獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その18)

2024-11-14 01:03:50 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

前回までは、大川周明氏の講演に対して、そのつどあたかも佐藤氏がこのブログを書いているかのように、私のブログのスタイルをまねて、この本の内容を再構成してみました。

今回からは、佐藤氏の主張を本文として伝え、それに対して、私がコメントをするという従来のスタイルに戻したいと思います。

ご理解の上、お読みください。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
 □「地政学」と「普遍主義」
 □イギリスはいかにして帝国となったか
 □19世紀の英中関係
 □普遍主義にシフトするアメリカ
 □「世界最終戦」構想には種本があった
 □国家を廃絶するために作られた国家
 □20世紀初頭と現代の「相違」
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
 □広く共有されていた日米開戦の「不可避性」
 ■「戦争による死」への肯定的評価
 □「東アジア共同体」構想の舞台裏
 □「力の均衡」か「共通意識」か
〇第六章 性善説という病
 □外交を「性善説」で考える日本人
 □「善意の人」が裏切られたと感じると……
 □国家主義思想家、蓑田胸喜
 □愛国者が国を危うくするという矛盾
 □大川は合理主義者か
 □大川周明と北一輝
 □イギリスにみる「性悪説」の力
〇第七章 現代に生きる大川周明
 □「自国の善をもって自国の悪を討つ」
 □自己絶対化に陥らないためには……
 □各国・地域で形成される「国民の物語」
 □日本に残されたシナリオは何か
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体

「戦争による死」への肯定的評価

なぜ当時の日本人は戦争を悲劇的に受け止めなかったのであろうか。その背後には戦争の時代に対応した死生観がある。――個々人の生命は有限だ。誰だっていつかは死ぬ運命にある。しかし、人間は死んで全てが終わりになるというのではあまりにもさびしい。人生の意味は、歴史に残る貢献をすることで、この貢献の積み重ねが文化を創るのである。そして、そのような文化の創造は国家を媒介として行われる、というのが当時の常識的な考え方であった。戦前・戦中にベストセラーとなった田邊元京都大学教授の言説を見てみよう。

個人は国家を通して人類の文化の建設に参与する事によって永遠に繋がる事が出来るのである。今日我々の置かれて居る非常時に於いては、多くの人が平生忘れていた死の問題にどうしても現実に直面しなければならぬ。皆さんのように一朝召される時は銃をとって戦場に立たねばならぬ若い人々はもとより、私共のような銃後の非戦闘民と雖も、今日の戦争に於いては生命の危険を免かれる事が出来ない。死は考えまいとしても考えざるを得ない真剣な問題となる。そこで生死の問題を、歴史に於いて永遠に参与する立場から考える事がどうしても必要である。しかしこの問題の解決は時間及び歴史の構造について御話した事から既に暗示されているといえる。即ち我々が生きていることが死につつある事なのである。善悪と同じく生死は離れているものでない。我々は唯生きて居ると考えるから死を恐れるのであるが、死は終始実は生にくっついているのである。生の中に少しも死がはいらず、その生の流れが途切れて死に来るのならば死は問題にならない筈である。死が問題になるのは死に於いて生きつつあると共に、生に於いて死に関係しているからである。私は明日死ぬかも来年死ぬかもわからない。私が死ぬ事は決まっている。唯何時死ぬかは不定である。永生という事が単に死なないということならば、それは我々に問題となる事が出来ない。ところで我々が死に対して自由になる即ち永遠に触れる事によって生死を超越するというのはどういう事かというと、それは自己が自ら進んで人間は死に於いて生きるのであるという事を真実として体認し、自らの意志を以って死に於ける生を遂行する事に外ならない。その事は決して死なない事ではなく、却て死を媒介にして生きることにより生死の対立を越え、生死に拘らない立場に立つという事である。具体的にいえば歴史に於いて個人が国家を通して人類的な立場に永遠なるものを建設すべく身を捧げる事が生死を越える事である。自ら進んで自由に死ぬ事によって死を超越する事の外に、死を越える道は考えられない。(田邊元『歴史的現実』岩波書店、1940年、107-109頁)


ここで重要なのは、総力戦が行われる時代になって、戦争が軍人や国家指導部だけの問題ではなく、国民全体の問題となったことだ。田邊は「私共のような銃後の非戦闘民と雖も、今日の戦争に於いては生命の危険を免れる事が出来ない。死は考えまいとしても考えざるを得ない真剣な問題となる」と述べているが、事実、空襲によって非戦闘員も婦女子も生命の危機を免れることができなくなり、死を意識せざるを得なくなった。
戦争における死を国家や文化との関係で位置づけることについて、それを肯定的に評価するか、否定的に評価するかで意見が分かれるが、現在の世界においても肯定的評価が主流である。国家や人類のためになるならば「自ら進んで自由に死ぬ事によって死を超越する事の外に、死を越える道は考えられない」という考え方は、現在も欧米、ロシア、中国、北朝鮮、韓国、イスラエルなどでは普通に受け入れられているのである。ここでもう一度、廣松の分析に耳を傾けてみたい。

当時における“日本国民”は東亜諸民族の「盟主」意識をもち、また「東亜の盟主」としての使命感のごときをもっていた。他面においては、また、欧米列強やソヴェット・ロシアとの戦争の不可避性の意識が定着しており、勝ち残れるかどうか、非常な危機意識がもたれていた。1929年恐慌を境とした世界経済のブロック化が日本経済に深刻な危機をもたらし、円ブロックを形成するためには東亜への進出が“歴史的要請”であったかぎり、ここにおいていわゆる「広域経済圏」、日本の「生命圏」ということが意識されずにはおかなかった。この際、日本の欧米に対する経済的・軍事的危機は、単に日本一国の危機ならざる“東亜の危機”というかたちで意識されたし、欧米列強の対支政策などに徴して、そのように意識されることには現実的な基盤があった。しかるに一方では、中国民族主義が一定の高まりをみせており、それは「日貨排斥」というかたちをとって、日本帝国主義の中国進出に対して大衆的に強力な抵抗を試みる状況になっていた。
このような歴史的情勢のもとで、日本民族主義の心情的論理、「種の論理」(田辺元)の大枠を踰越(ゆえつ)しえない場合、東亜協同体を形成して、欧米列強と対決・勝利しようという願望的構想が生まれるのは必然的であろう。この構案は、楯の反面として「国内改造」を相即的な要件とする。(前出『廣松渉著作集  第14巻』、132頁)

アメリカもイギリスもソ連もそれぞれブロック(共栄圏)を作っている。その傾向は1920年代末から30年代初頭の世界恐慌を経て、一層加速した。日本としても「円ブロック」を作るために東アジアに進出することが歴史的要請となっていた。これは中国がアメリカやイギリスの植民地体制に組み込まれたり、ソ連の影響で社会主義化することを阻止するためにも不可欠で、日本人はそれが中国人の真の利益に適うとも考えた。しかし、日本人は中国人から侵略者、植民地主義者と受け止められた。前述したが、後発帝国主義国である日本としては、中国や東南アジア諸国を欧米列強のくびきから解放したいと思っても、現時点ではそれを実現するための基礎体力が足りないから不可能なのである。従って、期間限定で中国を植民地にしなくてはならない。中国の解放のためにもそれが必要なのである。中国に進出した日本の軍人や民間人の行動に大東亜共栄圏構築に相応し くない行状が多々見られることも事実だ。しかし、これらは過渡的現象で、欧米列強と戦い、大東亜共栄圏を構築することは同時に日本の国家システムを改造することでもある。財閥の横暴や政治家の腐敗を除去し、失業をなくし、国民の生存権を担保する改革を行うことである。だから中国人に焦らずに時間を貸して欲しいと訴えた。この訴えに耳を傾けた中国人もいた。汪兆銘(精衛)の南京国民政府も決して対日協力の傀儡政権ではなかった。中国の現実を踏まえた上で対日協力が中国の国益と考えた政治エリートによる政権であった。しかし、この流れは主流にならなかった。「あなたを苦痛から解放するために、当面あなたの苦痛はもっと大きくなりますが、我慢してください」という、日本人の善意を前提にした論理構成の中に民族的自己欺瞞が入り込む隙ができてしまった。
大東亜共栄圏の罠は、日本の善意にあると筆者は考える。
国際政治は、性善説ではなく、性悪説に立脚した「力の論理」を冷徹に認識した上で組み立てた方が周辺世界との軋轢も少なく、結果として自国の国益を極大化するのだと思う。

東西冷戦終結後、廣松はかつての大東亜共栄圏を彷彿させる言説を展開し、大きな反響を呼んだ。朝日新聞(1994年3月16日夕刊)に寄稿した「東北アジアが歴史の主役に」がそれである。廣松は、右翼の言説ととらえられてきた大東亜共栄圏の構想を左翼が奪取すべきと主張する。

東亜共栄圏の思想はかつては右翼の専売特許であった。日本の帝国主義はそのままにして、欧米との対立のみが強調された。だが、今では歴史の舞台が大きく回転している。
日中を軸とした東亜の新体制を! それを前梯にした世界の新秩序を! これが今では、日本資本主義そのものの抜本的な問い直しを含むかたちで、反体制左翼のスローガンになってもよい時期であろう。
商品経済の自由奔放な発達に歯止めをかけねばならず、そのためには、社会主義的な、少なくとも修正資本主義的な統御が必要である。がしかし、官僚主義的な圧政と腐敗と硬直化をも防がねばならない。だが、ポスト資本主義の21世紀の世界は、人民主権のもとにこの呪縛の輪から脱出せねばならない。(前出『廣松渉著作集 第14巻』所収、499-500頁)

 


解説
私は明日死ぬかも来年死ぬかもわからない。私が死ぬ事は決まっている。唯何時死ぬかは不定である。永生という事が単に死なないということならば、それは我々に問題となる事が出来ない。ところで我々が死に対して自由になる即ち永遠に触れる事によって生死を超越するというのはどういう事かというと、それは自己が自ら進んで人間は死に於いて生きるのであるという事を真実として体認し、自らの意志を以って死に於ける生を遂行する事に外ならない。(中略)具体的にいえば歴史に於いて個人が国家を通して人類的な立場に永遠なるものを建設すべく身を捧げる事が生死を越える事である。自ら進んで自由に死ぬ事によって死を超越する事の外に、死を越える道は考えられない。


田辺元京都大学教授のこの言葉は戦後の民主主義的文脈の中で大きな批判にさらされました。
田辺の哲学は、国家や政治的なテーマを扱い、戦場での死を哲学的に正しいことであると主張したためです。

ですから、田辺の言説を肯定的に評価する佐藤氏の文章にはちょっと驚きました。
もう少し、氏の論評を読み進めていきたいと思います。


獅子風蓮