ることにより、自分はおろか、先祖や子供たちまで悲惨な結末に陥れることになる。
怖かった。信仰をなくすことが怖かったのだ。
この道は、自分の意志で選んできたと思っていた。けれど、それは選択肢のない選択だった。
話を聞いた以上、あと戻りができない出口のない道を歩くしかなかった。自分が責任を果たさないことに多くの恐怖を与えられ、行く道はひとつしかなかったのだ。私にはこの道しか残されていなかったのである。
自分一人が信仰を持ち続けることにより、世界までもが救えると、すべての重荷をしょったつもりで歩いてきたのではないか。

 

 

(つづく)

 


解説
第4章では、山崎浩子さんが“拉致・監禁”され、旧統一教会の信仰を捨てるまでの様子がていねいに描かれています。

教会から距離を置き、誠意ある牧師の言葉に耳を傾けることによって、山崎さんの頑なな思考は徐々に解きほぐされていきます。


獅子風蓮


山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』第4章 その2

2022-12-24 01:16:06 | 統一教会

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

(目次)
□第1章 「神の子」になる
□第2章 盲信者
□第3章 神が選んだ伴侶
■第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき



反撃のシナリオづくり
3月14日。
とうとう、母の命日もこんなところで迎えてしまった。
私は、万年床にしていた布団をきちんとたたみ、このマンションに来てから初めて、自分で掃除機をかけた。
母へのお供えを用意してもらい、一人一人が静かな祈りをささげた。
その夜。
早々と布団にもぐりこんでいた私のところへ、姉が近寄ってきた。
「ヒロさん、大事な話だから、ちゃんと起きて」
緊張した声だった。私は布団の上に膝をかかえて座りこむ。
「ヒロさん、私はやっぱり、統一教会から脱けてもらいたい。あんたは何もしてないかもしれないけど、こんなに社会悪を起こしている団体の広告塔になっているのが許せないのよ。私が牧師さんとつながっているのは知っているよね」
私は、バスタオルを頭からかぶったまま、ウンとうなずく。
「牧師さんの話を聞くか、今まで通り私たちだけで話をするか、どっちかに決めて。私はいつまででもいいんだよ。一生でもあんたにつき合う覚悟なんだから。ここの暮らしは快適だし、ごはんもおいしいし、ねえ」
私は、快適だという言葉が気に入らず、皮肉っぽくこう言った。
「よかったんじゃない。今まで9カ月間苦しんできたんだから……」
その時だった。
姉の顔色がサッと変わった。
今まで気丈にふるまっていた姉が、涙を流し、声をふるわせながら怒鳴った。
「何が9カ月苦しんで来ただア!あんたに何がわかる! 私は毎日夢を見てきたんだよ。毎日、あんたを説得してる夢を見続けてきたんだ。ごはんをつくってる時も何してる時でも、一時もあんたのことが頭から離れなかったんだ。9カ月間毎日だよ。あんたはそれだけ神様のことを思ってきたのか!」
返す言葉がなかった。
「あっちこっち行って、お願いします、ヒロコを助けてくださいって言っても、誰も引き受けてくれなかったんだ。お姉さん、それは無理ですって。両親がいないのに、どうやって説得できますかって。これは家族の愛情でしか救えないって。
親たちがどんなに必死になって牧師さんにお願いしてるか、あんたたちには、わからないでしょう! 一晩考えて決めなさい!」
かわいい自分の子供たちを家に残して、私のために必死に説得する姉。仕事まで辞めて、このことに関わっている叔父と叔母。
その真剣さにウソはなかった。
でも、この人たちが真剣であるように、私もまた真剣なのである。私は命をかけて信仰を貫きたいと思っているのだ。信仰をなくすぐらいだったら、神様の手によって、霊界に召してもらった方がいいとさえ思っているのだ。
私は負けない。たとえ何を聞こうとも、私の信仰は失われない。真剣勝負の戦いをしよう。
心を決めて眠りにつく前に想像した。
怖い顔の、いかにもいやらしそうな顔の牧師が入れかわり立ちかわり部屋に入ってくる。どんな暴力を加えられても、私は耐えるのだ。ナイフを持ってきて、それを牧師の手にゆだね、信仰を失うぐらいなら死んだ方がましだから私を殺してくださいと言うのだ。
いや、それよりも偽装脱会の方がいいかもしれない。最初は抵抗して、そのうちにわかったふりをして脱会を決める。それぐらいの演技はできるだろう。そして記者会見をする。浅見定雄や、統一教会に詳しいジャーナリストの有田芳生、それから明日から来る牧師やその他もろもろを横にズラーツと並べてやるんだ。記者会見場へ行く廊下で勅使河原さんとすれ違う。私は目も合わせずに、スーッと会場の中へと入っていく。それから私はしゃべり始める。
「私はここ座っていらっしゃる浅見先生はじめ多くの方々に感謝しています。なぜならば、統一原理が真理であることを再認識させてくれたからです」
みるみる変わっていく反牧のやつらの顔。私はそこで“拉致・監禁”の実体を暴露するのだ。
ウン、これは面白いかもしれない。でもちょっとやり過ぎかな。
まあ、いろいろ話を聞いて、「牧師さん、話はわかりました。でも私は統一原理を信じます」
というのがいちばんいいだろう。
あれこれと考えていると、なかなか眠れない。私は聖書を取り出して一心に読みふけった。


元教会員牧師の脱会理由
翌朝、姉に牧師さんを呼んでほしいと頼んだ。
そして、その日の夕方、二人の牧師が訪れた。自分の教会の仕事があるので、翌日からは交代で来られるということだった。私は三つ指をついて、少しばかり笑みを浮かべて出迎えた。
「ボクがサタンに見えますか?」
私は首をふった。誠実そうで嘘がつけないようなタイプに見えた。統一教会で言われているのとは、ちょっと違うなと思った。
「あなたは、統一原理を真理として信じているんですか」
「はい」
「真理とは、ぐらぐらしない、動かないものという意味ですね」
「はい」
「そしたら、統一原理が本当に真理であるのか一緒に検証していきましょう」
「はい」
今日はあまり時間がないので……ということで、初めに聞かされたのは、脱会した信者に対して、教会の指導者クラスの人からの脅迫電話を録音したテープだった。
(こんな人もいるの?)
おそろしいほどに、薄汚い口調だった。
統一教会をやめるのはいいが、反対活動だけはするな。霊の子たちに連絡するんじゃない。もし、そんなことをやったら、ただじゃおかない。----そんな内容のテープだった。
私は悲しくなった。教えは正しいのに、こんな人がいるから、教会が悪く思われたりするんだ。
文先生に申しわけない。そう思った。他にも多くの暴力事件の資料を見た。
信じられない。
しかし、統一原理は正しいし、メシアである文先生は正しい。それなのに私たち一人一人が、きちんと責任を果たさないから、こうなってしまうんだ。いきすぎのあった点は、これから私たちが改善していかなければならない。そうでなければ、神とメシアがかわいそうだ。
私は何を聞いても、そんなふうに思うばかりだった。
翌日。
牧師さんが自分のことを話してくださった。彼は、なんと以前統一教会員だったのだ。
(どうしてこの人は、堕ちちゃったんだろう。アダム・エバ<男女問題>か、アベル・カイン<上下問題>か。それとも反牧の手によるのか)
ところが、そのどれでもなかった。彼は教会員である時に、既成教会の神学校へ通わせてもらったのだそうだ。キリスト教と統一教とをひとつにしなければならないという神の摂理があるので、キリスト教を学ぼうということだったらしい。
そして、そこで統一原理でいうキリスト教の概念がかけ離れていることを感じ、深く学んだあと、自分から統一教会を脱会したのだそうだ。キリスト教を学んで、統一原理の間違いに気づいたのだという。
私は今まで、そんな人に出会ったことがなかった。教会の中で耳にするのは、「天理教や創価学会や、いろんなところから統一教会にいっぱい来てるのよ。それに既成教会からもね、たくさん来てるの。みんな今までのキリスト教では得られなかったものがあるから、どんどん来てるのよねえ」ということだった。
逆に統一教会から既成キリスト教へ自分の学びによって離れていく人がいることなど聞いたことがなかったし、また信じられなかった。
これこそ真理と思えるぐらい、統一原理は素晴らしいものなのに、それを自分から捨てたというのか。


脳天を打った衝撃の一文
そんないくつかの話のあとだった。『福音主義神学概説』(H・ミューラー著、日本基督教団出版局刊) のたった数行の文を見せられた時、私は、身体の中がカーッと熱くなったのを感じた。
それは、次のようなものであった。

問1 福音主義神学の本質は何か

1)福音主義神学は、〔十戒の〕第一戒の約束に基づいている。「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」(出エジプト記20・2-3)。福音主義神学は、すべての真正なユダヤ教神学とともに、ご自身をその言葉そのものによってその民に啓示し給うた神の約束の下に立っている。それはその基点において、啓示神学である(ローマ3・2f)。
それによってすべての異教的神学(自然神学)が退けられる。なぜなら、
 a  福音主義神学は、神が人間を欲し、求め、見出し給うことによってご白身を認識させるべく与え給うということに信頼しているが、しかし異教的神学は、人間が神を欲し、求め、見出すことによって神を発見するということを頼りにしているからである。
 b  福音主義神学は、神が神からしてのみ、すなわち神ご自身のみ言葉からしてのみ認識され得るということ、それゆえまた神がご自身を人間に啓示し給うということに基づいているが、異教的神学は、神が創造から(現に存在しているものから)認識され得ると考え、それゆえ人間は神を発見し得ると考えているからである。
 c  福音主義神学は、神認識が賜物であり恵みであることを知っているが、異教的神学は神認識を宗教性や敬虔における人間の業と見なしているからである。

(統一教会は、キリスト教を統一するなんて言ってるけど、これでは、そんなことは絶対にできない。キリスト教における最大の罪を犯しているんじゃないだろうか)
統一原理は、被造世界から、つまり現に存在しているものから、神を知ることができるという教えだった。
つまり、福音主義神学では異教的神学と定義されていることを、統一教会は行っていることになる。神を人間の理性や知性でおしはかれる存在とする統一原理は、神を人間より小さい存在として見ることになるというのが、福音主義の考えである。たとえ福音主義というものがキリスト教の中の一部の考えだったとしても、統一原理とは決して交わることはない。統一教会がキリスト教を統一することなど、できない相談なのだ。
私は、その本を一晩中読み続けた。難しい本だった。けれど、統一教会の信仰は、この本でいっている本当のキリスト信仰とはかけ離れているものであり、正反対の極と極であることだけはよくわかった。
どっちのいう神がホントなんだろう---- 。
(神様、どうか私に正しい判断を与えてください)

 

 


(つづく)

 


解説
第4章では、山崎浩子さんが“拉致・監禁”され、旧統一教会の信仰を捨てるまでの様子がていねいに描かれています。

米本和広『我らの不快な隣人』(情報センター出版局、2008.07)
という本があります。

米本和広氏は、統一教会問題に取り組む弁護士・宗教家・学者・元信者たちから、「統一教会の肩を持つルポライター」として批判的に見られることがあります。
安倍元首相襲撃事件を起こした山上徹也が事件前に手紙を出した人物としても知られています。
山上徹也はなぜ反統一教会の運動をしている「正義の弁護士」に相談せず、「統一教会寄り」と見られることもあるルポライターに手紙を出したのでしょうか。

少し調べてみました。

米本和広
経歴:
島根県生まれ。横浜市立大学卒。繊研新聞記者を経てフリーのルポライターとなる。
本来は経済関係が専門だったが、幸福の科学の取材をきっかけに、新宗教やカルトの問題をも多く扱うようになった。……
『月刊現代』2004年11月号に発表した「書かれざる『宗教監禁』の恐怖と悲劇」を機に、世界基督教統一神霊協会(統一教会、現在の世界平和統一家庭連合)の脱会活動を拉致監禁と主張する本を出版し、それまでのカルト批判の立場に加えて、反統一教会・反カルト陣営の活動も問題視するようになった。統一教会の公式サイトでも米本の活動が複数回取り上げられている。
(Wikipediaより)

米本氏のスタンスは次のようである。すなわち、統一教会が「高額な信者献金」や「正体を隠しての伝道活動」の問題で社会的批判を受けても仕方はないが、「だからといって、子ども──子どもといっても成人であり、なかにはすでに結婚し家庭を築いている人もいる──を強引に拉致監禁し、強制的に説得するという行為が許されるはずはない。『拉致監禁』は刑法220条の『監禁罪』=懲役3ヶ月以上5年以下に相当する犯罪であり、たとえ親でも免責されるわけではない。
講談社「月刊現代」が強制改宗事件に関するドキュメント掲載 より引用)

米本和広氏の著書『我らの不快な隣人』を図書館で借りて実際に読んでみたところ、統一教会の悪い面はしっかりと断罪した上で、信徒を“拉致・監禁”して逆洗脳をする方法に対して、厳しい批判をしています。
反統一教会陣営では名うての“脱会屋”として、有名な人物(宮村峻)もいるそうです。
宮村には暴力的言動や、脱会させた信者を自分の会社の社員にするといった公私混同があるとのことです。
脱洗脳を手助けする牧師にも、金儲け主義的で乱暴な人もいるようです。


監禁方法についても具体的に言及されています。
少し引用します。

監禁にもソフトとハードがある。
もっともソフトなのは、山崎浩子を脱会説得した杉本誠のやり方である。
彼が好んで使う言葉は「南京錠ではなく愛情の目で縛れ」というもの。
家族に用意してもらうのは民宿。そこに両親、兄弟、祖父母、親戚……など一族を集める。……
杉本が要求するのは監視要員としてではなく、その信者のことを心の底から心配して民宿に駆けつける人たちである。……

山崎浩子さんは、たまたま“反牧”の中でも良質の牧師さん(杉本誠)に巡り会えたようです。
そのおかげで、脱洗脳がスムーズに行われたと言えるでしょう。


獅子風蓮