先日、NHKニュースの中の特集で、澤地久枝さんが取り上げられていた。1930(昭和5)年に生まれた澤地さんの今の原点は一家で渡った旧満州(中国東北部)で迎えた敗戦の後に訪れた体験である。当時は14歳の女学生。戦時中は日本兵の非常食を作り、男性が召集された開拓団の応援にも行った。何事も「お国のため」と思っていたが、敗戦後関東軍は住民を置き去りにして逃走し、澤地さん一家も1年間の難民生活を強いられた。飢え、略奪暴行、発疹チフスの流行による理不尽な死との背中合わせの逃避行は深く心の傷として刻まれた。という。
安倍政権下の2015年秋に成立した安全保障関連法に反対して始めた国会前のスタンディングデモは9年目に。折れない意志を貫き、国会前に立ち続ける澤地さんの姿は印象的だった。
心臓は20代から手術を繰り返し、新型コロナが広がり始めた2020年春には自宅で転倒。腰骨を折り、一時は「要介護4」の状態に。だが「諦めたら終わり」とリハビリに耐え、数カ月後にはつえをついてデモに復帰した。折れた腰椎は今も治りきらず痛むが、デモは「私にとって最低限の行動」と言う。
安倍政権下の2015年秋に成立した安全保障関連法に反対して始めた国会前のスタンディングデモは9年目に。折れない意志を貫き、国会前に立ち続ける澤地さんの姿は印象的だった。
心臓は20代から手術を繰り返し、新型コロナが広がり始めた2020年春には自宅で転倒。腰骨を折り、一時は「要介護4」の状態に。だが「諦めたら終わり」とリハビリに耐え、数カ月後にはつえをついてデモに復帰した。折れた腰椎は今も治りきらず痛むが、デモは「私にとって最低限の行動」と言う。