盆前のこの日、記憶に残る3つのことがあった。
昭和37(1962)年,堀江謙一さんが、日本人で初の小型ヨットによる単独無寄港太平洋横断に成功しサンフランシスコに到着したニュースには驚かされた。翌年公開された映画「太平洋ひとりぼっち」は学校から映画館へ見に行ったが、冒険心を刺激されワクワクした。この映画、主演、石原裕次郎はしっかり記憶しているが、監督が市川崑だったことは今回、改めて調べてわかった。石原プロ最初の作品で、力が入っていたわけだ。両者の組み合わせはこれが最初で最後だった。その堀江さん、60年後の2022年に世界最高齢の83歳でヨットによる単独無寄港太平洋横断を果たした。たいしたものである。先日、テレビでインタビューされていたが、「自然体で生きる」ことに尽きると思った。見習いたいものである。
2つ目は、昭和60(1985)年、日本航空羽田発大阪行123便(ボーイング747SR型機)が相模湾上空で操縦不能となり群馬県御巣鷹山山中に墜落した事故である。この日は3人の子供(9歳、7歳、2歳)を連れての初めての長旅で、小倉であった妻の研修会の後、大分から九四フェリーで愛媛の佐田岬に渡り、香川の琴平の近くの妻の実家に入った。夕方到着してテレビのスイッチを入れるとちょうど事故現場の捜索活動の模様が映しだされた。長旅の疲れも吹っ飛び画面にくぎ付けになった。死者540人の中に坂本九さんがいたのも衝撃だった。4人の生存者がいたことも驚いた。人間の運命というものをつくづく考えた。
3つ目は私ごと。長女の出産予定日が8月末だったので12日に磯部の実家に帰省した。4時過ぎに実家に到着して荷物を運び入れたとたん電話が鳴った。長女からで急に産気づいたのでタクシーで病院に駆けつけたとのこと。ビックリ仰天である。そのまま荷物を積み込んで急いでUターンした。夜、病院に到着した時は初孫は誕生していた。
1年の中で、私にとって8月12日は特別な日である。
昭和37(1962)年,堀江謙一さんが、日本人で初の小型ヨットによる単独無寄港太平洋横断に成功しサンフランシスコに到着したニュースには驚かされた。翌年公開された映画「太平洋ひとりぼっち」は学校から映画館へ見に行ったが、冒険心を刺激されワクワクした。この映画、主演、石原裕次郎はしっかり記憶しているが、監督が市川崑だったことは今回、改めて調べてわかった。石原プロ最初の作品で、力が入っていたわけだ。両者の組み合わせはこれが最初で最後だった。その堀江さん、60年後の2022年に世界最高齢の83歳でヨットによる単独無寄港太平洋横断を果たした。たいしたものである。先日、テレビでインタビューされていたが、「自然体で生きる」ことに尽きると思った。見習いたいものである。
2つ目は、昭和60(1985)年、日本航空羽田発大阪行123便(ボーイング747SR型機)が相模湾上空で操縦不能となり群馬県御巣鷹山山中に墜落した事故である。この日は3人の子供(9歳、7歳、2歳)を連れての初めての長旅で、小倉であった妻の研修会の後、大分から九四フェリーで愛媛の佐田岬に渡り、香川の琴平の近くの妻の実家に入った。夕方到着してテレビのスイッチを入れるとちょうど事故現場の捜索活動の模様が映しだされた。長旅の疲れも吹っ飛び画面にくぎ付けになった。死者540人の中に坂本九さんがいたのも衝撃だった。4人の生存者がいたことも驚いた。人間の運命というものをつくづく考えた。
3つ目は私ごと。長女の出産予定日が8月末だったので12日に磯部の実家に帰省した。4時過ぎに実家に到着して荷物を運び入れたとたん電話が鳴った。長女からで急に産気づいたのでタクシーで病院に駆けつけたとのこと。ビックリ仰天である。そのまま荷物を積み込んで急いでUターンした。夜、病院に到着した時は初孫は誕生していた。
1年の中で、私にとって8月12日は特別な日である。