素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「雑草という名の草はない」

2023年05月12日 | 日記
 朝ドラに興味のなかった妻が、「らんまん」を見るのが日課になった。ドラマでは「雑草という名の草はない」という言葉が高知での自由民権運動にからむシーン、東京編での元彰義隊で上野戦争の生き残り、時代に置いていかれた苦悩や葛藤をかかえ、昼間から酒と賭け事におぼれ自堕落な生活をしている倉木とのやりとりなど随所で時代背景とともに効果的に使われている。

 ドラマを貫くキーワードだが、実際にはこの言葉、長く出典となる資料が見つからない状態が続いていて牧野博士が本当に言ったのか不明のままだったそうだ。判明したのは最近のことらしい。10日(水)のBSプレミアムの「英雄たちの選択」で、出演していた牧野記念庭園記念館の田中純子学芸員が、取材に訪れた山本周五郎をたしなめた言葉だった。と話していた。

 山本周五郎の作品は、大学時代に読み耽り大きな影響を受けたこともあり、番組の最後にサラッとふれた田中さんの言葉が心に残った。いろいろ調べてみた結果、次のことがわかった。

 山本周五郎は作家として売れる前、1925年(大正14年)から1928年(昭和3年)にかけて、帝国興信所(現在の帝国データバンク)を母体とする雑誌「日本魂(にっぽんこん)」の編集記者を務めていた。

 牧野博士にインタビューしたとき、当時20代だった山本周五郎が「雑草」という言葉を口にしたところ、牧野博士はなじるような口調で次のようにたしなめたという。

「きみ、世の中に〝雑草〟という草は無い。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている。わたしは雑木林(ぞうきばやし)という言葉がキライだ。松、杉、楢(なら)、楓(かえで)、櫟(くぬぎ)——みんなそれぞれ固有名詞が付いている。それを世の多くのひとびとが〝雑草〟だの〝雑木林〟だのと無神経な呼び方をする。もしきみが、〝雑兵〟と呼ばれたら、いい気がするか。人間にはそれぞれ固有の姓名がちゃんとあるはず。ひとを呼ぶばあいには、正しくフルネームできちんと呼んであげるのが礼儀というものじゃないかね」
       (木村久邇典『周五郎に生き方を学ぶ』実業之日本社より)

 どんな植物にも固有の名前がある。それを無視して「雑草」「雑木林」などと人間にとって要不要だけで分類するのは、おこがましいという主張。

 山本周五郎はこの言葉が胸に刻まれたようで「これにはおれも、一発ガクンとやられたような気がしたものだった。まったく博士の云われるとおりだと思うな」と振り返っている。

 残念ながら、牧野博士へのインタビューはボツになったのか雑誌に載った形跡はなく、朝日新聞記者などを務めた木村久邇典に戦後になって回想した記述が残されているだけなので判明するまでに時間がかかった。

 山本周五郎が描く歴史上の名もない市井の人々の物語の原点になったエピソードだと思った。
コメント
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