新川和江さんの訃報がきっかけで、父(1924~2017)や母(1929~ )と同時代に生きた4人の女性についてあらためて考えた。青春時代に「戦争」を体験したことがその後の生き方に大きく関係していることを痛感した。多くを語らなかった父であったが、同じように心の底に「戦争」を抱えていた。
そのことを痛切に思ったのは、2016年秋に実家に帰った時、母から三重県退職校長会の近況報告集『いきがい』 に毎年父が寄稿したものをまとめてくれないかと頼まれて小冊子を作った時だった。
「はじめに」で経緯を書いた。
【父が退職をした昭和58年に、三重県退職校長会の近況報告集『いきがい』 の発刊が始まった。したがって父は2号からの参加である。応接間の本棚には2号から34号までがきちっと並べられている。几帳面さだけは誰にも負けない。3号だけは近況報告集ではなく各支部活動の報告で2枚の紙を二つ折りにした簡単な新聞だがそれもきちっと保管されている。
近況報告を毎年欠かさずに投稿してきたのも几帳面な父らしい。葉書き1枚で送る200字足らずの文だが30余年継続すると値打ちが出てくる。
『いきがい』を今流行りの生前整理とかで、ひもでくくって片付けてしまうのは惜しいと思い、小冊子にまとめることにした。合わせてその年の出来事も併記してみた。これは私の趣味(=いきがい)である。父の知らなかった側面を垣間見ながらの大変楽しい作業となった。】
私としては、
♦ ♦ ♦
九十二歳も半ばを過ぎました。歩くのが不自由になり困る事が多くなっ
ています。内科的には異状なく、どうにか毎日が過ぎていく感じです。
“いきがい”の配布が待ち遠しく、皆様の記事を読むのを楽しみにして
います。 (平成28年・第34号)
♦ ♦ ♦
と近況報告を書いている父を励ましたいという思いが強くあったので「はじめに」を次のように締めくくった。
【平成28年以後に8つの空欄をあえて作っておいた。その心は百歳まで投稿して欲しいという願いである。
こういうことを言うと、困った様な顔をして「もう今年の冬は越せない」と苦笑いするだろう。
しかし、日野原重明さんは105歳で『僕は頑固な子どもだった』という自叙伝を著した。「一〇三歳になってわかったこと」という年間大ベストセラーの著者・篠田桃紅さんは雑誌ハルメクに「ほんの無駄話」という連載を始めている。脚力は落ちても思考力、記憶力は負けていないと思う。この続編をつくることを楽しみにしている。 2016年10月】
私に父の退職後の断片をまとめてくれないかと言ったのは65年余り連れ添ってきた母が虫の知らせのようなものを感じ取ったからかもしれない。その年の12月8日に肺の具合が悪くなり救急車で志摩病院へ入院した。奇しくも太平洋戦争の開戦の日だった。翌年1月10日に退院して「志摩の憩」に入所して2月6日に亡くなった。
ここ5年ほどは小冊子を開いていなかった。この夏戦争についていろいろ考えさせられたこともあり、もう一度じっくり読んでみた。あらためて父にとって戦争は重いものだったと感じた。
去る四月、退教互主催の沖縄旅行に参加した。秘境西表島でのマン ・バルセロナ五輪
グローブの茂る川上り、水牛車に乗っての海峡渡り等、沖縄ならでは ・「のぞみ」運転開始
の旅を満喫。 ・山形新幹線開業
本島では、摩文仁の丘、ひめゆりの塔など、南部戦跡を訪ねたが、 ・ハウステンボス開園
わずかに復元最中の首里城跡に、わが心の中に生き続けていた戦禍を ・育児休業法施行
偲ぶのみであった。旅を終えて今はただ復帰二十年の沖縄に全基地返
還の日の一日も早からんことを念じている。 (平成4年・第10号)
♦ ♦ ♦
師範卒業五十周年という記念すべき年を迎えた。この機会に第一回 ・雅子さん「結婚の儀」
同窓会誌、その名も当時を偲ぶにふさわしい“進軍”をМ君の好意と ・レインボーブリッジ開通
熱意で再発行していただけた。五十年前の青春、友情を今しみじみと ・サッカーJリーグ開幕
懐かしく思いおこし、感無量である。若くして国の為散華した友、又、 ・EU発足
すでに鬼籍に入った友を思うにつけ、今健康でいられる自分の幸せを
感謝し、精一杯生きていきたい。 (平成5年・第11号)
♦ ♦ ♦
戦後五十年の節目の年に同窓生、森岡清美氏の著書「若き特攻隊員 ・阪神淡路大震災
と太平洋戦争」を読む機会を得た。 ・地下鉄サリン事件
若き特攻隊員が出撃を前に、親、兄弟、恋人などへの思いを切々と ・第一回今年の漢字は震
綴った手記をもとに、特攻の真実の姿を後世に残すべく、彼らの群像 ・公立学校
を描いた本著に深い感銘を受けると共に、同じ決死の世代に生き残っ 第二第四土曜休
た者のひとりとして、日々精一杯生きていこうと思う昨今である。(平成7年・第13号)
♦ ♦ ♦
三月上旬、知覧特攻平和会館を尋ねる機会を得た。太平洋戦争末期、 ・シドニー五輪
幾多の若者達が、再び還らざる特攻出撃に飛び立っていった飛行場跡 ・有珠山噴火
に建てられた会館である。館内には、若き隊員の遺影、遺品、生死の ・新2000円札発行
狭間に揺れながら、切々と綴ったであろう遺書の数々に、深く胸を打 ・金融庁発足
たれた。「完全ナル飛行機ニテ出撃致シ度イ」と書かれた遺書は今も私 ・今年の漢字は「金」
の脳裏から離れない。 (平成12年・第18号)
♦ ♦ ♦
昨年秋、かねての念願であった上田市に窪島誠一郎氏によって建てられ ・アテネ五輪
た戦没画学生慰霊美術館「無言館」を訪ねた。ここには、日中、太平洋戦 ・裁判員制度法成立
争で亡くなった画学生約四十名の遺作、遺品が展示されている。志半ばで ・新潟県中越地震
無念の死を遂げた、芸術の若き使徒達のひたむきな情熱が絵を通して切々 ・イチロー最多安打262
と語りかけてくるのを感じ瞼が濡れた。一度は訪ねていただきたい美術館 ・今年の漢字は「災」
である。 (平成16年・第22号)
♦ ♦ ♦
一月、辺見じゅん原作の映画「男たちの大和」を見ました。生存者の回 ・トリノ冬季五輪
想から始まり、家族との別れ、生死を共にする士官と部下、同僚との絆、 ・しまなみ海道全線開通
壮絶な戦闘シーン、涙なくしては見られない映画でした。私の先輩、坪井 ・男子の皇族41年ぶりに誕生
さんは大和生存者のひとりですが、語り部として平和教育に尽力されてい ・阪急、阪神が経営統合
る記事を教組新聞で拝見し、同じ世代を生きた者として平和への願いを新 ・今年の漢字は「命」
たにしました。 (平成18年・第24号)
♦ ♦ ♦
一年後輩の上出芳照君の死亡叙勲を新聞紙上で知った。彼は豊橋陸軍予 ・オバマ氏米大統領に就任
備士官学校同期生であり、広島原爆被爆者でもある。彼とは原爆投下後の ・裁判員制度スタート
悲惨な現状、生死の境をさ迷った闘病生活の辛さを聞く機会があり、唯一 ・国内46年ぶり皆既日食
残った八時十五分を指す腕時計を拝見した思い出がある。私は七月末広島 ・民主党政権樹立
から鳥取部隊へ復帰し被爆を免れた。今日ある幸せと平和への願いを新た ・今年の漢字は「新」
に、彼の冥福を祈る次第である。 (平成21年・第27号)
♦ ♦ ♦
私は昭和十九年十二月、豊橋陸軍予備士官学校に在校中、東南海地震に ・大相撲八百長問題で
遭遇、激しい揺れに這うようにして舎外に出た。故郷浜島は津波に襲われ、 春場所中止
家族はてんでに高台に避難し一息した直後、中風で寝たきりの祖父を置き ・九州新幹線全線開通
去りにしたことに気付き大慌てで担架で運んだと聞かされた思い出がある。・東京スカイツリー完成
今回の東日本大震災の惨状は目を覆うものであり、自然災害の脅威を再認 ・東日本大震災
識した。 (平成23年・第29号)・今年の漢字は「絆」
そのことを痛切に思ったのは、2016年秋に実家に帰った時、母から三重県退職校長会の近況報告集『いきがい』 に毎年父が寄稿したものをまとめてくれないかと頼まれて小冊子を作った時だった。
「はじめに」で経緯を書いた。
【父が退職をした昭和58年に、三重県退職校長会の近況報告集『いきがい』 の発刊が始まった。したがって父は2号からの参加である。応接間の本棚には2号から34号までがきちっと並べられている。几帳面さだけは誰にも負けない。3号だけは近況報告集ではなく各支部活動の報告で2枚の紙を二つ折りにした簡単な新聞だがそれもきちっと保管されている。
近況報告を毎年欠かさずに投稿してきたのも几帳面な父らしい。葉書き1枚で送る200字足らずの文だが30余年継続すると値打ちが出てくる。
『いきがい』を今流行りの生前整理とかで、ひもでくくって片付けてしまうのは惜しいと思い、小冊子にまとめることにした。合わせてその年の出来事も併記してみた。これは私の趣味(=いきがい)である。父の知らなかった側面を垣間見ながらの大変楽しい作業となった。】
私としては、
♦ ♦ ♦
九十二歳も半ばを過ぎました。歩くのが不自由になり困る事が多くなっ
ています。内科的には異状なく、どうにか毎日が過ぎていく感じです。
“いきがい”の配布が待ち遠しく、皆様の記事を読むのを楽しみにして
います。 (平成28年・第34号)
♦ ♦ ♦
と近況報告を書いている父を励ましたいという思いが強くあったので「はじめに」を次のように締めくくった。
【平成28年以後に8つの空欄をあえて作っておいた。その心は百歳まで投稿して欲しいという願いである。
こういうことを言うと、困った様な顔をして「もう今年の冬は越せない」と苦笑いするだろう。
しかし、日野原重明さんは105歳で『僕は頑固な子どもだった』という自叙伝を著した。「一〇三歳になってわかったこと」という年間大ベストセラーの著者・篠田桃紅さんは雑誌ハルメクに「ほんの無駄話」という連載を始めている。脚力は落ちても思考力、記憶力は負けていないと思う。この続編をつくることを楽しみにしている。 2016年10月】
私に父の退職後の断片をまとめてくれないかと言ったのは65年余り連れ添ってきた母が虫の知らせのようなものを感じ取ったからかもしれない。その年の12月8日に肺の具合が悪くなり救急車で志摩病院へ入院した。奇しくも太平洋戦争の開戦の日だった。翌年1月10日に退院して「志摩の憩」に入所して2月6日に亡くなった。
ここ5年ほどは小冊子を開いていなかった。この夏戦争についていろいろ考えさせられたこともあり、もう一度じっくり読んでみた。あらためて父にとって戦争は重いものだったと感じた。
去る四月、退教互主催の沖縄旅行に参加した。秘境西表島でのマン ・バルセロナ五輪
グローブの茂る川上り、水牛車に乗っての海峡渡り等、沖縄ならでは ・「のぞみ」運転開始
の旅を満喫。 ・山形新幹線開業
本島では、摩文仁の丘、ひめゆりの塔など、南部戦跡を訪ねたが、 ・ハウステンボス開園
わずかに復元最中の首里城跡に、わが心の中に生き続けていた戦禍を ・育児休業法施行
偲ぶのみであった。旅を終えて今はただ復帰二十年の沖縄に全基地返
還の日の一日も早からんことを念じている。 (平成4年・第10号)
♦ ♦ ♦
師範卒業五十周年という記念すべき年を迎えた。この機会に第一回 ・雅子さん「結婚の儀」
同窓会誌、その名も当時を偲ぶにふさわしい“進軍”をМ君の好意と ・レインボーブリッジ開通
熱意で再発行していただけた。五十年前の青春、友情を今しみじみと ・サッカーJリーグ開幕
懐かしく思いおこし、感無量である。若くして国の為散華した友、又、 ・EU発足
すでに鬼籍に入った友を思うにつけ、今健康でいられる自分の幸せを
感謝し、精一杯生きていきたい。 (平成5年・第11号)
♦ ♦ ♦
戦後五十年の節目の年に同窓生、森岡清美氏の著書「若き特攻隊員 ・阪神淡路大震災
と太平洋戦争」を読む機会を得た。 ・地下鉄サリン事件
若き特攻隊員が出撃を前に、親、兄弟、恋人などへの思いを切々と ・第一回今年の漢字は震
綴った手記をもとに、特攻の真実の姿を後世に残すべく、彼らの群像 ・公立学校
を描いた本著に深い感銘を受けると共に、同じ決死の世代に生き残っ 第二第四土曜休
た者のひとりとして、日々精一杯生きていこうと思う昨今である。(平成7年・第13号)
♦ ♦ ♦
三月上旬、知覧特攻平和会館を尋ねる機会を得た。太平洋戦争末期、 ・シドニー五輪
幾多の若者達が、再び還らざる特攻出撃に飛び立っていった飛行場跡 ・有珠山噴火
に建てられた会館である。館内には、若き隊員の遺影、遺品、生死の ・新2000円札発行
狭間に揺れながら、切々と綴ったであろう遺書の数々に、深く胸を打 ・金融庁発足
たれた。「完全ナル飛行機ニテ出撃致シ度イ」と書かれた遺書は今も私 ・今年の漢字は「金」
の脳裏から離れない。 (平成12年・第18号)
♦ ♦ ♦
昨年秋、かねての念願であった上田市に窪島誠一郎氏によって建てられ ・アテネ五輪
た戦没画学生慰霊美術館「無言館」を訪ねた。ここには、日中、太平洋戦 ・裁判員制度法成立
争で亡くなった画学生約四十名の遺作、遺品が展示されている。志半ばで ・新潟県中越地震
無念の死を遂げた、芸術の若き使徒達のひたむきな情熱が絵を通して切々 ・イチロー最多安打262
と語りかけてくるのを感じ瞼が濡れた。一度は訪ねていただきたい美術館 ・今年の漢字は「災」
である。 (平成16年・第22号)
♦ ♦ ♦
一月、辺見じゅん原作の映画「男たちの大和」を見ました。生存者の回 ・トリノ冬季五輪
想から始まり、家族との別れ、生死を共にする士官と部下、同僚との絆、 ・しまなみ海道全線開通
壮絶な戦闘シーン、涙なくしては見られない映画でした。私の先輩、坪井 ・男子の皇族41年ぶりに誕生
さんは大和生存者のひとりですが、語り部として平和教育に尽力されてい ・阪急、阪神が経営統合
る記事を教組新聞で拝見し、同じ世代を生きた者として平和への願いを新 ・今年の漢字は「命」
たにしました。 (平成18年・第24号)
♦ ♦ ♦
一年後輩の上出芳照君の死亡叙勲を新聞紙上で知った。彼は豊橋陸軍予 ・オバマ氏米大統領に就任
備士官学校同期生であり、広島原爆被爆者でもある。彼とは原爆投下後の ・裁判員制度スタート
悲惨な現状、生死の境をさ迷った闘病生活の辛さを聞く機会があり、唯一 ・国内46年ぶり皆既日食
残った八時十五分を指す腕時計を拝見した思い出がある。私は七月末広島 ・民主党政権樹立
から鳥取部隊へ復帰し被爆を免れた。今日ある幸せと平和への願いを新た ・今年の漢字は「新」
に、彼の冥福を祈る次第である。 (平成21年・第27号)
♦ ♦ ♦
私は昭和十九年十二月、豊橋陸軍予備士官学校に在校中、東南海地震に ・大相撲八百長問題で
遭遇、激しい揺れに這うようにして舎外に出た。故郷浜島は津波に襲われ、 春場所中止
家族はてんでに高台に避難し一息した直後、中風で寝たきりの祖父を置き ・九州新幹線全線開通
去りにしたことに気付き大慌てで担架で運んだと聞かされた思い出がある。・東京スカイツリー完成
今回の東日本大震災の惨状は目を覆うものであり、自然災害の脅威を再認 ・東日本大震災
識した。 (平成23年・第29号)・今年の漢字は「絆」