友岡さんが次の本を紹介していました。
『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)
出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。
さっそく図書館で借りて読んでみました。
一部、引用します。
■第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
□第1部「福祉との出合い」
□第2部「司法と福祉のはざまで」
□第3部「あるろうあ者の裁判」
□第4部「塀の向こう側」
□第5部「見放された人」
□第6部「更生への道」
■第7部「課題」
□第2章 変わる
□おわりに
第7部「課題」
=2012年6月12日~22日掲載=
(つづきです)
7)幸福とは
「お仕着せ」の危うさ
1年半以上に及んだこのシリーズの取材で何度となく福祉の関係者に尋ねた。
「刑務所しか居場所がなかった累犯障害者たちに福祉の支援が差し伸べられた結果、彼らは幸せを手に入れたんでしょうか?」
ある人は自信なさげに首をひねり、ある人は「幸せの形は人それぞれだから……」と言葉を濁した。
人々の暮らしや幸せに正解がないように、累犯障害者たちにとっても福祉との出合いはゴールではない。ともすればそれは、刑務所以上に彼らを縛りつける存在にもなりうる。
障害者の中には、自分の思いを言葉にして伝えるのが苦手な人が多い。だからこそ、障害者にとって福祉は常に「お仕着せ」になる危うさをはらんでいるのではないか―そんな思いをぬぐえなかった。
障害者の幸福は、居場所はどこにあるのか。それが分からなかった。ただ、その答えは分からなくても、私たちはひたすら向き合い、考え続けるしかない。
ある女性を取材しながら、そんなことを教えられた。
森容子(41)=仮名=。中国地方にある刑務所を出た後、雲仙市の更生保護施設「雲仙・「虹」にやって来たのは2009年の初冬。身寄りも、帰る家もなく、刑務所が「虹」に連絡してきた。言葉遣いが荒く、目つきも鋭い。彼女は、どこか他者を寄せ付けない空気をまとっていた。
虹の職員、大坪幸太郎(33)が振り返る。「難しい人だった。孤立無援のジャングルをたった1人で生きてきたような、そんな雰囲気がありました」
甲信越地方で生まれ育った。両親とも他界。唯一の肉親の妹は、生死の別も分からない。高校卒業後、社会に出ると職にあぶれ、万引や器物損壊事件を繰り返した。前科4犯。犯行の動機は多くの場合、「イライラしたから」。
中度の知的障害があることが分かり、初めて療育手帳を取得。虹の勧めで、養鶏場で卵を仕分けする仕事にも就いた。しかし、周囲と打ち解けず、孤立を深めた。自室に閉じこもり、職場の同僚とトラブルを起こしては、無断欠勤を続けた。「どうしたものか」。大坪は頭を抱えた。
「虹」に来て7カ月が過ぎた10年7月。森はなけなしの金を持って、施設を飛び出した。
2週間後、JR長崎駅のロッカーに火を付けて回ったとして、警察に逮捕された。取り調べで理由を問われ、彼女はこう答えたという。
「むしゃくしゃした」
(つづく)
【解説】
「刑務所しか居場所がなかった累犯障害者たちに福祉の支援が差し伸べられた結果、彼らは幸せを手に入れたんでしょうか?」
この問いかけに対して、福祉関係者は、なかなかそうだとは言えなかったといいます。
累犯障害者たちにとっても福祉との出合いはゴールではない。ともすればそれは、刑務所以上に彼らを縛りつける存在にもなりうる。
なかなか難しい問題です。
獅子風蓮