素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

新川さんから連想した3人の女性①茨木のり子

2024年08月21日 | 日記
 新川和江さんの詩「わたしを束ねないで」、を読み返していた時、茨木のり子さんが浮かんできた。新川さんより3年早い1926(大正15)年に生まれているので10代の全てを戦時色の中で過ごした。
 わたしが一番きれいだったとき 


「個」の存在を際立たせている点では新川さんと共通するものがある。違いをボクシングで例えるなら新川さんはフットワークとパンチのコンビネーションで攻めるタイプに対して茨木さんはハードパンチ一発で倒すタイプ。
『自分の感受性くらい』は代表格だろう。

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

 自分の「感受性」を自分で守る、という考え方の根幹には、茨木さんの青春時代に通った戦争の経験があるように思う。「社会が一つの方向に進む時に個人が無批判に同調していく恐ろしさ」を身をもって体験したことで、自分の目で見る、自分の頭で考える、自分で感じていることを、なるべく素直に捉える、毒されないように守る、ということが大事だという思いが、「自分の感受性くらい 自分で守れ」という一節に込められている。

 茨木さんは2006年79歳で亡くなったが、この思いを一貫して持ち続けていたことが最晩年に書かれた『倚りかからず』からも分かる。

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ


 私は、茨木さんの2つの詩に「寄りかかって」生きていくかな。

 


コメント
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