獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

友岡雅弥さんの「地の塩」その4)ほんとの「取材」とは

2024-05-03 01:12:36 | 友岡雅弥

友岡雅弥さんは、執筆者プロフィールにも書いてあるように、音楽は、ロック、hip-hop、民族音楽など、J-Pop以外は何でも聴かれるとのこと。
上方落語や沖縄民謡にも詳しいようです。
SALT OF THE EARTH というカテゴリーでは、それらの興味深い蘊蓄が語られています。
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。

 


カテゴリー: SALT OF THE EARTH

「地の塩」という意味で、マタイによる福音書の第5章13節にでてきます。
(中略)
このタイトルのもとに書くエセーは、歴史のなかで、また社会のなかで、多くの人々の記憶に刻まれずにいる、「片隅」の出来事、エピソー ド、人物を紹介しようという、小さな試みです。


Salt9 - ほんとの「取材」

2018年3月12日 投稿
友岡雅弥


記者の中には、取材相手に、取材する予定の内容(質問項目)を詳細に送るかたもいます。取材相手が、それを要求することもあります。

でも、あるときから、僕はあまり質問をしなくなりました。

これは、震災で過酷ななか生活に、人生に闘い続けている人たちの取材を続けていくうちに、自然とそうなっていったのと同時に、今まで続けていた、ホームレスのかたや、ハンセン病回復者のかたへの、僕自身のお手伝いも、関係しているのかもしれません。

別に、どこに記事を書くわけでもなく、ただ、そこにいるだけ。
ただし、そのかたがたのこととか、歴史的なこととか、たくさん「貯め(溜め)」があったほうが、いい。「貯め(溜め)」があるほうが、相手は自由に語れます。

たとえば、釜ヶ崎の夜回りで、寒い冬に布団を被って路上に寝ているかたがいました。まだ温かいおにぎりを、ある意味、コミュニケーション・ツールとして持っていくのですが、そのかたは、おにぎりを「ありがとう」と言って食べながら、ぽつりぽつりと、語られました。

北海道で、旧国鉄の鉄道員(運転手)をしていたこと。旭川に住んでいたこと。民営化で、失職したこと。

そこで、僕が、たまたま、旭川で、鉄道員というと、NHKの朝の連続ドラマで、驚異の60%の視聴率を取った「旅路」ってのがありましたね、そして、「山おやじ」 の愛称の9600蒸気機関車のシーンが印象的でした、と、むちゃくちゃ子どものころ(それだけしか覚えていない)の想い出を語ると、そのかたは、堰を切ったかのように、狭い軌道を走る機関車だったけど、ボイラーが巨大で、とか、枕木が凍る話とか、どんどん語られるのです。

また、元路上生活されていたかたですが、浪曲が大好きで、戦後の大阪の浪曲事情にとても詳しいかたがいて、これも、たまたま、ちらっと「よう昔浪曲聴きに行ってた」という話をされたので、
「そのころやったら、愛進館ですか?」
と聴いたところ、なんとなんと、「あんた、愛進館しっとんのか?ここ大阪やのに、 愛進館知ってる人あんまりおれへんで、寂しい思いしてたんや」ということになり。

このかたが、愛進館の常連さんだったということで、ほとんど資料がない、この、はるか昔に無くなったこの「浪速の浪曲の殿堂」について、ものすごいたくさんの話をおうかがいすることができたのです。

ハンセンも同じでした。

回復者の話の中に、患者作業で、手足を悪くしたということがでてきて、ちょうど、 戦争中だったので、ガソリンの代わりに、「松根油(松から採る油)を採るためのアカマツ伐採ですね、防空壕掘りはされなかったんですか」というと、このかたも堰を切ったように、止めどなく想い出を語りだしはったんです。

そして、ちょうど、このころ、宮本常一を読み返していて、彼が東北の小さな島に行ったエピソードに行き当たったんです。

宮本は、数日、その島にいたんですが、帰るとき、島の人たちがいぶかしがった。
「あの学者先生は、何も調査をしなかった。何も尋ねなかった」と。

調査に同行した後輩も、そう思って、やはりけげんそうだったのですが、宮本は一言 「聴くことはすべて聴いたよ」と。

つまり、学者然として、メモ帳片手に、質問攻めにしているのではなく、空気のように存在して、横にいただけなのです、でも、何でもしゃべれる安心できる雰囲気を醸しだしていたのです。

同行した後輩は「相づちをうつだけで、(相手が)どんどんしゃべりだす。相づちの名人だった」と語っています。

安心してしゃべれる気さくさ、そして、安心してしゃべれる知識(しゃべっても、なんのことやら分からない反応では、手応えがないですからね)が、どんどん、自由に話を引きだしていったのです。

つまり、こちらの器が、「これでいい業績をあげたろう」とか、「この話は使えないなぁ」とかいう偏狭なものではなく、何でもござれの広大なものなら、先方は、どんどんその「広っぱ」のなかで、自由にちからを発揮してくれる。

(また、そのうち語りたいと思いますが、文化人類学や民俗学、社会学で最近流行っていることばでは disponibilite と言います)

ある、仮設住宅で、世間話をしていたとき、1人の男性がこうつぶやきました。
震災後あちこちの大学の学生とか、アンケート調査に来て、いつも同じような質問で、答えることが煩わしかった。どうしても、役者みたいに被災者を演じる答えを書いてしまう。相手が書いて欲しい答えを書くんだよな。

当事者の語りということで、大きな仕事をされた、岩手の大牟羅良さんは、著書『ものいわぬ農民』(岩波新書)のなかで、こんなエピソードを語られています。

「『これはお上(かみ)の調べでがんすか、アメリカさんの命令だべすか?なじょに書けばよがすべ?』と相談を受けたことがあります」

「統計の中には、現実に生きている農村や農民の姿とは、縁もゆかりもない数字が出ていることがあるような気がしてならないのです」

こういうことが、この数年、輻湊して、僕自身の経験を豊かにしてくれ ました。

それで、取材のときは、事前に質問を送らず、自由に語ってもらうようになったのです。

さらに、もっと、自分の器を大きくして、もっと自由に語ってもらうようになりたいと思ってます。

 

 


解説
安心してしゃべれる気さくさ、そして、安心してしゃべれる知識(しゃべっても、なんのことやら分からない反応では、手応えがないですからね)が、どんどん、自由に話を引きだしていったのです。

この友岡雅弥さんの姿勢は、『流星ひとつ』を書いた沢木耕太郎さんにも通じるものがあると感じます。

優れたインタビュアーは、相手に安心感を与え、相手が自分から話し出すようにもっていくのですね。

 

友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。


獅子風蓮



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