■たぶんよかった 投稿日: 2011年12月20日
ここでいろんなことを書いているうちに、自分はやっぱり精神的に解放へ向かっているんだなと言う気がしてきました。自分のことに限って言わせていただけたら、まだ少しとはいえ創価学会のMCから抜け出せてよかったと思います。まだまだ問題はたくさん抱えているし、いまままで見えなかった問題の大きさ、つまり今だからこそ見えてきた問題の大きさを思うと恐ろしくなりますが、とりあえずよかったんじゃないかと思います。決して手放しで喜べることではないし、これまで創価学会員の子供として生まれたがゆえに欠落してしまった人生のかなりの部分をどうやって埋めていけばいいのか、正直まったく見当もつきません。
これから創価学会に入会しようとする人はそうそういないとは思いますが、創価学会員に取り囲まれて、ワケ分からないうちに入会してしまう前に、一度でいいからこのブログに書いてあるみなさんのコメントを読んでいただければと思います。入会するのはそれからでも遅くはないはずです。生まれてから53年間、この信心を続けてきた私が正直な気持ちを書きはじめたばかりのブログです。ひとつだけはっきり言えるのは、創価学会に入るということは、世間一般の常識から遠く離れて生きていくということです。そうした人たちだけの世界に囲まれて暮らすことを望むのであれば、自分の意思でそうしてください。それが自分の意志でないのであればやめるべきだと思います。
このブログは、仏教の教義を事細かに精査したりするのでなければ、創価学会を一方的に攻撃するような場所でもありません。生まれたときから創価学会という環境で生きてきた53歳の普通(ある意味普通ではないかもしれない)の男が創価学会から離れていく過程を綴っていく現在進行形のブログです。これから聖教新聞をはじめとした出版物購読を断り、財務と公明党支持を断り、幹部である兄夫婦の説得を退け、必要であれば学会幹部と対話をし、無事に脱会届を学会本部に受理され、やがて自分が入るであろう墓を創価学会とは関わりのない場所に確保し、自分の家族やこれから受け継がれていくであろう私の命を創価学会から完全に離してしまうところまでこぎ着けるためのドキュメントとして書いていきます。そこにいろんな方のコメントやアドバイスをはじめ、創価学会にまつわる今後をテーマにしての有意義な対話が展開されることを願っています。最終的には、これから創価学会に入ろうと思っている人の考える場所となる定番ブログになればと思っています。
みなさま、コメント欄に真摯なご意見をお寄せください。
■お墓について 投稿日: 2011年12月21日
以前、私の兄夫婦が「○○に墓を移すことにしたから。費用はおばあちゃん(母親)とうち(兄夫婦)で出すから心配しないで」と勝手に決めてきました。私はびっくりしました。我が家の墓は日蓮正宗の寺院が所有管理する墓苑にあって、20年前に他界した父の遺骨があります。毎年お彼岸とお盆とお正月前には家族でお参りに行っていました。その墓苑は自宅から車で20分ほどの場所ですから、普通に墓参りができる距離です。移す墓というのは、車で高速を飛ばしても4時間かかるとんでもない山中です。みなさんご存知のように学会の墓苑はアメリカのアーリントン戦没者墓地のような、まったく同じ形の小さな墓石が何千何万と並んでいるだけの異様な光景の墓苑です。私は墓を移すことに反対しましたが、「分骨する」という折衷案で折れました。ですから私は今でもこれまでの日蓮正宗の寺院の墓に行っています。学会の墓苑にも納骨のときと、その後に妻と息子を連れて行きました。兄夫婦は納骨のときに行ったきりです。結局、日蓮正宗の墓がいやで学会の墓を購入して父の遺骨の一部を埋葬してはみたものの、移した兄夫婦がまったく足を運ばないほどの距離に墓をつくってしまいました。私はその広大な敷地の墓苑に行ってすぐに思いました。学会はこれでいくら儲けたんだ。誰も住めないような二束三文の土地を買いたたいて切り拓いた土地に、一区画数十万円の貧弱な墓が何千何万とある。墓石はすべて同じ仕様で、小さく、納骨するところも本当に貧弱でまるで下水溝のようでした。また簡単に大量生産できるものでした。亡くなった父は、生きているときに一度も行ったことのない遠い見知らぬ土地のこんなところに骨を埋められてどんな気持ちでいるでしょうか。兄夫婦は日蓮正宗の墓にも行かないわけですから、結局墓を失ったも同然なのです。それは父や先祖代々の供養のためではなく、自分たちが日蓮正宗の墓に行くのが嫌だからという身勝手な理由なのだと思います。人間にとっての墓とはとても大切なものです。自分の生まれ育った土地にあって、子や孫がお参りに来てきれいにしてくれるだけでありがたいものです。また先祖を供養し、自分のアイデンティティを確認する大切な場所であり、子供たちへ生命の尊厳を語り、命を継承して行くことの大切さを教えていく場所でもあります。そんな家族にとっての、また先祖代々にとってかけがえのない大切な墓を、こんな形にしてしまうことに何も疑問を感じない兄夫婦なのです。学会のやることはすべて正しい。兄夫婦は幹部としてそうとしか思えないように飼いならされています。私は日蓮正宗の墓にも、ましてや学会の工場のような墓苑にも入る気はありませんから、新たに我が家の墓をどこかにつくらなければなりません。両親とは違う墓に入ることになるかもしれません。若い方にはまだわからないかもしれませんが、それはとても重要な問題なのです。
●学園卒 (2011年12月21日 15:17 )
はじめまして。学園卒と申します。学会2世です。学園ではスーパー内部、つまり、小学校から入れられ、危うく純粋培養されるところでした。笑ですが持ち前の好奇心と反骨心で、魂を取り戻しまして、(負けじ魂ではない)大学は創価ではありません。ここにくるまで、色んなことがあり、一時期うつみたいになっていましたが、徐々にMCもとけてきまして、自分で考えた自分の道を歩き出しているところです。学園は、池田崇拝者の養成所です。自分はあそこで過ごした12年の中で、様々な立場を経験してきました。池田のためならと、献身的に学園につくし、皆を扇動する中心者。(←これについては今も思い出すと恥ずかしくなります。)学園が理想とする生徒とは正反対の所謂落ちこぼれ。これらの立場を経験し、気づいたことは、学園は池田のためにあり、学園という一つの国家を守るために学園は存在するということです。学会の組織が組織それ自体のためにあるように、学園も学園それ自体のためにあります。生徒は、交換がきくコマにすぎません。事実、使い捨てされる友がいました。いまもそれは続き、教師は善としてそれを行っています。もしかしたら確信犯もいるのかもしれませんが。とにかく、学園がかわること、また、学園生が気付くことを望んでいますし、卒業した者として何かできないかと模索中です。初めてのくせに長々とすいません。更新楽しみにしています。
●シニフィエ (2011年12月21日 15:38 )
学園卒さん、コメントありがとうございます。小さい頃から強烈な人生でしたね。抜け出せてほんとうによかった。言葉に力を感じることができます。今後ともよろしくお願いします。
●ココア (2011年12月21日 18:58 )
シニフィエさんはじめまして。そして学園卒さんも初めまして。ココアと申します。私も学園卒さんと同じように二世で学園卒ですが学園に在籍したのは高校3年間だけです。もう卒業して20年近く経ちますが、今思い返しても異常な世界だったなとつくづく感じています。某国立大に進学して学生部・女子部でも活動らしきものをしていましたが、その4年間で決定的に自分はこの組織が嫌いだという思いに至りながらも表に出す勇気もないまま、機会がありまして日本を離れ以来ずっと海外で生活しています。それでも信心から離れてはいけないという気持ちはあってこちらの組織に顔を出したこともありましたがここ7,8年は完全に心が離れやっとそれが正しい選択だったと思えるようになりました。先日ひょんなことから実家にそのことをきちんと話す機会があったのですが当然ながら全拒絶、おかしいと思うのは組織から離れてるから。とにかく組織につけばわかるの一点張り。そしてなんのために学園に入ったのかと責められ最後は向こうから一方的に電話を切られました。なにが対話なんですかね。もうこれで親子の縁も切れるのでしょうか?ほんとにとんでもない宗教です。続きます。
●ココア (2011年12月21日 19:08 )
ただ、あの異常な世界だったと思える学園生活でもそこで得た友人たちはいい人たちなんです。努力して医者や弁護士などになった友人も多いです。もちろん原動力は創立者との誓いを果たすためで、その点については私はもはや理解を示すことはできませんが、それでも彼らの人柄や努力は尊敬しています。なのでその友人たちにはまだにカミングアウトできずにいます。仲間に脱落者を出したと彼らが自分たち自身を責めそうな気がして・・・そしてやっぱり学園卒で私みたいなのはあまりいないのかと思ってたのですが、学園卒さんや他にもいらっしゃって少し心強い思いがしました。学園卒さんは学園での同級生などに話していますか?他にもそういう人いますか?シニフィエさんのブログの場をお借りしての質問で申し訳ないのですがとても気になります。まとまりのないコメントで申し訳ありません。
●もも(ら) (2011年12月23日 08:41 )
このブログをご覧になっている現役学会員の皆様へお聞きします。12月13日付けの聖教新聞「寸鉄」に「組織での忘年会・新年会は禁止」とありましたが皆さんは本当にこの「ご指導」を真に受け守るのですか。会社で言えば「同僚らと酒を飲むな」と言っているのに等しいのですよ。そんな組織が存在するのですか・・・驚きです。ここは日本です。最高指導者が亡くなり「嘘泣き」をしなければ「収容所」に送られるどこぞの国とは違うのですよ。学会員のみなさんからの回答を楽しみにしています。ちなみに昨晩は駅前の某居酒屋チェーン店においては婦人部の皆さんが楽しそうにお酒を飲んでおりましたが・・・(笑)こんなもんだと思いますが(爆笑)
●シニフィエ (2011年12月23日 15:41 )
今夜は私の仲間の忘年会。今真っ最中です。画家、デザイナー、写真家、クラシックの演奏家、ジャズミュージシャン、ソムリエ、経済学者、教育学者、工学博士、飲食店経営者、医者、看護師、公務員、教職員、僧侶、などなど30数人のいろんな職業の仲間たちがお酒や食べ物を持ち寄り、演奏家は互いにコラボしながら素敵な演奏を楽しんでいます。おそらく学会が忘年会を表向きであっても禁止しているのは、不祥事が学会の名前で公になるのを避けるためでしょう。私が結婚するときに、未入信だった妻に対して、学会幹部から入会にあたっての注意事項として「学会員として不倫を絶対しないように」としつこく言われたのを今でもよく覚えています。今から結婚しようとする若い二人に向かって「学会員として絶対不倫をしないように」と言い放つ神経はなんだろうと驚きました。学会員であろうがなかろうが、不倫は行けないことだし、それ以前にこの場のこのタイミングで普通言うかなということです。今考えたら、当時本部幹部の不倫がもとになる痴情騒動が世間を騒がせたんですね。
【解説】
このブログは、仏教の教義を事細かに精査したりするのでなければ、創価学会を一方的に攻撃するような場所でもありません。生まれたときから創価学会という環境で生きてきた53歳の普通(ある意味普通ではないかもしれない)の男が創価学会から離れていく過程を綴っていく現在進行形のブログです。
はい、興味津々です。
あの異常な世界だったと思える学園生活でもそこで得た友人たちはいい人たちなんです。努力して医者や弁護士などになった友人も多いです。
ココアさんも学園卒なんですね。
共感を覚えます。
私が結婚するときに、未入信だった妻に対して、学会幹部から入会にあたっての注意事項として「学会員として不倫を絶対しないように」としつこく言われたのを今でもよく覚えています。
シニフィエさんの奥さんは未入信だったのですね。
奥さんは結婚後、どういう経緯で信仰するようになったのでしょうか。
興味があります。
獅子風蓮