師弟不二ARCHIVEに寄せられた友岡雅弥さんの記事は、以上ですが、ネットでは、それに引き続く、「生前最後のもの」と思われる、友岡雅弥さんの手紙が公開されていました。
友岡雅弥さんの人となりもよく分かる内容でした。
引用します。
特別企画 =妙法の万葉を紡ぐ=
京都乃鬼新聞【嵐の4.24 】に寄せて
京都乃鬼新聞
2019-4-24
=友岡雅弥氏の絶筆か!?=
弊社で調べたところ、現時点で確認が出来る限り、友岡さんの心情が詰まった文章として生前最後のものと思われます。
今年2019年3月中旬に書かれたものです。
意義深い「嵐の4.24 」から40周年、その日に当たり、送り宛て先様のご了解があり、また友岡さんの人となりもよく分かる内容ですので、弊紙に掲載の上、皆様に公開させて頂くことになりました。
なお、私的な御礼文ですので、プライバシーに配慮し、一部を削除、編集させて頂いております。
また、この御礼文の背景としては、友岡さん自身がご自分の健康が優れない事がわかっていて、またご家族の反対も押し切って敢えて東北のボランティア活動に向かわれたのですが、、
それは何よりも、友岡さんが育てたボランティア活動の真の意味を知る学生さん達との約束があったからでした。
後継の為に命を捧げられたのかも知れません。
「寄付の御礼」
今回は、温かく、そして貴重なお心よせ、こころの底から感謝しています。
ありがとうございました。
学会に入会する前から、社会的弱者と呼ばれるかたがたの支援をしていました。
それは母親が、知的障がいをおもちのお子さんの学級を、結婚前、戦後すぐから始めたのと関係するのかもしれません。
母は結婚し、僕が生まれましたが、母親の学級の生徒さんが、僕の人生の最初の友だちだったからです。
ハンセン病隔離療養所の訪問や、ホームレスの支援活動をし、また東日本大震災以降は、聖教新聞の記者の仕事とは別に、自費で被災地に通い続けていました。
しかし、記者として、ライフワークにしていた、そういう社会的弱者へのまなざしを持った記事が、「聖教にはふさわしくない」と、批判され、会員に間違った意識を植え付けるものと、処断されて、あとは、査問の連続。
揚げ句は、ちゃんと決裁を受けて行った東北の取材ですらも、「電話でいい。行く必要はなかった」ということで、出張費536万円を全額返金ということになりました。
相談した弁護士さんたちは「訴えたら100%勝つ」とおっしゃいましたが、時間がもったいないのと、価値がまったく違う、今の創価学会に、どのような形でも(裁判という形でも)触れるのは、とてもイヤだったので、自由を勝ち得たと思って、聖教を退職。
収入はなくなり、退職金の取り崩しとかでつないでいます。
(今年の11月からは、年金が入りますが)
連れ合いも、カウンセラーとして働いているので、生活に困窮するということはありません。
しかし、ずっとかかわり続けてきた、東北被災地の現場があり、毎年、1、2回は、大学生さん達を、東北被災地にお連れしています。
その大学生さん達の中から、すでに二人が、被災地の自治体の職員や、被災地の400年の老舗の職員となって、現地で活躍しています。
また、昨年から、いろんな国々の留学生さんたちともつながりが出来て、彼ら・彼女らを、釜ヶ崎の支援活動にお連れしています。
そして、彼ら・彼女らから、東北に行きたいという希望が強くでてきたので、今年以降は、日本の学生さん達を1、2回、各国の留学生さん達も、そのぐらい、東北にお連れしようと思っております。
漁業・農業のお手伝い、また、知りあいになった、在宅ホスピス医院でのお手伝いなどを行います。
おかげさまで、日本の学生さん達、各国の留学生さん達を、東北へお連れする交通費は、支援してくださるかたは、なんとか今のところいらっしゃいます。
また、宿泊費も、僕が今まで、通ってたことで、「あんたの連れて来る人だったら、漁師小屋ただで使ってもいい」とか「地域交流センターで、布団代だけでいい」とか、ありがたい申し出があります。
しかし、実際の現地の交通手段は、レンタカーとなり、たとえば、この3月25日から、31日までの、日本の学生さん達の「福島・宮城・岩手」の1週間のボランティア・ツアーは、レンタカーとガソリン代、高速代で、20万円近くになります(大型のバンを借りるので)。
それで、今後のことも考えて、「うーん、どうしよう」と思ってたところ、今回の、温かいお心よせで、かなり、これからに希望がでてきたところです。
ほんとうに、助かりました。
ありがとうございました。
友岡雅弥
提供は
敵からは恐れられる
味方からも怖れられる
京都乃鬼新聞社でした。
友岡雅弥
大阪大学文学部博士課程単位修得退学(インド哲学専攻)
高校時代から、ハンセン病、被差別部落、在日、沖縄、障がい者、野宿生活者など、さまざまな「社会の片隅で息をひぞめて暮す人々」の日常生活のお手伝いを。
2011年3月11日以降、東北太平洋沿岸被災地に通う。
大学院時代は、自宅を音楽スタジオに改装、音楽はロック、hip-pop、民族音楽など、j-pop以外はなんでも聴く。
沖縄専門のFM番組に数度ゲスト出演をし、DJとして八重山民謡を紹介。友人と協力し、宮川左近シヨウや芙蓉軒麗花など、かつて一世を風靡した浪曲のCD復活も行ったことも。
プロフィール画像は、福島で三つ目の原発が計画されていた場所だったが、現地の人たちの粘り強い活動で、計画を中止させた浪江町の棚塩。津波で破滅し、今は、浪江町の「震災ガレキ」の集積場・滅容化施設が建設されている。(「すたぽ」より)
【解説】
ハンセン病隔離療養所の訪問や、ホームレスの支援活動をし、また東日本大震災以降は、聖教新聞の記者の仕事とは別に、自費で被災地に通い続けていました。
しかし、記者として、ライフワークにしていた、そういう社会的弱者へのまなざしを持った記事が、「聖教にはふさわしくない」と、批判され、会員に間違った意識を植え付けるものと、処断されて、あとは、査問の連続。
最初、この個所を読んだときは、社会的弱者へのまなざしを持った記事を書くことがどうして「聖教にはふさわしくない」と批判されて、厳しい査問を受け、処罰され、罰金を支払うことになったのか、府に落ちませんでした。
おそらく、高倉先生の日記絡みで、機密情報を外に流したのではないかとか、反学会の人たちと連携があるのではと疑われて、執拗な追及を受けたのではないでしょうか。
友岡さんは、この手紙を書いたあと、ご自分の健康が優れない事がわかっていて、またご家族の反対も押し切って敢えて東北のボランティア活動に向かわれ、そこで体調を崩され、亡くなられました。
ところで、友岡さんが亡くなったあと、精神科の医師で松尾徳大さん(友岡さんの主治医か?)という方が、ネットの
change.org というサイトでオンライン署名を立ち上げたようです。
友岡雅弥さんを死に追いやった人達への適正な刑事訴追を求めます。
現在では、592人の賛同者が集まり書名は終了しています。
次回、詳しくみていきたいと思います。
獅子風蓮