今日、夕刊を開いたら詩人の新川和江さが亡くなったことを報じる記事が目に飛び込んだ。誇り高く生きる意思を猛々しい言葉ではなく親しみやすい平易な響きで表現した「わたしを束ねないで」は心に残っている。訃報で母と同じ1929年(昭和4)生まれだったことを知り心がより動いた。
大正末期から昭和1桁に生まれた方のバックボーンには多感な思春期に潜り抜けた「戦争」があるように思う。新川さんは4月22日、私の母は5月15日生まれである。戦争に関連する主な出来事と年齢を重ねてみるとそのことを強く感じる。
1931年(2歳)満州事変⇒1932年(3歳)満州国建国、五・一五事件⇒1933年(4歳)国際連盟脱退⇒1936年(7歳)二・二六事件
1937年(8歳)日中戦争⇒1941年(12歳)太平洋戦争⇒1945年(16歳)ポツダム宣言受諾⇒1946年(17歳)日本国憲法公布
そのことを頭に置いて詩を読むと若い時に読んだ時とは違った響きが伝わって来る。
わたしを束ねないで
わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音
わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮 ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
,コンマや.ピリオドいくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
大正末期から昭和1桁に生まれた方のバックボーンには多感な思春期に潜り抜けた「戦争」があるように思う。新川さんは4月22日、私の母は5月15日生まれである。戦争に関連する主な出来事と年齢を重ねてみるとそのことを強く感じる。
1931年(2歳)満州事変⇒1932年(3歳)満州国建国、五・一五事件⇒1933年(4歳)国際連盟脱退⇒1936年(7歳)二・二六事件
1937年(8歳)日中戦争⇒1941年(12歳)太平洋戦争⇒1945年(16歳)ポツダム宣言受諾⇒1946年(17歳)日本国憲法公布
そのことを頭に置いて詩を読むと若い時に読んだ時とは違った響きが伝わって来る。
わたしを束ねないで
わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音
わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮 ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
,コンマや.ピリオドいくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩