その後しばらくシニフィエさんのブログ更新が滞ります。
やがて、相も変わらない以前の記事の繰り返しのような記事が、散発的に掲載されます。
●「創価が宗教ではないことは誰にでもわかります(2021年4月10日)
●「創価が宗教ではないことの証拠は、現実の学会員さんの人生そのものです。」(2021年4月30日)
この中で、シニフィエさんはコメント欄を近々開くことを知らせています。
このブログを休止してから80日ほどになりますが、創価問題に対する私の気持ちも意外なほど変化がありました。以前はきつい思いをしても書かずにおれなかったのが、今はそれほどでもなくなりました。熱が冷めたという訳ではありませんが、コメント欄を停止して、自分一人が思うことを書いても、これまでさんざん書いてきたことなだけに、繰り返しになってしまうのと、やはりこのブログはタイトルが表しているように対話の場であることに意味があると再認識した次第です。
(中略)
ということで、もう少ししてから、折を見て、コメント欄を再開しようと思います。それまでもうしばらくお待ちください。
これに先立って、ゼロさんやレモンさんは、シニフィエさんの犯した誤りと私がいまだ許していないことを知っているはずなのに、そこは無視して、対話ブログの再開を望むエールを送っています。
詳細はこのブログの記事「ゼロさんとの「対話」おまけ~その2」(2021年5月4日)に書きました。
今回のシニフィエさんの記事をうけて、ゼロさんやレモンさんといったシニフィエさん信奉者たちは色めき立ちます。
レモンさんはこんなことを書いています。
「覚醒した場所」(5月1日)
「私は傷ついた」「このブログはこうあるべきだ!」と声高に叫ぶ人に限って、周りを不快にさせ、他人をグサグサ傷つけ、引っ掻き回している事に気がつかないものだ・・・と、個人的には思っています。
名指しこそされないものの、私も批判されているようです。
残念です。
私自身、シニフィエさんにはひどい目に合わされました。
どうして、あんなに強くレモンさんに非難されなくてはならないのか、わかりません。
ゼロさんやレモンさんは、どうしてシニフィエさんの罪が明らかになった今でも、それを直視しないのでしょう。
この辺のことは、「私はどんな小さな冤罪も許さない! その3」(5月12日)に書きました。
その後、またシニフィエさんのブログ更新が滞ります。
シニフィエさんに何か起きたのでしょうか。
つづく。