ジムでトレーニングをしながら雑誌を読んでいるとイベント情報で劇団四季の『スルース』の紹介が目に留まった。“嘘と裏切りの中に、人間の真実が浮かび上がる”“世界中のミステリーファンに愛された傑作推理劇”とある。劇団四季の舞台は何となく食指が動かず観たことがなかった。京都劇場にも行ったことがなかったので「ちょっと観ようかな」という気分になった。へ
同じ雑誌の中に、「冬の京都」という特集もあり、1月8日~3月21日の間、非公開文化財特別公開の紹介がなされていた。そこに、東寺五重塔の初層内部の公開もとりあげられていた。四度の焼失を経て、寛永21年(1644)徳川三代将軍家光が再建されたものである。
京都を舞台にしたドラマでは、ここが京都だよと表現するのによく使われるのが、京都タワー・嵐山の渡月橋・南禅寺の山門・鴨川と東寺五重塔である。第二京阪ができるまでは、こちらから京都市内に行く時は国道1号線を使い、東寺の所でT字になり、右折する。もう数え切れないほど五重塔を見ながら車で走っているのだが、東寺の境内には入ったことがなかった。洛南高校に進路のことで1回だけ訪問した時に歩いたことはあるが、キョロキョロする余裕もなく高校のほうへ一直線であった。
開演が13時なので、早目に家を出たらちょうど立ち寄ることができると思い、急きょ計画を立てた。こういう時は時間にしばりをつくっておかない一人身の強みである。星田駅9:46のJR学研都市線で京田辺駅へ、近鉄京都線の新田辺駅から急行に乗り東寺駅へ、歩いて5分で東寺に。ほぼ1時間で着くことができたので1時間余り、金堂・講堂・食堂(じきどう)・五重塔・観智院をゆっくり観てまわることができた。
東寺をでて、途中でおいしそうなラーメン屋があったので腹ごしらえをして、京都劇場にちょうど開演15分前に着くことができた。京都駅が立派になり、以前ほど目立たなくなった京都タワーだが敬意を表して写真におさめた。
デジブック 『東寺から京都劇場へ』
『スルース〈探偵〉』は、イギリスの上流階級の人間で、有名な推理小説家であるアンドリューの豪華な邸宅で、アンドリューの妻の愛人であるイタリア系の青年ミロとアンドリューの間で交わされる会話によって進む劇で、二人の役者にとっては息つく暇のない緊迫した舞台である。さすがに舞台美術をはじめすべてが洗練されていて20分の休憩をはさんでの2時間余りがアッという間に過ぎた。
ただ、心を揺さぶられるという点で言えば、物足りなさが残った。何なんだろう?と帰りの電車の中で考えた。この劇の背景にあるイギリスの階級社会に対する私の感覚的な面での無知。上流社会に属する有名な推理小説家とイタリア系移民の青年との感情の部分でのせめぎ合いについていけない自分があった。
「七人の侍」で重要な役であった“農民”と“武士”の顔を持つ三船敏郎演ずる菊千代が、リメイクした「荒野の七人」では失くさざるを得なかったことに通じるように思う。あの当時の日本の社会には存在した菊千代はアメリカ西部劇の社会では存在しないのである。今を生きる私の中にも、菊千代の発する言葉に感情をゆさぶられるものが存在するのである。
文化背景といってよいのかわからないが、外国の作品を演ずる時の根本的なところのむずかしさかもしれない。
同じ雑誌の中に、「冬の京都」という特集もあり、1月8日~3月21日の間、非公開文化財特別公開の紹介がなされていた。そこに、東寺五重塔の初層内部の公開もとりあげられていた。四度の焼失を経て、寛永21年(1644)徳川三代将軍家光が再建されたものである。
京都を舞台にしたドラマでは、ここが京都だよと表現するのによく使われるのが、京都タワー・嵐山の渡月橋・南禅寺の山門・鴨川と東寺五重塔である。第二京阪ができるまでは、こちらから京都市内に行く時は国道1号線を使い、東寺の所でT字になり、右折する。もう数え切れないほど五重塔を見ながら車で走っているのだが、東寺の境内には入ったことがなかった。洛南高校に進路のことで1回だけ訪問した時に歩いたことはあるが、キョロキョロする余裕もなく高校のほうへ一直線であった。
開演が13時なので、早目に家を出たらちょうど立ち寄ることができると思い、急きょ計画を立てた。こういう時は時間にしばりをつくっておかない一人身の強みである。星田駅9:46のJR学研都市線で京田辺駅へ、近鉄京都線の新田辺駅から急行に乗り東寺駅へ、歩いて5分で東寺に。ほぼ1時間で着くことができたので1時間余り、金堂・講堂・食堂(じきどう)・五重塔・観智院をゆっくり観てまわることができた。
東寺をでて、途中でおいしそうなラーメン屋があったので腹ごしらえをして、京都劇場にちょうど開演15分前に着くことができた。京都駅が立派になり、以前ほど目立たなくなった京都タワーだが敬意を表して写真におさめた。
デジブック 『東寺から京都劇場へ』
『スルース〈探偵〉』は、イギリスの上流階級の人間で、有名な推理小説家であるアンドリューの豪華な邸宅で、アンドリューの妻の愛人であるイタリア系の青年ミロとアンドリューの間で交わされる会話によって進む劇で、二人の役者にとっては息つく暇のない緊迫した舞台である。さすがに舞台美術をはじめすべてが洗練されていて20分の休憩をはさんでの2時間余りがアッという間に過ぎた。
ただ、心を揺さぶられるという点で言えば、物足りなさが残った。何なんだろう?と帰りの電車の中で考えた。この劇の背景にあるイギリスの階級社会に対する私の感覚的な面での無知。上流社会に属する有名な推理小説家とイタリア系移民の青年との感情の部分でのせめぎ合いについていけない自分があった。
「七人の侍」で重要な役であった“農民”と“武士”の顔を持つ三船敏郎演ずる菊千代が、リメイクした「荒野の七人」では失くさざるを得なかったことに通じるように思う。あの当時の日本の社会には存在した菊千代はアメリカ西部劇の社会では存在しないのである。今を生きる私の中にも、菊千代の発する言葉に感情をゆさぶられるものが存在するのである。
文化背景といってよいのかわからないが、外国の作品を演ずる時の根本的なところのむずかしさかもしれない。