プカプカを指して、70年代への鎮魂歌と称したブロガーがいた。私もまた正真正銘の70年代世代である。この時代への鎮魂歌ということは、私自身へのそれだということかもしれない。確かに、私はいまも1972年に上京した時の私のままだ。この歌詞にある《幸せ》は、いまだに私には訪れてはいない。写真は、この曲のモデルとされたジャズ歌手の故安田南さん。実際、大変なヘビースモーカーだったらしい。1978年にFMラジオ出演中に失踪し、そのまま活動を終え、数年前亡くなったとネット上で知らされた。ところで、作者の西岡恭三さんもすでに50歳で亡くなっていたようだ。共に団塊の世代で、私よりかなり年長だったはずだ。不思議と彼らの死には無念さは感じられない。見るべきことを全て見て、思い残すことの無い死に際ではなかっただろうか。
西岡恭三 1999年死去 享年50歳 安田南 2009年死去 享年66歳
西岡恭三 『プカプカ』 1971
桃井かおり 〃 LIVE
マツコ・デラックス無謬なること甚だし* 自動書記で知る猿人の滅亡の理由 詩語でないとすれば風死は一度きり* 人を人と思わぬ自販機雷鳴す 蝉殻を脱ぐはずもなく廃車場 オーソレミヨ着ぐるみのままバク転す モナリザの沈黙私はベタなのです* パワースポット冬虹はまだ出ていない 転生前関悦史の自暴自棄(処女評論集「俳句という他界」) 水遊びドクターペッパーの味がする* 田園に死す絶食の巨人像 湯豆腐の波乗りジョニー不死なのか* 逆立ちの看板ARIOはどこですか
夏鶯老いの蒼さを競いおり 義手義足差し出す土竜のごときもの クノッソスの迷宮どこかで春の火事 大晩夏特養ホーム〈無心〉とあり 四月馬鹿いちどは人間に生まれたし いちまいの重さを競う紙風船 マイクロ波聴覚効果ゆりかもめ あれは監視カメラだ夏の鴉は死んだ 名無しの空は名無しのままに兵馬俑 八代亜紀の山谷ブルース愛なのか 酔芙蓉覚醒ゲーム真昼なり わたしはカモメ待てど暮らせど夢の中 蠅の死を見るまでもなく発狂す 釣鐘草次の落下はいつなのか 落蝉にエンタツアチャコの空うごく ふらここの起源は知らぬ方がよい ほたるぶくろ俺は夢だろ違うかい
夏逝くやベンチに一人また一人 伸びをしてけふ一日や夏終る 公園をなほ去り難し夏の果て 鉄塔は鉄塔のまま夏惜しむ 自愛てふ言の葉あをし夏終る いまはむかしわたしはわたし夏惜しむ 夏逝くや五十センチの歩幅にて 生き急ぐこと六十年夏惜しむ 剣道の嬌声つづく夏の果て 開いた口塞ぐも一興夏終る 夏終るブルゾンちえみの手の動き 大方は敗戦夏を惜しみけり 師を師とも思はぬ蒼さ夏惜しむ