今回は7年ぶりに愛知県刈谷市の近代建築を訪れました。刈谷市の主な近代建築は、大正~昭和初めにかけて刈谷を中心に活躍した大中肇という建築家が設計したもので、刈谷市郷土資料館(亀城小学校旧本館)、旧上天温泉、竹内産婦人科医院が現存しています。
名鉄三河線刈谷市駅を下車、駅前のロータリーから西へ3分ほど歩いた御幸町に旧上天温泉があります。現在はファサードから脱衣場部分まで建物一部が現存していますが、建物の外観だけを見てこれが85年前に建てられた銭湯だと分かる人はまずいないでしょう。建物正面のデザインはかなり個性的というか、インパクトがあります。ファサードはゆるやかな半円を幾何学的に分割した窓で覆われ、建物上部中央には小さな塔屋がちょこんと飛び出ています。この手法は半円や塔をモチーフにした当時流行の表現主義風デザインを取り入れたもので、当時の地方都市刈谷では超モダンな銭湯だったと思われます。
外観のデザインもさることながら、旧上天温泉のもう一つの特徴は、当時の銭湯としては全国的にも珍しい鉄筋コンクリート造という最新の構造を用いていたところです。昭和の初め頃は、関東でよく目にする入母屋造りの和風銭湯が一般的で、洋風の外観の銭湯もほとんどは木造でした。わずかに関西では浴室のみ鉄筋コンクリート(脱衣場は木造)の銭湯は見られたようですが、銭湯をすべて鉄筋コンクリートで造ったのは当時としては大変珍しかったようです。関東大震災(大正12年)以後、学校や役所など公共の建物は鉄筋化が急速に進められましたが、昭和2年に地方都市の銭湯をすでに鉄筋で造っていた大中肇という建築家、どうもただ者ではないようです。
■大中肇とは~
愛知県刈谷市を中心に活躍した建築家。熊本県で生まれ福岡県立工業学校建築科を卒業、八幡製鉄所に就職後、明治42年愛知県営繕課建築技手になる。県営繕課では初期のRC造による学校建築など公共建築に多くに携わり、刈谷中学(大正7年)や刈谷高等女学校(大正13年)の設計・監督をしたのが縁で刈谷とのつながりができ、県営繕課を退職後刈谷市内に大中建築設計事務所を開設。大正13年から昭和10年代までに刈谷を中心に、碧南、東浦町などで多くの設計・監督に携わり、特に表現主義風のデザインが特徴。
※代表作品~亀城小学校本館・講堂、上天温泉、竹内産婦人科医院、山中従天医館、刈谷高等女学校、刈谷中学校、小高原小学校、富士松村役場など
■表現主義とは~
歴史主義からモダンデザインへの流れの中で生まれてきた新しいスタイルのひとつで、日本ではドイツ表現派の影響を受けて、大正9年(1920)に分離派というグループが生まれ、1920~30年代にかけて表現主義は公共建築を中心に瞬く間に建築界を席巻しました。
◆旧上天温泉/愛知県刈谷市御幸町1丁目215
竣工:昭和2年(1927)
設計:大中肇
構造:RC造1階建、塔屋付き
撮影:2012/10/08
■建物は凸形で天井の中央部分を高くして、換気と採光のための高窓を設けています
■壁面のアーチ部分には右から「上天温泉」の文字が浮き出ています
■壁面の随所に幾何学模様の装飾が施されています