獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

妙法の万葉集:友岡雅弥さんの言葉 その2

2023-05-21 01:16:25 | 友岡雅弥

師弟不二ARCHIVEより、引用させていただきました。

このインタビューが、友岡雅弥さんの思想を知るのに、一番の近道だと思ったからです。


投稿者:京都乃鬼 投稿日:2019年 4月 5日(金)06時49分16秒   通報
京都乃鬼新聞
2019-4-4

特別企画
=妙法の万葉を紡ぐ=

「妙法の万葉集」(友岡雅弥氏の証言編)

第2回(※印は弊社解説)

また、こんなこともあった。
アメリカ創価学会のダニエル・ナガシマ理事長(※在任期間1999年12月~2015年9月)が、「ニューヨークの一番大きな書店(※Barnes &noble )で池田大作書籍展をやりたい」といった。

すると先生は、

「みっともないからやめておけ!」
「僕の本の中で世界に通用するものは一つもないよ!」と、ハッキリ言われた。

「本部幹部会では秋谷(※創価学会第5代会長)が聞いているから、威張らざるを得ないけど、本当に世界に通用するものなんか無いんだよ。まだ修行中だよ」と言われた。

更に池田先生がナガシマ理事長に言われたのは、「この信心だけが幸せになるという考え方は絶対にやめておけ!いい宗教ならばみんな幸せになるんだよ!」と仰った。

「この宗教だけが幸せになるという考え方をしていたら、私が死んだ後、坊主が天下を取るぞ!」と言われた。

「何故かというと、会員一人一人が努力をしなくなるからだ。『入っているだけでいいんだ』とか『題目だけあげていればいいんだ』といって、社会人としての努力をしなくなってはダメだ」と仰った。

つづく

提供は
敵からは恐れられる
味方からも怖れられる
京都乃鬼新聞社でした。

 

 


解説
「ニューヨークの一番大きな書店で池田大作書籍展をやりたい」とアメリカ創価学会理事長に進言されて、池田氏は、
__みっともないからやめておけ!
__僕の本の中で世界に通用するものは一つもないよ!
と、ハッキリ言われた。

とのこと。
こういう正直なところが池田氏にはあるんですね。
自分の著作といってもほとんどはゴーストライターが書いたわけですから、恥ずかしくて世界にお披露目できない気持ちも分かります。

さらに池田氏は、このように言ったという。
__この信心だけが幸せになるという考え方は絶対にやめておけ!
__いい宗教ならばみんな幸せになるんだよ!
__何故かというと、会員一人一人が努力をしなくなるからだ。『入っているだけでいいんだ』とか『題目だけあげていればいいんだ』といって、社会人としての努力をしなくなってはダメだ。

池田氏は、キリスト教やイスラム教など他の宗教者とも対話をしてきたといわれます。
池田氏は、早い時期から日蓮仏法の独善性からは自由だったと私は思います。
だからこそ、正本堂落慶の時にローマ法王庁などのキリスト教神父を招くようなことができたのでしょう。
その辺の、若き日の池田会長の指導性の卓抜さを私などは評価します。

しかし、日本国内では、日蓮仏法だけが唯一の正しい宗教で、他は邪宗だとする従来の理念は捨てていないわけで、ダブルスタンダードもいいところです。
池田氏としては、自分の思い通りになるSGIでは日蓮仏法の独善性を排し、ゆくゆくは日本国内の教義も他宗教との融和路線を徹底させるつもりだったということでしょうか。

 


獅子風蓮


妙法の万葉集:友岡雅弥さんの言葉 その1

2023-05-20 01:47:41 | 友岡雅弥

前回紹介した高倉氏のブログでも妙法の万葉集(友岡雅弥の証言編)は紹介されているのですが、実名を伏せてぼかした部分があります。

そこで、よりオリジナルに近い文献として、師弟不二ARCHIVEより、引用させていただきました。

このインタビューが、友岡雅弥さんの思想を知るのに、一番の近道だと思ったからです。

京都乃鬼新聞(特別企画)①


投稿者:京都乃鬼 投稿日:2019年 4月 4日(木)07時30分47秒   通報 編集済
京都乃鬼新聞
2019-4-3

=弟子の万葉を紡ぐ=

友岡雅弥氏が、期せずして創価学会第2代会長戸田先生の祥月命日である4月2日にお亡くなりになられました。

3月下旬よりボランティア活動の為に岩手県宮古市に着かれましたが、肺炎の為に入院されて、田老のワカメ漁の手伝いにはいかれない日々が続きました。

一方で肺炎自体は治まり、1日(月曜日)の退院を希望されていました。

しかし、その日に再度体調を崩されましたが、2日(火曜日)の再検査の結果が良好ならば3日(水曜日)に退院、帰阪予定でした。

2日は意識もあり、亡くなられる数時間前までネットを見ていた様で「良いね」ボタンを押されてたとのこと。
しかしその後、急に心肺停止状態となり、残念ながら15:00にそのままお亡くなりになられました。

享年64才でした。

謹んでお悔やみ申し上げます。

つきましては、生前の友岡氏を偲び、昨年4月、友岡氏に対して弊社青鬼記者がインタビューしていましたので、その内容に一部解説を入れながら京都乃鬼新聞特別企画
「妙法の万葉集(友岡雅弥氏編)」として発表させて頂くことになりました。

作中におきましては、実名を出されては不都合な方々もいらっしゃるとは思いますが、オリジナリティを尊重して、故・友岡雅弥氏の表現をそのまま引用させて頂きます。

「妙法の万葉集」(友岡雅弥氏の証言編)

第1回(※印は弊社記入)

本隊(※池田名誉会長の一団)随行記者チーム(※通称マーク記者)は兵頭信二さんがトップで常に随行したが、その他の記者はローテーションで替わって随行していた。
私(※友岡雅弥)もその中の一人だった。

いわゆる「先生付きの記者」であり、池田先生の指導を記事にする仕事が主だったが、先生の目の前でメモを取ることができなかった。

出来なかったのでは無く、池田先生が思い切った指導、所謂、本音の指導や秋谷会長など幹部を叱っている様な場面でメモする事は、憚られるという雰囲気だった。

例えばこんな指導が目の前でなされたことがあった。

ある時、先生が西口総関西長(※西口良三1938~2015.3.15 没)に向かって、

「兵庫は絶対に参議院出すな!出したらいけないよ!
東京(※創価学会の執行部)がいくら言ってきても絶対に出したらいけないよ!

なぜなら、兵庫は世帯数が少ないから、もし出せば、自民党と本部(※創価学会)との付き合い方を変えなければならなくなる。

そうなれば、関西が本部(※創価学会執行部)の下になるよ。
そして学会が自民党の下になるよ。」と言われた事があった。

これを聞いた西口さんは悩んだ。実は尼崎市等の婦人部幹部が兵庫県から参議院議員を「出したい、出したい」と言っていたからだ。

でも、先生がああ仰っているんだからと、西口さんが生きているときは、兵庫県から参議院候補を出さなかった。

でも今回(※2016年)は出してしまった。
案の定、それ以降の関西は、自民党と創価学会本部(※執行部)の下の立場になった。池田先生の言った通りになった。

(※過去に兵庫県で改選議席定数が3の時は、渡部通子氏や片上公人氏ら公明党の参議院議員はいたが、1995年に定数減になり改選議席が2となっていた間は、公明党からは候補を出していない。また2016年より改選議席数が3になったので、池田先生のこの発言は1995年前後から西口氏が亡くなる2015年までの間の指導である事が分かる。)

(※当時の背景として、関西創価学会は昭和33年の大阪の戦い以降、「池田先生の手作りの常勝関西」だったので、関西独自で活動決定が出来た時代であった。)

つづく

提供は
敵からは恐れられる
味方からも怖れられる
京都乃鬼新聞社でした。


解説
先生がああ仰っているんだからと、西口さんが生きているときは、兵庫県から参議院候補を出さなかった。

でも今回(※2016年)は出してしまった。
案の定、それ以降の関西は、自民党と創価学会本部(※執行部)の下の立場になった。池田先生の言った通りになった。

なぜ兵庫県から参議院候補を出すと関西が自民党と創価学会本部の下になるのか、選挙に疎い私にはよく分かりませんが、創価学会においては、友岡さんのいる関西と東京では、池田氏との位置関係に微妙に差があったことがこれを読むと分かります。
関西創価学会は昭和33年の大阪の戦い以降、「池田先生の手作りの常勝関西」だったので、池田氏が健在の間は、関西独自で活動決定が出来た時代だったのですね。


獅子風蓮


高倉先生のブログを読んでみました。(その2)

2023-05-19 01:42:18 | 創価学会・公明党

高倉先生のブログの感想のつづきです。

(以下、緑字は、高倉先生のブログからの引用です)


高倉先生のブログを読んで驚いたのは、大阪での勉強会のメンバーにあの友岡雅弥さんが含まれていたことです。

友岡さんは、電話で、高倉先生の身を案じ、いろいろアドバイスをしていたようですね。

創価学会上層部は、高倉先生の「日記」を分析して、和田、野崎、友岡らが黒幕になって高倉先生に反創価学会活動をけしかけたと疑ったようです。
東京-大阪-四国に反創価のネットワークが出来ているのではないかと恐れたようです。
すでに反創価の活動をしている元衆議院議員の福本潤一氏と繋がっているのではないかと聞き出そうとしたようです。

しかし、高倉先生は、友岡氏に対しては、不信感のようなものも抱いていたようです。

高倉先生は、妻から離婚を切り出されことを友岡氏に電話で相談したことがありました。

その時、友岡氏から、
髙倉さんは、創価学会を批判するだけの根拠となる信心がない。」とぼろ糞に言われたと書いています。
(創価学会池田カルト一派との裁判シリーズ その32)

この時のブログ記事には、次のような友岡氏の発言を紹介しています。
「現在、創価学会は崩壊のプロセスに突入している。こんな体制は、いつまでも続くはずがない。」
「池田名誉会長の発言は、すべて感情的なものである。秋谷会長(当時)は、池田名誉会長に振り回されている。」
「創価学会の現場は崩壊している。活動をしている会員は100万人を切った。しかし、学会本部の職員の結束力は大変強くなっている。」

やや後ろには、友岡氏からの電話の内容がより詳しく紹介されています。

「東京と大阪の創価学会員から、髙倉さんのことについての問い合わせがあり、髙倉さんは、福本氏と連携して反創価学会の活動をしているとマークされている。もし、創価学会の幹部が訪ねて来ても、絶対に、池田先生と創価学会を批判するような発言をしてはいけない。幹部は、髙倉さんから学会批判の言質を取ることを目的に、わざと、池田先生を批判する発言をするはずだ。絶対に、そのような発言を真に受けてはいけない。」
(中略)
その翌日の午後1時過ぎに、再び友岡氏ら電話がありました。友岡氏によれば、私が反創価学会の運動をしているとマークされた理由は、芥川賞を受賞した作家の宮本輝氏(以下、宮本氏と記述)と関係があるとのことでした。宮本氏のことを、池田名誉会長が仏敵だと言い出したことに連動して、文芸部と学術部のメンバーの監視体制が構築されたからだとのことでした。
かつて、大阪での研究会終了後の懇親会で、友岡氏は、以下のような話をしたことがありました。
「池田名誉会長は、夏の間、軽井沢の創価学会の研修道場に滞在することが慣例だ。池田先生が軽井沢に滞在していた時に、宮本氏に軽井沢に顔を出すようにと側近を通じて伝言したところ、宮本氏は、仕事で忙しいと池田先生からの招聘を断った。すると、池田先生は宮本氏のことを生意気だと烈火の如く怒った。」と述べていました。
それから半年以上経過した今年の冬になって、前述のように、池田氏が宮本氏のことを「許すな。」と発言したとのことでした。その結果、宮本氏の所属している文芸部のメンバーばかりか、学術部のメンバーに関しても徹底的な調査がなされるようになったと言われました。

なんと、芥川賞作家の宮本輝氏は創価学会員であり池田氏を尊敬していたと思っていたのですが、池田氏の方では、ささいなことから宮本輝氏を疑い、学術部のメンバーに関しても疑心暗鬼になっていたことが分かりました。


次の記事には、友岡氏に高倉氏が疑問をぶつける様子が書かれています。
(創価学会池田カルト一派との裁判シリーズ その39)

宗門との対立が明確になってからは、聖教新聞には、連日のように宗門を罵倒する記事が掲載されました。
それまでも、創価学会の内部情報を漏らした創価学会の元顧問弁護士達や創価学会を批判した政治家達については、罵詈雑言を浴びせる記事が掲載されていました。しかし、宗門に対する記事は、それらをはるかに凌ぐものでした。
聖教新聞の購読を、創価学会に入会していない大学教授や友人達にお願いしていた私は、このような記事を掲載することに強い違和感を懐きました。そこで、聖教新聞本社に勤務し、池田名誉会長のゴーストライターの一人でもある知人の友岡雅弥氏に電話で抗議したところ、多くの会員達から、私と同様の電話が架かって来ていると言われました。しかし、このような記事を掲載するのは、全て池田名誉会長の指示だから、どうすることもできないと言われました。

次の記事には、高倉氏が創価学会上層部にマークされたのは、日記が原因ではないらしいと友岡氏が電話で話したとあります。
(創価学会池田カルト一派との裁判シリーズ その252)

翌日の午後1時過ぎに、再び、友岡さんから連絡があった。その内容から、今回、私がマークされた理由は、日記が原因ではないらしいことが判明した。作家の宮本輝氏を、池田さんが仏敵と言い出したことに連動して、文芸部と学術部のメンバーの監視体勢制が構築されたことからのようだ。

これはどうでしょうか。
私の印象では、高倉氏が不用意に「日記」を信心強情な妻に渡したことで、日記の内容が創価学会上層部に知られ、実名が記載されていた和田氏、友岡氏まで査問された、というのが本当ではないでしょうか。
和田氏は、創価学会側に寝返ったようです。
友岡氏は、ボランティア活動が原因で査問を受けたとばかり思っていたら、高倉氏の「日記」が原因で、高倉氏の黒幕ではないか、福本潤一氏とのつながりがあるのではないかと査問を受けたのが本当のようです。
つまり、高倉氏は、和田氏や友岡氏にかなりの迷惑をかけたのだと思うのですが、その責任逃れをするために、「創価学会上層部にマークされたのは、日記が原因ではないらしい」と書いた可能性があります。

野崎氏については査問を受けたどうかも不明で、現在亡くなったかどうかも確証はつかめていません。
しかし、おそらく創価学会上層部から、かなりきつい査問を受けた可能性は十分にあります。それが、野崎氏の死亡(?)と関連しているのかどうかはわかりませんが。


高倉氏のブログでは、裁判記録とは他に、日常のことや、他のアンチブログのことも書かれています。

次の記事には、名指しこそしていませんが暗に友岡氏に対する批判ともとれる内容が書かれていました。

(創価学会池田カルト一派の悪行シリーズ その108)
signifie様が主宰されているブログ「対話を求めて」に……コメントを投稿させて頂きました。

希望   2015年4月27日 23:54 
  signifie様とこのブログにコメントを投稿されておられる方々に、心より敬意を表します。
 「白バラ通信パンドラの箱」の希望です。
(中略)
  今から8年前に、私は、池田大作創価学会名誉会長のゴーストライターから活動家の数は90万人台になったと伺ったことがあります。このゴーストライターは、聖教新聞社に勤務しています。立ち回りが、実に上手で、かつ、巧妙な方です。
  おそらく、このブログをご覧になっておられる皆様の中には、この人物の講演を聞かれた方がおられるのではないでしょうか。
  このゴーストライターは、自分の周囲の聖教新聞社の同僚は、今のような創価学会の体制が続くはずがないと異口同音に語っていると言われていました。
  にも関わらず、この人物は、いまだに聖教新聞社に勤務しています。ある意味では、このような人物こそが、創価学会池田カルト一派を支えている大悪人ではないでしょうか。

高倉氏のブログの読者には、「この人物」が友岡氏のことを指すことは明らかでしょう。

 

裁判になってからは、高倉氏は友岡氏と連絡を取ることはなかったようです。

友岡氏の死亡を知った高倉氏は、次のような記事を書いています。

「ご冥福をお祈り申し上げます。」
 驚きました。聖教新聞社の元記者友岡雅弥氏が、2019年4月2日に亡くなられたとのことです。
 友岡雅弥氏は、池田大作創価学会名誉会長の「真実」をご存知の方でした。様々な秘密情報を、私に提供して下さった方でもあります。
 心よりご冥福をお祈り申し上げます。


2020/08/09の記事には、高倉氏は自分の誕生日に際し、次のようなことを書いておられます。

「ありがとうございます」
 本日8月9日に、66歳となりました。おかげさまで、とても元気にしておりますので、ご安心下さい。
 7月23日から昨日8月8日まで、元聖教新聞社の記者で、池田大作創価学会名誉会長のゴーストライターだった友岡雅弥氏の証言記録を掲載させて頂きました。
 かつて、友岡氏から、創価学会の内部情報を幾度となく伺ったことはあります。
 しかしながら、創価学会池田カルト一派との裁判闘争を開始した以降は、友岡氏とは音信不通でした。「査問」を7回も受けておられたとは、全く存知ませんでした。
 友岡氏のインタビュー記事を拝読し、創価学会池田カルト一派は「極悪非道」の一語に尽きる団体であると確信させられました。本当に「恐ろしい」集団であると痛感させられました。

私が思うに、高倉氏が軽率にも信心強情な妻に「日記」を渡してしまったことから、創価学会上層部は友岡氏が反学会活動の黒幕ではないかと疑い、情報漏洩がなかったかどうか執拗に友岡氏を査問し糾弾したのではないでしょうか。

そのことに対する責任は、高倉氏はお感じにならないのでしょうか。

創価学会池田カルト一派との裁判闘争を開始した以降は、友岡氏とは音信不通でした。

と高倉氏は、サラッと書きますが、本来なら、高倉氏は友岡氏に迷惑をかけたことを謝罪した上で、裁判に対する協力をお願いし、創価学会上層部とともに闘うことを提案するべきだったのではないでしょうか。

そうすれば、友岡氏があの過酷な査問を受け、それが原因で心身の健康を損ね、東北の地で命を落とすことはなかったかもしれません。

たいへんに、悔やまれることです。

 


獅子風蓮


高倉先生のブログを読んでみました。(その1)

2023-05-18 01:34:48 | 創価学会・公明党

さて、高倉先生のブログですが、以前からその存在は知っていました。

「白バラ通信 パンドラの箱」

東村山市議転落事件の真相解明につながりそうな例の「陳述書」は読みましたが、他の記事は、実のところ読んでいませんでした。

高倉先生が起こされた裁判の記録が主で、読みなれていない裁判用語がならんでいたりしてとっつきにくかったからです。
でも、実名で創価学会と裁判闘争をしている勇気ある人物のブログなので、いつかは読まなくちゃと思っていました。

今回、機会があったため、高倉先生のブログを、裁判記録を中心に、最初から読んでみました。
裁判所に提出する陳述書や、裁判の記録がそのまま掲載されているので、資料価値はあると思いましたが、あまり読みやすい文面ではありませんでした。
おまけに、同じ内容が何回も繰り返し書かれていたりして、頭が混乱してしまいます。

4つほど争われた裁判は結局すべて、控訴審を含めて敗訴しています。
高倉先生と弁護人の生田先生は大変なご努力をされたことがわかります。
相手の創価学会は、弁護士を何人もつけ、大弁護団で、資金も潤沢ですから、裁判で闘うのは並大抵のことではなかったでしょう。

しかし、素人の私からみて、もっと攻めようがあったのではないかと思うところもあります。
高倉先生は大阪での勉強会などで野崎至亮氏と親しかったのですから、なんとか野崎至亮氏に証言を頼むことはできなかったでしょうか。
勉強会の他のメンバーから、なんらかの証言を引き出すことはできなかったでしょうか。
そんなことを考えました。

さて、高倉先生のブログを読んでの感想ですが、少し要点をまとめます。

高倉氏は大学生のころ創価学会に入会した。
学会活動を熱心にするうち、組織の先輩の紹介で創価学会員の女性と結婚した。
子ども(長男、長女)も生まれて幸せにくらしていたが、ある時期より創価学会と池田名誉会長に対する不信が芽生えた。
そのきっかけになったのは、大阪で定期的に開かれていた仏法の勉強会だったようである。
その参加者に、創価学会幹部の野崎至亮氏がいた。
信心強情な妻に、学会組織の疑問を分かってもらおうと、高倉氏は、かねてより書きためていた日記のコピーを妻に渡した。
それを読んだ妻は驚いて、日記を組織の上司に渡し、指導を受けた。
その日記が四国創価学会の上層部に渡り、学会本部にも知られるようになった。
学会の上層部は、日記に書かれていたことを理由に、高倉氏の組織上の先輩和田氏を査問した。
その後、和田氏から呼び出されて、東京のホテルの一室で、創価学会幹部による査問を、高倉氏は受けた……

信心強情だった妻に、学会批判の内容を含む「日記」を渡したのは、今から考えると軽率でしたね。
その「日記」は創価学会幹部の手に渡り、詳しく分析されることになります。
「日記」の中に実名で出てくる、和田公雄氏、野崎至亮氏などにとって、それは大きな迷惑だったかもしれません。

最初は、和田公雄氏は、高倉先生の身を案じ、創価学会からの査問の中でも、高倉先生をかばっていたようですが、結局は、創価学会上層部に屈し、高倉先生と敵対するようになったようです。

野崎至亮氏については、創価学会上層部から査問を受けたかどうかも分かりません。
その後、高倉先生とどういうやりとりがあったかも書かれていません。
現在、野崎至亮氏は亡くなられたとお聞きしていますが、それすら記載がありません。

(つづく)

獅子風蓮


乙骨さんからメールをもらいました。

2023-05-17 01:18:11 | 東村山女性市議転落死事件

以前、こんな記事を書きました。

「東村山市議転落死事件~宇留嶋瑞郎氏のブログ」(2023-05-10)

創価学会が起こした『週刊現代』らに対する裁判の顛末。
当初は、創価学会対、朝木親子+講談社の図式だったのが、朝木側と講談社の主張が対立したことで、三つ巴の闘いになった。
そうして、裁判の証人として、乙骨氏が、講談社側の証言に立ち、両者の会談で、例のやり取りがあったことを証言したという。

などの内容について、乙骨さんにメールで真偽を尋ねました。

私のぶしつけな質問に対して、乙骨さんは、誠実に答えてくれました。
私信ですので全てを公開することはしませんが、結論から言えば、宇留嶋氏の書いていることは本当だということです。

また、乙骨さんは、著書『怪死』の出版に際して矢野氏側からクレームがつき、裁判に訴えられたということも認められました。

どうも、矢野氏は、自分の気に入らない人物や事柄に対しては、誠実な対話を繰り返すという地道な作業をするよりも、すぐに裁判に訴えるようなところのある人物だということは確かなようです。

今後は、矢野氏の過去の言動については、距離を置いて検証していきたいと思います。


今回は、回答しにくい内容であったにもかかわらず、正直にお答えしてしてくれた乙骨正生さんに、最大限の敬意を表します。

ありがとうございました。

 


獅子風蓮