獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『国家の罠』その19

2025-02-02 01:19:42 | 佐藤優

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

まずは、この本です。

佐藤優『国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』

ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行。

国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて
□序 章 「わが家」にて
□第1章 逮捕前夜
□第2章 田中眞紀子と鈴木宗男の闘い
 □「小泉内閣生みの母」
 □日露関係の経緯
 □外務省、冷戦後の潮流
 □「スクール」と「マフィア」
 □「ロシアスクール」内紛の構図
 □国益にいちばん害を与える外交官とは
 □戦闘開始
 □田中眞紀子はヒトラー、鈴木宗男はスターリン
 □外務省の組織崩壊
 □休戦協定の手土産
 □外務官僚の面従腹背
 ■「9・11事件」で再始動
 □眞紀子外相の致命的な失言
 □警告
 □森・プーチン会談の舞台裏で
 □NGO出席問題の真相
 □モスクワの涙
 □外交官生命の終わり
□第3章 作られた疑惑
□第4章 「国策捜査」開始
□第5章 「時代のけじめ」としての「国策捜査」
□第6章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
□あとがき
□文庫版あとがき――国内亡命者として
※文中に登場する人物の肩書きは、特に説明のないかぎり当時のものです。

 


「9・11事件」で再始動

そんな状況下で、2001年9月11日、米国同時多発テロ事件が起こったのである。同日午後10時過ぎ、外務省分析第一課の部屋で私はNHKニュースを見ていたが、突然画面が切り替わり、ニューヨークの世界貿易センタービルに飛行機が衝突したようだという臨時ニュースが伝えられた。しばらくするともう一機が衝突した。
これは偶発事故ではない。このビルは以前、アルカイダに狙われたことがある。北海道にいる鈴木宗男氏から「佐藤さん、アメリカでいったい何が起きたんだ」と照会の電話がかかってきた。
私は「よくわかりません。先生がおっしゃっていたアフガニスタンで北部連合のマスード将軍が殺された件と連動しているかもしれません。それならばイスラーム原理主義者でしょう。他方、アメリカには白人至上主義のテロリストがオクラホマシティーの連邦政府ビルを爆破したことがあるので、その線も洗ってみなくてはなりません」と答えた。
実は、その日の早朝、私は鈴木氏から「アフガニスタンの北部連合の指導者マスードが暗殺されたという確度の高い情報が入ってきた。タリバンの攻勢が始まり、アフガニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン国境地帯で紛争が発生するかもしれないので、情勢を注意深く見てほしい」という連絡を受けていた。鈴木氏は、アフガニスタン問題についても知識の蓄積があり、この分野で最高水準の情報源をもっていた。
しばらくすると、NHKのアナウンサーが「パレスチナ解放民主戦線(DFLP)が犯行声明を出した」と報じた。私はすぐに中東某国の専門家と連絡をとった。
この専門家は「DFLPは弱小組織で、このようなテロをしたいという意思はあるが、能力がない。常識的にはアルカイダの線だろう。アフガニスタン情勢が緊迫していることとも関連していると思う。但し、蓋然性は低いが、アメリカの白人至上主義者の線も排除されていないので、まずこの可能性を潰しておく必要がある」と答えた。
各国の情報調査・分析専門家の世界では、何か大きな事件があれば、深夜でも連絡を取り合う体制ができている。24時間、休暇で旅行中の場合も含め、このような体制ができてはじめて、国際情報クラブのメンバーとして認められたことになる。その日は、徹夜で各国関係者と連絡をとったが、見立てはほぼ満場一致で、中東某国専門家の述べた線に収斂した。
この日から、鈴木氏も私もフル回転で活動する。このことに田中女史が苛立ち始め、それから暫くして、野上事務次官を巻き込んだある事件が起きるのである。そして、それが翌年のアフガニスタン復興支援会議NGO出席問題を契機とする鈴木氏、田中女史、野上次官の三つどもえの闘いの序曲となる。
これまで、田中女史、小寺課長の眼を考慮して、目立つ作業は避けていたが、今回の同時多発テロ事件は、情報収集、調査・分析の特別な訓練を受けた者にしか理解できない面が多いので、私自身も積極的に動き、また「チーム」もテロ絡みでの資料作成や、情報収集にシフトし、ユニークな成果をあげた。
「チーム」ではこの事件が発生する数ヵ月前に、チェチェンでアルカイダとつながるイスラーム過激派(ワッハーブ派)の動きが強まっているという情報を掴んでいた。既に中東とチェチェンのイスラーム過激派ネットワークについては、日本語で基礎資料を作っており、これが情勢を分析する上でとても役に立った。これまで、ロシア、イスラエルなどで培ってきた人脈が役に立ち、国際水準で見ても十分対抗できる仕事ができたと自負している。外国から面識のない専門家が何人か、私に会うために日本にまで訪ねてきたこともあった。

かくして私は、半年振りに、海外出張を再開した。モスクワ、テルアビブでは、貴重な情報をいくつも得ることができた。鈴木宗男氏も自らのロシア人脈、アフガン人脈、国連人脈、中央アジア人脈を最大限に活用した。
鈴木氏が最重要視したのは、中央アジアのタジキスタンだった。タジキスタンはアフガニスタンと隣接し、双方の国境にまたがってタジク人が住んでいる。暗殺された北部連合のマスード将軍もタジク人だ。また、十年近く続いた内戦の結果、イスラーム原理主義勢力も台頭し、現在の連立政権は、この原理主義勢力を取り込んでいるが、権力基盤は脆弱だ。タジキスタンの安定を担保しているのが、駐留ロシア軍(第201自動車化狙撃師団)だ。
ラフモノフ大統領は、親露政策を基調としているが、隣国ウズベキスタンのカリモフ大統領はアメリカの支持を権力基盤とし、反露政策をとっている。過去の国境問題から、タジキスタンとウズベキスタンの関係はよくない。今、ここでタジキスタン情勢が混乱し、過激派が中央アジアで権力基盤を構築すれば、ユーラシア地域の秩序が極めて不安定になる。鈴木氏にはそのような絵柄がよくわかっていた。
鈴木氏は、小泉純一郎総理との面会を求めた。
小泉・鈴木会談が行われた日の夜、私は鈴木邸を訪れた。鈴木氏は久し振りに興奮していた。
「総理もタジキスタンの重要性はよくわかったようだ。俺に総理親書をもって、タジキスタンとウズベキスタンに行けという。たいへんな仕事になるが、あんたの力が必要だ。頼む。タジキスタンを巡って、アメリカとロシアの綱引きが始まっている。ここに日本がうまく噛めば、北方領土問題を動かすことができるかもしれない」
鈴木氏の戦略は、ダイナミックなものだった。アメリカがアフガニスタンのタリバン政権を軍事的に叩くために中央アジアに進駐することは必至である。ウズベキスタンはこれまでも親米路線をとっていたので問題ないが、タジキスタンにはロシア軍が駐留していたこともあり、従来、アメリカはタジキスタンに対しては、旧共産政権の残党が支配している非民主主義国家ということで冷たい対応をしていた。
アメリカは札束でタジキスタンの頬を叩くであろう。タジキスタンもそれに応じる。しかし、中央アジアは19世紀からロシアの裏庭であり、ここにアメリカが露骨に進出してくることを面白く思うはずがない。現在のロシアにタリバン政権を叩きつぶす能力はないので、とりあえずアメリカの力を借りてイスラーム過激派を一掃することには理解を示すだろう。
問題はその後だ。タジキスタンを巡って米露の緊張が高まることは世界秩序の安定に貢献しない。日本、タジキスタン、アメリカ、ロシアの四カ国が反テロ国際協力のメカニズムをタジキスタンで具体的に作る必要がある。ここでは、アメリカの同盟国である日本の与党政治家で、かつ個人的にタジキスタン、ロシアの双方から信頼されている自分(鈴木氏)にしかできない役割があるというものだった。

2001年10月8日、鈴木氏はラフモノフ・タジキスタン大統領と会見した。現地時間でその前日(7日)深夜、アメリカ軍がアフガニスタンに空爆を開始、戦争が始まっていた。対アフガニスタン戦争遂行上、タジキスタンの領空通過と基地使用が死活的に重要な問題だった。ラフモノフ・タジキスタン大統領がどのような態度に出るか。全世界の関心が集まっていた。
ラフモノフ大統領は、「初めて明らかにすることだが、米軍に対するタジキスタンの領空通過と基地使用を認めた」と述べた。鈴木氏が「このことを記者達に話してもよいですか」と尋ねると大統領は「どうぞ」と答えた。
大統領執務室から出ると鈴木氏は20名以上の記者に囲まれ、即席の会見がおこなわれた。記者達の関心は、タジキスタンがアメリカの軍事行動に対してどのような態度をとるかということに集中していた。鈴木氏は、ラフモノフ大統領の決断を伝えた。日本のマスコミのみならず、AP(アメリカ)、イタルタス(=旧ソ連のタス通信社、ロシア)、ロイター(イギリス)なども鈴木氏の会見を大至急で伝えた。この会見の後、鈴木氏は私にこう言った。
「ラフモノフも戦略家だね。俺をうまく使ったな。タジキスタンが米軍に協力する話が、アメリカの同盟国である日本の政治家だが、同時にプーチン政権ともいい関係にある俺から出てくるならば、誰からも文句がでないと考えたんだろうね」
鈴木氏は、タジキスタン・アフガニスタン国境地帯の難民キャンプを訪問し、アフガン難民の生活の実情を視察するとともに難民から直接希望を聞き取った。「医薬品、懐中電灯、子供の学用品が特に必要だ」ということだった。
ラフモノフ大統領からは、アフガニスタンに産業を復興させることが戦略的観点から重要なので、具体的にタジキスタン南部にある建設途上の水力発電所を完成し、電力を供給したり、物流のための道路を両国間に建設する計画をタジキスタンと日本、その他の外国と進めたいという熱のこもった提案がなされた。この考えは鈴木氏の構想と合致していた。
要するにイスラーム原理主義過激派勢力を封じ込めるためには武力だけでは不十分で、産業を起こし、失業をなくし、市民社会が成立する基盤を確保するという考え方である。その後、プーチン大統領もこの計画に関心を示すことになり、この構想については、タジキスタン、ロシア、日本の関係者の間で、鈴木氏が失脚するまで話が進められていくのである。
鈴木氏は、中央アジアにおける日露提携を北方領土交渉のあらたな動力に転化させることを考えていた。

 


解説
かくして私は、半年振りに、海外出張を再開した。モスクワ、テルアビブでは、貴重な情報をいくつも得ることができた。鈴木宗男氏も自らのロシア人脈、アフガン人脈、国連人脈、中央アジア人脈を最大限に活用した。
鈴木氏が最重要視したのは、中央アジアのタジキスタンだった。(中略)
2001年10月8日、鈴木氏はラフモノフ・タジキスタン大統領と会見した。現地時間でその前日(7日)深夜、アメリカ軍がアフガニスタンに空爆を開始、戦争が始まっていた。対アフガニスタン戦争遂行上、タジキスタンの領空通過と基地使用が死活的に重要な問題だった。ラフモノフ・タジキスタン大統領がどのような態度に出るか。全世界の関心が集まっていた。
ラフモノフ大統領は、「初めて明らかにすることだが、米軍に対するタジキスタンの領空通過と基地使用を認めた」と述べた。鈴木氏が「このことを記者達に話してもよいですか」と尋ねると大統領は「どうぞ」と答えた。

今回、佐藤氏と鈴木宗男氏がいかに有能な外交を展開する実力者であったことがよく分かりました。
それにしても、このように有能な外交官と政治家を表舞台から追いやってしまい、日本の国益は大きく損なわれました。
いったい誰が責任をとってくれるのでしょうか。

 

獅子風蓮



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