乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』(教育史料出版会1996年5月)
より、引用しました。
できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。
なお、乙骨さんには、メールで著書を引用している件をご報告したところ、以下のように、御快諾を得ています。
「獅子風連のブログで拙著をお取り上げていただいているとのこと、ありがとうございます。
どうぞ、ご自由にお使いください。」
乙骨さん、ご了解いただき、ありがとうございます。
(目次)
□まえがき
■Ⅰ章 怪死のミステリー
□Ⅱ章 疑惑への道のり
□Ⅲ章 対立の構図
□Ⅳ章 たたかいの軌跡
□Ⅴ章 真相を明らかにすることは民主主義を守ること
□あとがき
◆食い違う供述・医師の見解
また、現場の状況や初動捜査に加え、事件関係者の証言や供述にも多くの疑問が指摘できる。千葉副署長は、事件性がないと判断した重要な根拠として、朝木さんが、店長の「救急車を呼びましょうか」との呼びかけに対し、「いいです」と答えたことをあげている。同様に、朝木さんの死は自殺だったと機関紙誌を使って喧伝している創価学会も、この発言を重要視。自殺説の重大な根拠としているが、私の取材に対して店長は、店長と管理人との間で、「救急車を呼びましょうか」との会話があったことは認めているが、店長が朝木さんに「救急車を呼びましょうか」と問いかけた事実はないと話している。この点は、事件性の有無を判断するうえで重要なポイントなので、私をはじめマスコミの取材陣は、二度、三度と確認したが、店長は、そうした事実はないと断言している。にもかかわらず、東村山署はこの発言を重要視。創価学会も、存在しない会話を根拠にして自殺説を執拗にくり返している。
同様に、遺体を検案した嘉数能雄医師と、司法解剖した北村医師との所見が異なることも不思議である。嘉数医師は、私および『週刊現代』の取材に対し、骨折はしていなかったと次のように明言した。
「きれいな遺体だった。肋骨が折れて肺に突き刺さっており、その出血によるショック死だと推認できた。足には、擦過傷があったが骨折はしていなかった。足の指にも損傷はない。頭も顔もきれいだった。いつもの癖で当初は、死体検案調書の自殺のところにマルをしたが、変死だと思い、訂正した」
だが、司法解剖を執刀した慈恵医大第三病院の北村医師は、「両足は骨折していた」と語っている。
また、千葉副署長は、スーッと足から落ちたと説明しているが、北村医師は足から落ちた場合、衝撃で頭蓋骨が背骨の輪状に骨折する輪状骨折がなかったことから、朝木さんは横向きで落ちたのではと推測している。
同様に、防衛医大で朝木さんに救急救命医療を施した滝野医師も、遺族との面談の席上、右の肺に大きな損傷を受けていることから、朝木さんは右の背中から落ちたのではないかと話している。決して、千葉副署長がいうように足から落ちたのではないようなのである。
◆なぜ救急車は現場に20分も停車していたのか
さらに重大な疑惑は、なぜ、救急車が現場に到着した後、20分間も停車していたのかということである。
東村山署は、当初、その理由を受け入れ先の病院が決まらなかったためと聞いていると説明していた。だが、この理由に納得しない遺族は、東村山消防署に対し搬送が遅れた理由の説明を求め、昨年(1995年)10月31日に東村山消防署救急隊と面談する約束を取り付けていた。だが、この面談は、前日になって突然キャンセルされる。
「キャンセルの理由は、警察と消防は一体なので、直接、お答えすることはできない。今後は文書によるやりとりとさせていただきたいということでした」(直子さん)
ところが、最近になって消防庁の幹部は、マスコミの質問に答えて、搬送が遅れた理由は、搬送先の病院が決まらなかったからではなく、現場の処置を優先したためだと話している。
救急隊が行う救急マニュアルによれば、高所からの転落事故等の場合、第一義的に行うべきは、肺が破れて空気が体内に漏れ出し、それが心臓などを圧迫する「緊張性気胸」の確認だという。空気が体内に充潤し、まるで風船のようになる「気胸」は容態を急激に悪化させることから、救急救命医療においでは、処置の最優先課題とされているのである。それゆえ「緊張性気胸」が確認された場合、救急隊は何をさておいても早期の搬送に全力をあげるという。
だが、当日、出動した救急隊は、なぜか足の骨折の処置などを優先している。救急隊がまず行うべきは「緊張性気胸」の確認と搬送であることを考えると、この救急隊の行動ははなはだ不可解といわざるをえない。あるいは、現場で救急隊を指示できる何者かの判断で、「緊張性気胸」の処置に優先して骨折の処置がなされたのであろうか。
警察は、当日、当直担当だった須田係長が現場に赴いたが、救急車と入れ違いになったと語っている。東村山署と東村山消防署はほとんど隣接しているが、その東村山消防署に東村山署経由で出動要請があったのは10時45分であり、救急車が現場に到着したのは10時56分、救急車はその後、現場に20分間停車している。須田係長が転落事件の一報を受けたのも消防への通報と同時刻と推定される。東村山署から現場までは車ならほんの1、2分の距離である。救急車の到着に先だって須田係長をはじめとする東村山署の担当者が、現場に到着していたと考えるほうが自然である。現に、須田係長は現場にいたとの目撃情報もある。仮に警察発表を額面どおり信じたとして、ではなぜ、須田係長は、30分以上も現場に向かわなかったのか。たいへん不自然である。
遺族と面談した防衛医大病院の滝野医師は、朝木さんは病院に運ばれてきた時点ですでに心臓停止状態だったこと、いそいて心臓マッサージと輸血などを行った結果、一時的に自発呼吸を再開するなど蘇生したが、結局、心臓がもたず、午前1時に死亡したことを遺族との面談の席上明らかにしている。その際、遺族の質問に応え、朝木さんが当初は、発見者の呼びかけにも応答していたにもかかわらず、急激に容態が悪化し、死亡するにいたった要因について次のように発言している。
「『緊張性気胸』という状態だった。これが呼吸を悪くするし、血圧も下がって、循環に悪影響がある。仮にもう少し早く病院に搬送されており、心臓が動いている状態であれば、今回よりは助かる可能性はあった」
この発言は、「緊張性気胸」が容態悪化の最大の要因だったことを示唆している。
現場で「緊張性気胸」に対する判断が優先されていれば、また、足の骨折などに構わず、病院に搬送されていれば、あるいは朝木さんは助かっていたのかもしれない。その意味では、救急車の現場での20分にわたる停車は、朝木さんの死を決定的にしたともいえるだろう。
では、受け入れ先の病院があるにもかかわらず、どうして救急車は現場に20分も留まっていたのか。迅速に搬送すべき重傷者を現場に留め置くというような判断を、はたして救急隊がするものだろうか。
◆事件発生当日
ずさんな捜査に加え、食い違う供述や医師の見解。疑問は膨らむばかりである。本当に、千葉副署長が主張するように事件性は薄いのだろうか。事件当日の、朝木さん周辺の動きになにかヒントになるような事実が隠されてはいないだろうか。それを探るために事件発生当日の動きを時系列に並べてみる。
〈9月1日〉
午前11時半すぎに東村山市議会議会事務局を訪問。7日から始まる9月定例議会に上程する陳情書を提出。
この陳情書とは、朝木さんに対する万引き容疑に関するもので、東村山署が朝木さんを東京地検八王子支部に書類送検した7月12日に、市議会副議長を勤める公明の木村芳彦市議が、署長室に詰めていたことを問題にしたもの。表題は「東村山警察署長に不偏不党を求め、公平中正な警察行政の実現を促す陳情」「冤罪事件の被害者・朝木議員を攻撃し、警察発表を鵜呑みにして犯人扱いする公明・木村議員外21名の議員に猛省を促す陳情」。
12時半に「草の根」事務所で待ち合わせた矢野氏と合流。その足で都庁へと向かう。
1時30分に都庁三階で「宗教法人間題を考える草の根市民の会」代表の小坂渉孝氏と合流し、東京都議会事務局に「宗教法人法及び関係税法の抜本改正を求める陳情」書を提出。引き続いて都庁記者クラブで資料を配布。
この陳情は、7月以降、朝木さんをはじめとする「草の根」が力を入れていた活動で、オウム真理教事件を契機に、国民世論の間で高まっている宗教法人法改正の機運を背景に、創価学会の政教一致体質や、過酷な金集めの実態を指摘し、宗教法人法の抜本改正を求めている。「草の根」では、この陳情を、東京都議会をはじめ、全国約800の市議会に提出している。
1時55分から2時にかけて知事室秘書事務担当課長と面談。この後、小坂氏と別れ、矢野氏と地下鉄丸の内線、銀座線を乗り継いで表参道へ。
3時から都立青山病院に入院中の万引き事件の担当弁護士・高田治氏と打ち合わせ。高田氏は元高検の部長検事、いわゆる「ヤメ検」弁護士。
「約2時間ほど、万引き事件に関する打ち合わせを行いました。近々、地検に呼ばれるだろうが、地検は、万引き事件を、矢野に対する暴行事件をはじめとする一連のイヤガラセ事件の一環として見ているから心配ない、というような話をはじめ、検察官時代に、逮捕した被疑者を起訴したところ、よく似た兄弟との人違いで、公判でアリバイが出てきて困ったというような失敗談や、大学の授業中に暴漢を走りこませ、驚く学生に、事後、どのような人相、風体だったかを質問すると、ほとんどの学生が分からないというような、犯罪心理学の話を伺いました。朝木さんは気を強くしたようで、『9月からは反転攻勢をかけなければ』などと語っていたのが印象的です」(矢野氏)
◆つけっぱなしのワープロ
5時すぎに病院を後にし、銀座線、丸の内線を経由して新宿へ。西武新宿駅につながるサブナード内の和食店で1000円の弁当を食べ、6時20分の急行で東村山へ戻り、「草の根」事務所へは7時5分前に到着している。
「7時から開かれる西武園競輪周辺対策基金活用自治会長会議に出席するために、私は、すぐに四中(東村山市立第四中学校)に向かいました。積み立ててあった競輪の迷惑料を取り崩して地元自治会に高齢者の集会施設を造ることになったのですか、高齢者に好評の風呂がついていない。事務所を出る際、朝木さんは『お風呂がつくまで頑張って』と、私を激励してくれました」(矢野氏)
7時15分から20分項、自宅西側の線路沿いを自宅方面に向かって歩いている朝木さんを支持者の婦人が目撃、挨拶をかわす。そのときはカバンを持っている。
8時30分頃、自宅方面から「草の根」事務所方面に向かう朝木さんの姿を秋津薬品店主が目撃。
9時10分頃、矢野氏が「草の根」事務所に戻る。事務所の電気、クーラー、ワープロがつけっぱなし、外出のとき常に待ち歩くカバンは事務所に置かれたまま。中には、翌日、高知に行くため普段より多めの現金が入った財布も残されたままだった。
「朝木さんはこまめに電気を消すタイプ。本当にちょっとそこまで出たという感じだった」(矢野氏)
ワープロには高知で講演するための次のようなプロットが打ちかけとなっていた。
「①はじめに
1.政治的立場
無所属・市川房枝さんを受け継いで・報酬返上・特権廃止・不平等是正・
『お礼はワイロ受け取りません』
2.議員活動と東村山市民新聞
②地方自治体における創価学会・公明議員の役割
1.東村山市の創価学会・公明議員の立場
市長選挙と行政執行
○ゴミ委託
○いかほ保護所問題(野沢市長候補)
議会運営
2.創価学会・公明議員の行政執行へのかかわり
『生活保護』等の斡旋
『都営住宅』の斡旋
委託事業の斡旋
○会議録をもとに
③創価・公明集団と『草の根』と東村山市民新聞
④当選返上問題と万引デッチ上げ事件」
②まで細目が打ちこまれており、③と④の細目を打ちこむ作業中だったことが窺える。また、この日昼に長男巌さんが武蔵野市議会で受け取り、家に置いてあった陳情書が事務所の机にあることから、7時すぎから8時半頃まで自宅にいたことは確実。
【解説】
現場の状況や初動捜査に加え、事件関係者の証言や供述にも多くの疑問が指摘できる。千葉副署長は、事件性がないと判断した重要な根拠として、朝木さんが、店長の「救急車を呼びましょうか」との呼びかけに対し、「いいです」と答えたことをあげている。同様に、朝木さんの死は自殺だったと機関紙誌を使って喧伝している創価学会も、この発言を重要視。自殺説の重大な根拠としているが、私の取材に対して店長は、店長と管理人との間で、「救急車を呼びましょうか」との会話があったことは認めているが、店長が朝木さんに「救急車を呼びましょうか」と問いかけた事実はないと話している。
ここは重大な争点ですね。
遺体を検案した嘉数能雄医師と、司法解剖した北村医師との所見が異なることも不思議である。嘉数医師は、私および『週刊現代』の取材に対し、骨折はしていなかったと次のように明言した。(中略)司法解剖を執刀した慈恵医大第三病院の北村医師は、「両足は骨折していた」と語っている。
ここも不思議な食い違いです。
さらに重大な疑惑は、なぜ、救急車が現場に到着した後、20分間も停車していたのかということである。(中略)救急車の現場での20分にわたる停車は、朝木さんの死を決定的にしたともいえるだろう。
ここは、何としても真相解明してほしいところです。
獅子風蓮