映画「せかいのおきく」は安政から万延にかけての話。明治の世まであと10年という頃。「摂取」と「排泄」は生物の根源である。太古から現在まで変わりなく続いてきた営みである。私が中学を卒業するまでは映画とさして変わらぬ便所事情だった。映画に登場する数々のシーンを見ながら小中の頃の記憶がよみがえってきた。
桶に入れて畑の肥やしにしている光景は日常にあったし、中学校の校門前に志摩衛生という汲み取り業者の店があり、当時は中学校の第二グラウンドの奥の斜面にそのまま廃棄していた。ソフトボールをしていて打ったボールがグランドからその斜面に転がり落ちた時は、誰が取りに行くのかで大騒ぎになった。
また、映画で長雨で汚物があふれ出すシーンがあったが、5歳~7歳の2年余り祖父母と同居した家でも大雨の時便ツボがあふれ出す寸前になったことが多々あった。もっと大規模だったのは伊勢湾台風で町全体が床上浸水になった時で、映画と同じような光景を見た。また、小学校6年で、掃除区域に便所が割り当てられた時は、便ツボのはね返りを嫌がったのか便器の横にする人がいた。掃除当番の私たちはそれを「灯台」と呼んで恐れていた。「今日は灯台があるぞ!」という声で一斉にジャンケンが始まった。
私が小2の途中から中3まで7年余り過ごした家の便所は外にあり、夜玄関を出て5mほど歩き、裸電球一つの明かりで用を足すのは結構恐怖を覚えた。「便ツボから手が伸びてきて中に引き込まれる」などという怪談話の好きな連中もいたので肝試しのような便所だった。
もう一つ思ったのは、映画は理不尽な世の仕組みへの怒り、憤りを内包しつつ、それらを笑ってカラッとはね返す人間のたくましさを描いている。
上映後、不思議なパワーを注入された感じがした。よく学級通信で取り上げていた濱口國男さんの詩に出合った時と同じだと思った。
便所掃除
扉をあけます
頭のしんまでくさくなります
まともに見ることが出来ません
神経までしびれる悲しいよごしかたです
澄んだ夜明けの空気もくさくします
掃除がいっぺんにいやになります
むかつくようなババ糞がかけてあります
どうして落着いてしてくれないのでしょう
けつの穴でも曲がっているのでしょう
それともよっぽどあわてたのでしょう
おこったところで美しくなりません
美しくするのが僕らの務めです
美しい世の中も こんな処から出発するのでしょう
くちびるを噛みしめ 戸のさんに足をかけます
静かに水を流します
ババ糞におそるおそる箒をあてます
ポトン ポトン 便壺に落ちます
ガス弾が 鼻の頭で破裂したほど 苦しい空気が発散します
落とすたびに糞がはね上がって弱ります
かわいた糞はなかなかとれません
たわしに砂をつけます
手を突き入れて磨きます
汚水が顔にかかります
くちびるにもつきます
そんな事にかまっていられません
ゴリゴリ美しくするのが目的です
その手でエロ文 ぬりつけた糞も落とします
大きな性器も落とします
朝風が壺から顔をなぜ上げます
心も糞になれて来ます
水を流します
心に しみた臭みを流すほど 流します
雑巾でふきます
キンカクシのうらまで丁寧にふきます
社会悪をふきとる思いで力いっぱいふきます
もう一度水をかけます
雑巾で仕上げをいたします
クレゾール液をまきます
白い乳液から新鮮な一瞬が流れます
静かな うれしい気持ちですわってみます
朝の光が便器に反射します
クレゾール液が 糞壺の中から七色の光で照らします
便所を美しくする娘は
美しい子供をうむ といった母を思い出します
僕は男です
美しい妻に会えるかも知れません
桶に入れて畑の肥やしにしている光景は日常にあったし、中学校の校門前に志摩衛生という汲み取り業者の店があり、当時は中学校の第二グラウンドの奥の斜面にそのまま廃棄していた。ソフトボールをしていて打ったボールがグランドからその斜面に転がり落ちた時は、誰が取りに行くのかで大騒ぎになった。
また、映画で長雨で汚物があふれ出すシーンがあったが、5歳~7歳の2年余り祖父母と同居した家でも大雨の時便ツボがあふれ出す寸前になったことが多々あった。もっと大規模だったのは伊勢湾台風で町全体が床上浸水になった時で、映画と同じような光景を見た。また、小学校6年で、掃除区域に便所が割り当てられた時は、便ツボのはね返りを嫌がったのか便器の横にする人がいた。掃除当番の私たちはそれを「灯台」と呼んで恐れていた。「今日は灯台があるぞ!」という声で一斉にジャンケンが始まった。
私が小2の途中から中3まで7年余り過ごした家の便所は外にあり、夜玄関を出て5mほど歩き、裸電球一つの明かりで用を足すのは結構恐怖を覚えた。「便ツボから手が伸びてきて中に引き込まれる」などという怪談話の好きな連中もいたので肝試しのような便所だった。
もう一つ思ったのは、映画は理不尽な世の仕組みへの怒り、憤りを内包しつつ、それらを笑ってカラッとはね返す人間のたくましさを描いている。
上映後、不思議なパワーを注入された感じがした。よく学級通信で取り上げていた濱口國男さんの詩に出合った時と同じだと思った。
便所掃除
扉をあけます
頭のしんまでくさくなります
まともに見ることが出来ません
神経までしびれる悲しいよごしかたです
澄んだ夜明けの空気もくさくします
掃除がいっぺんにいやになります
むかつくようなババ糞がかけてあります
どうして落着いてしてくれないのでしょう
けつの穴でも曲がっているのでしょう
それともよっぽどあわてたのでしょう
おこったところで美しくなりません
美しくするのが僕らの務めです
美しい世の中も こんな処から出発するのでしょう
くちびるを噛みしめ 戸のさんに足をかけます
静かに水を流します
ババ糞におそるおそる箒をあてます
ポトン ポトン 便壺に落ちます
ガス弾が 鼻の頭で破裂したほど 苦しい空気が発散します
落とすたびに糞がはね上がって弱ります
かわいた糞はなかなかとれません
たわしに砂をつけます
手を突き入れて磨きます
汚水が顔にかかります
くちびるにもつきます
そんな事にかまっていられません
ゴリゴリ美しくするのが目的です
その手でエロ文 ぬりつけた糞も落とします
大きな性器も落とします
朝風が壺から顔をなぜ上げます
心も糞になれて来ます
水を流します
心に しみた臭みを流すほど 流します
雑巾でふきます
キンカクシのうらまで丁寧にふきます
社会悪をふきとる思いで力いっぱいふきます
もう一度水をかけます
雑巾で仕上げをいたします
クレゾール液をまきます
白い乳液から新鮮な一瞬が流れます
静かな うれしい気持ちですわってみます
朝の光が便器に反射します
クレゾール液が 糞壺の中から七色の光で照らします
便所を美しくする娘は
美しい子供をうむ といった母を思い出します
僕は男です
美しい妻に会えるかも知れません