友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」より
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。
カテゴリー: WAVE MY FREAK FLAG HIGH
ギターの歴史を変えたジミ・ヘンドリクス作曲の“If 6 was 9”の歌詞の中に出てくる言葉をヒントにしています。
(中略)
この曲は、そういう「違う生き方」を象徴する曲とされています。「異者の旗を振ろう」という意味ですね。
このタイトルのもとで、繁栄のなかの息苦しさを突破する「違う生き方」の可能性、また3.11以降の社会のありようを考える哲学的、宗教的なエセーを綴ろうと思っています。
2018年2月22日投稿
友岡雅弥
昨年、むちゃくちゃ、明白な事実に、ふと気がついて、なんで、こんなシンプルなことに気がつかなかったんだろうと、おどろいたことがあります。
ゴータマ・ブッダも、イエス・キリストも、ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフも、孔子も、みんな、「ひとり親」なんですよね。
ブッダは、難産で、自分が生まれたことで、母親が死んだ。生まれた時は、当然、分からなかったでしょうが、物心ついて、自分の「生」が母の「死」をもたらしたことについて、思いを巡らしたに違いありません。
仏典を見ると、沈みがちであった若き日のシッダールタのことが随所に描かれています。
イエスは、「マリヤの子」=「私生児」とバカにされました。当時のユダヤ社会では、「父親の名」で呼ばれるのが通例です。
「マタイ福音書」冒頭には、イエスにいたる系譜が出てくるのですが、ここに5人の名前が挙がっています。タマルとラハブは、娼婦。ルツは、敵視、蔑視されていた異民族モアブの女性。バトシェパは、ダビデによって「拉致された人妻」、そしてマリアです。
ムハンマドは、生まれる数カ月前に父が死んだ。
孔子は、後の時代に、権威づけるために、エラい人と関係づけられていますが、実際はそうではなく、母は売春も行う葬祭に関わる巫女、16歳で孔子を生んだといいます。しかも、墓場のようなところで。
知の巨人、白川静先生は、こう語られています。
「孔子の世系についての『史記』などにしるす物語は、すべて虚構である。孔子はおそらく、名もない巫女の子として、早く孤児となり、卑賤のうちに成長したのであろう。そしてそのことが、人間についてはじめて深い凝視を寄せたこの偉大な哲人を生み出したのであろう。思想は富貴の身分から生まれるものではない。『左伝』の荘公十年に、「肉食の者は鄙(いや)し」という語がある。搾取と支配の生活は、あらゆる退廃をもたらすにすぎない。貧賤こそ、偉大な精神を生む土壌であった」(「孔子伝」)
日本でも、ものをきちんと考えない人たちは、「戦後の文化的な自由さ」が、家族倫理を崩壊させたと言って、シングルマザーさんを、その象徴であるかのように、「我慢が足りない」とか「我がまま」とか言って、しばしば攻撃しています。
でも、ひとり親は「倫理の崩壊」の象徴なのでしょうか。
別の角度から考えましょう。
アメリカにおいても、「保守的」「古い家族制度にノスタルジーを抱く」「家族制度の崩壊は、リベラルのせいだ」という人々が多い共和党支持の州、またバイブル・ベルトと呼ばれる保守的キリスト教解釈が広がる州があります。でも実は、そういう州のほうが、ひとり親家庭は多いのです。
cf. Jennifer Glass and Phillip Levchak," Red States, Blue States, and Divorce,: Understanding the limit of Conservative Protestantism on Regional Variation in Divorce Rates," American Journal of Sociology 119 (January 2014); 1002-46.
家族の(いい意味での)安定は、母親は家にいるべきとか、父親に威厳をとか、そういう迷信ではなく、まさに家庭の安定は、経済的安定と相関関係にあり、福祉制度の拡充が、離婚率を下げるという、明確な調査研究結果もあります。
Juho Harkonen and Jaap Dronkers, "Stability and Change in the Educational Gradient of Divorce: A Comparison of Seventeen Countries," Exuropean Sociolagical Review 22 (December 2006): 501-17.
「道徳の退廃」を嘆く人たちとの言い草とは逆に、福祉政策の拡大が離婚率低下と関連しているのです。
やはり、搾取と支配の生活こそが、あらゆる退廃をもたらすにすぎないのです。
【解説】
「貧賤こそ偉大な精神を生む土壌」という前半の主張はよく分かります。
しかし、それが後半の主張「搾取と支配の生活こそが、あらゆる退廃をもたらすにすぎない」にうまくつながりません。
無理に、戦後の「シングルマザー攻撃」に話をつなげる必要はなかったような気がします。
それにしても、私の家庭を含めかつての創価学会員には貧しい人が多かった。
その貧賤の人々の中から偉大な思想家が生まれたかどうかは分かりませんが、ご自身のお生れを「施陀羅が子」とおっしゃっておられた日蓮大聖人の生き方を誇りに、自分の家の貧しさを卑下することなく生きてこれたのは、私たちの信仰のおかげではあったと思います。
友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。
獅子風蓮