獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

友岡雅弥さんの「地の塩」その22)釜ヶ崎から住民を追い出して星野リゾート?

2024-06-11 01:51:03 | 友岡雅弥

友岡雅弥さんは、執筆者プロフィールにも書いてあるように、音楽は、ロック、hip-hop、民族音楽など、J-Pop以外は何でも聴かれるとのこと。
上方落語や沖縄民謡にも詳しいようです。
SALT OF THE EARTH というカテゴリーでは、それらの興味深い蘊蓄が語られています。
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。


カテゴリー: SALT OF THE EARTH

「地の塩」という意味で、マタイによる福音書の第5章13節にでてきます。
(中略)
このタイトルのもとに書くエセーは、歴史のなかで、また社会のなかで、多くの人々の記憶に刻まれずにいる、「片隅」の出来事、エピソー ド、人物を紹介しようという、小さな試みです。

 


Salt41 - ジェントリフィケーションってどうなん?

2018年10月22日 投稿
友岡雅弥


先日、信頼している後輩が、留学中のアメリカから一時帰国してきました。

彼は、アフリカのある国とコリアンとのダブルで、日本国籍。

ものすごく、良心と知性を兼ね備えたひとです。スポーツできるしね。

いろんなことを話してたんですが、ちょうど、彼の今、住んでいるところが、「ジェントリフィケーション」のまっただなかなんです。

「ジェントリフィケーション」というのは、前にも述べましたように、中低所得者層が住む、安い公営住宅などが民間に払い下げられ、民営化され、そこに高級住宅街ができたりすることなんです。

ジェントリフィケーション、gentrificationは、「高級化」とかいう訳ですが。

(この「民営化」っての、英語のprivatization の訳なんですが、「私有化」ですよね。普通、どう考えても)


さて、彼が住んでいる地域も、ご多分に漏れず、ジェントリフィケーションによって、家賃が、暴騰してしまった!

到底、学生が住めないような状態になってしまいました。

また、低賃金労働者も、住めないようになって、どんどん出ていってるそうです。

大ヒットした、テンプテーションズの「ラン・チャーリー・ラン」の世界ですね。

一昨年でしたっけ、同じくアメリカ在住の友人ご夫妻が、来日されたんですが、お二人も、同じことをいってました。

土地が、ブローカーによって買い占められ、高級集合住宅とかがバンバン建って、そこが世界中の金持ちの投資対象となってる。だから、知りあいも、そこに住むことができなくなって、どんどん出ていっている、という話です。

今、釜ヶ崎は、火事になったりしたドヤがどんどん壊されて、デザイナーズ・ホテルとかが建っています。
それから、釜ヶ崎のすぐ北側、JR新今宮駅の反対側に、巨大な空き地があるんですが、そこが、星野リゾートに払い下げられました。

星野リゾートが、「星野リゾート」っぽいホテルを建てるのでしょう。

約14,000平方メートル。かなりの広さですが、価格は18億円ほどです。 購入者はミナミホテルマネジメント社というところですが、ここに建つ予定のホテルの事業者が、星野リゾートです。

もともとは、クラブ化粧品の工場だったんですね(今は、株式会社クラブコスメチックスという名前で、大阪市西区に本社があります)。

1918年、当時中山太陽堂と言ったクラブコスメチックスが、ここに本社・工場を作ったのです。

中山太陽堂は、「クラブ白粉(おしろい)」が爆発的に売れました。実は、それまで白粉は、有害な鉛が入っており、その被害が多くでていました。当時の社長、中山太一はそのことに心を痛め、鉛を入れない白粉を開発したんです。

当時の社長・中山太一は、当時釜ヶ崎にあった、生活のために働かざるを得ない少年少女のための学校(徳風勤労学校。創立は、あのクボタの創業者、久保田権四郎です)に、診療所を寄付したりしています。

と同時に、子どもたちに質のいい文房具をということで、日本文具製造株式会社を設立、改名してプラトン文具となりました。プラトン文具も、この星野リゾート・ホテル予定地にありました。

そして、プラトン社という出版社も。

執筆陣は、幸田露伴、谷崎順一郎、永井荷風、川口松太郎、室生犀星、岸田劉生、小山内薫、久保田万太郎、泉鏡花、与謝野晶子、山本有三、岸田劉生。

そして、なによりも、その表紙や挿絵やタイポグラフィーには、日本のグラフィックデザインの先駆・山名文夫、天才装丁家・山六朗、挿絵の第一人者・岩田専太郎。

関東大震災で被災し、家族も会社も失ったシャープ創業者の早川徳次さんや、直木賞に名を残す直木三十五も、まさに、ここに転がり込んできて、中山太一のもとで、暮らしを建て直すことができました。


1970年の大阪万博以前、釜ヶ崎には、多くの子どもたちが住んでいました。世界の普通のスラムと同じく、子どもがいて、夫婦がいて、高齢者がいたのです。

それが、万国博覧会建設の若い労働者を全国から寄せてきて、その労働者のための宿泊地として、釜ヶ崎に目をつけた、政府と大阪府は、釜ケ崎のドヤの大家さん、オーナーさんたちに圧力をかけて、子どもたちや高齢者のいる家族を追いだしたのです。

でも、仕事は、釜ヶ崎の寄せ場で見つけなければならないので、追い出された家族は、釜ヶ崎周辺のアパートに引っ越しました。

星野リゾート建設予定地周辺には、ドヤと同じように、日払い、礼金、敷金、権利金なしの、アパートがたくさんあります。それは、この釜ケ崎を追い出された家族が住むアパートだったのです。

今も、たくさんあります。

星野リゾートが建って、 風景はどのように変わるのでしょうか?

それから、クラブ化粧品が、別の場所に引っ越してから、この場所は、警察の機動隊の駐屯地になりました。釜ヶ崎で、行政のありかたに我慢ならないと、労働者が権利要求運動をするたびに、メディアは「暴動」とかき立て、この駐屯地から「鎮圧」のために、最新鋭の放水車と大勢の警官が、新今宮駅の反対側すぐの、釜ヶ崎に飛び出していきました。

橋下前市長のもとで、釜ヶ崎は、「西成特区構想」として、若い世代を呼び込むことができる町へと、変化して行くことが決まってしまいました。

でも、行政の都合で、子どもたちもたくさんいた釜ヶ崎が、日本最大の日雇い労働者の町になった(三万数千人)。その人々が、日本中に散らばって、道路を作り、ダムを造り、ビルを作ってきたんです。

日本が高度経済成長できたのは、その人たちの汗の結晶です。その人たちが働けなくなり、高齢化したら切り捨てる、そんなことをしていいのかな、と思います。


特区構想の特別顧問は、釜ヶ崎をショッピングモールやマンションの街にするといい、釜ヶ崎に今住む高齢者を「スムーズに退出させる」と明言しました(2012年7月3日第2回有識者座談会)。

なんかなぁと思います。でも、みなさんに、少しでも、「現場」「現地」のリアリティを知っていただきたいと、書きました。

 

 


解説

__釜ヶ崎から住民を追い出して星野リゾート?

なんかなぁと思います。でも、みなさんに、少しでも、「現場」「現地」のリアリティを知っていただきたいと、書きました。

 

考えさせられました。


友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。

 


獅子風蓮