素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

“草津市立水生植物公園みずの森”と“琵琶湖ホテル”に

2010年07月08日 | 日記
 ペットショップをやっている親戚の店が定休日なので、一緒に琵琶湖ホテルの昼食バイキングに行くことになった。第二京阪のおかげで琵琶湖まで従来より30分以上短縮できるので、昼食までに草津市・烏丸半島にある“水生植物公園みずの森”に立ち寄ることにした。

  湖周道路(さざなみ街道)は時々走るので横は通り抜けていたが、入るのは久しぶりである。ハスの群生地は以前より拡がっており、甲子園約13個分という説明があった。花のほうはまだ数えるぐらいしか開花しておらず、7月下旬ぐらいになれば淡紅色の花で湖面が埋められるだろうというガイドさんの説明があった。

 入り口付近の鉢植えのハスやフラワーバスケットと水生植物を組み合わせたウォーターガーデン“花影の池”のハスはきれいな花を咲かせていた。また、ロータス館では熱帯性スイレンがあでやかな花を咲かせていた。

    時間的にゆとりがなかったのでゆっくり見ることができなくて残念だった。

 散策路で、花が咲いた後、葉が白くなりつつある半夏生を見つけたので、嬉しくなってシャッターを切った。



 そこから近江大橋を渡って大津市内にある琵琶湖ホテルに行き、昼食バイキングと湖岸沿いの散策を楽しんだ。

 帰宅してからニュースを見ると大阪はかなり蒸し暑かったみたいだが、琵琶湖周辺は湖面を渡る風や緑の多いせいかさほど暑さを感じなかった。

 W杯も大詰めになってきたが、オランダとスペインの決勝戦は、どちらも好きなタイプのチームなので今までの決勝の中では一番気にいった組み合わせとなり、楽しみである。
  
 


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“天の川七夕まつり・2010”は中止

2010年07月07日 | 日記
 広報「かたの」の取材のため、 3時から始まる“天の川七夕まつり・2010”の行なわれる会場に出かけようと準備や戸締りをしていると、遠くで雷が聞こえ・空がみるみる暗くなってきた。昨日、ゲリラ豪雨のことにふれたが、まさか今日それに襲われるとは思わなかった。

 2時少し前から激しい雨となり、1時間を越えても雨足が衰えず、出るに出られず待機していた。3時過ぎに市の広報担当者からイベントは中止になった。という電話をいただいた。肩透かしをくらった感じで、「昼寝しかないか」と言ったものの、こういう時は眠くならない。

 七夕の日ということもあってか、本棚に並んでいる弘兼憲史の『黄昏流星群』が目に留まった。

 35巻までそろっている。続巻は出ているみたいだが、自分としては一応卒業した。なつかしく思ったので第8巻『七夕七年会』を取り出し読んだ。

 29歳の時、7年間つきあってきた恋人と一方的に別れた寺阪という男が主人公。その別れ際に、女から「7年ごとの七夕の夜、会う機会をつくってほしい。そしてお互いにその時の自分を見せ合うの」という提案をされた。時刻は昼の12時。場所は寺阪が7月1日の新聞の伝言コーナーに掲載する。ということで話が決まった。そして、伝言板の名前を“七夕七年会”としたのであった。

 別れたのが1977年で、1984年、1991年の2回は逢うことができ、3回目の1998年の7月7日、レストランで待っている寺阪の前に元恋人は現れなかった。7年毎に逢う以外はお互いの住んでいる所、連絡方法は一切教えないルールであったので確認の方法もなく3時間待ち、帰ろうとした時レストランに居合わせた謎めいた女の子に声をかけられたところから話は展開していく。

 このシリーズの話は全て“星”にからめてつくられている。強引やなと思えるものも中にはあるが、『七夕七年会』は良くできている部類に属すると思う。

 雨は4時過ぎにはすっかり止んで、星田妙見宮、逢合橋、機物神社では七夕の催しが行なわれているとの有線放送があったが、なぜか行く気にもなれず、今年の七夕はおしまいとなった。
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2冊の本を一気読み

2010年07月06日 | 日記
 ゲリラ豪雨がここ2,3年でずい分多くなったように思える。気のせいか、実際そうなのかは定かではないが、その報道を見るたびに自然の脅威と我々の生活の基盤の脆弱さを感じる。予測のつかない天気だけに、歩きや自転車で遠出もできないので、家を中心に過ごすことが多くなる。衝動的に買った2冊の本を一気に読んだ。どちらも角川書店の新書“角川oneテーマ21”のものである。イビチャ・オシム著『考えよ!~なぜ日本人はリスクを冒さないのか?』とテリー伊藤著『なぜ日本人は落合博満が嫌いか?』である。

 このシリーズは、裏表紙にテーマが書かれているので紹介しておく。

オシムさんの本。テーマ「日本サッカー」 なぜ日本人はゴールの前で責任を放棄するのか?            
           ▼日本は南アW杯グループリーグを突破できる
           ▼岡田監督は辞任すべきではない
           ▼リスクを負わない者は勝利することができない
           ▼模倣はどこまでいっても模倣でしかない
           ▼“走れ”そして“考えろ”
           ▼組織に必要なのは“規律”と“創造性”
           


 2010年4月に初版がでているので、ベスト4まで進んでいる今、読みたくなった。多くの示唆ある言葉があったが、中でも一番印象に残ったのは『自分で考えずに人に聞くという行為と、自分で考えて、わからないことを質問するという行為は根本的に違うことだ。』

というくだりかな。サッカーに限らず、チームを組んで仕事をしていく場合、個々のメンバーが自分の頭を通して課題に対して取り組んでいかないと創造的なものは生まれないし、未然にミスを防ぐこともできない。このことが社会全体に欠けているように思える。

 岡田監督への評価、政党への支持率の短期間での急変などを見ると、しっかり考えていないのではないかと思ってしまう。また、大相撲に関しての一連の流れも、問題が整理されておらず土石流のような勢いですべてをのみ込んでいっているように感じる。これでいいのかなと考えてしまう。

テリーさんの本。テーマ「落合博満」 落合の超合理主義を受容できないお子様国歌・ニッポン           
           ▼日本人の幼稚化をあぶり出す超プロフェッショナル
           ▼非常識の力で壁を破る
           ▼去るものは追わず、育つものは見逃さず
           ▼今、日本人に必要なのは“落合力”である
           ▼もし落合が総理大臣だったら
           ▼落合こそ長嶋茂雄の後継者だ!


 テリーさんのいうところの“落合力”とは『群れず、はしゃがず、黙って信念を貫いていく。
                          媚びず、言い訳せず、不気味なほど寡黙に勝負して、勝つ。』


 これが今、日本に必要だということを熱く語っている。私の好きなタイプの落合に、対極にいる人だと思っていたテリー伊藤さん(熱狂的な巨人ファンにして長嶋茂雄信奉者)がスポットをあてたことに興味をそそられたのである。

 監督(リーダー)論として、思っていたよりおもしろかった。
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ノスタルジアにひたっています

2010年07月05日 | 日記
 新聞の音楽評論欄で紹介されていた昭和ジャズ大全~幻の名盤・秘蔵版~が今日届いた。

 中村八大、小野満、平岡精二、フランキー堺、鈴木章治、北村英治、藤家虹二、松本英彦、渡辺貞夫、宮間利之、秋吉敏子、ジョージ川口、南里文雄、美空ひばり、原信夫と懐かしい名前がズラリ並ぶ。

 先日、ロイヤルホースでお目にかかった北村英治さん(81歳)の42年前、1968年当時のレコードジャケットと解説を読みながら演奏を聞くとまた違った感慨にとらわれる。また、フランキー堺とシティ・スリッカーズの“冗談音楽”も子供心に記憶がある。そのメンバーに谷啓、桜井千里、植木等がいたことは初めて知った。その後、ハナ肇を中心とするバンドに移り、クレイジーキャッツとして大ブレイクした。その原点を見たように思えた。美空ひばりのジャズについては話には聞いていたが“ペイパー・ムーン”“恋人よ我に帰れ”“慕情”“A列車で行こう”の4曲が収録されておりお得な気分になれた。また、豪快かつ繊細なドラムのジョージ川口は大学時代に下宿で、よくレコードで聴いていたのでとてもなつかしかった。“キャラバン”なんか最高!ついつい一緒に机をたたいてしまった。

 一人ひとり語りだしたらきりがない。当時のレコードジャケットの写真と解説を読みながら昭和の世界にもどった夜になった。
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雨雲が南北にそれたのを幸いに篠山方面にドライブ

2010年07月04日 | 日記
 九州地方に大雨をもたらしていた雨雲、昨夜の段階では今日近畿地方にやってくる予報であったが、今朝の天気予報を見ると、雨雲は近畿地方の北部と南部のみで、大阪、兵庫は曇りとなっていた。三田市相野にある“かさや・あじさい園”の招待券をもらっていたのででかけることにした。

 9時少し前に家を出て、吹田から中国自動車道に入り、吉川JCTで舞鶴若狭自動車道に、三田西ICで下りておよそ1時間20分で到着した。天候不順のせいか道がすいていて快適なドライブとなった。

“かさや”の先代は松茸狩りを営んでいたが、今は椎茸栽培に切り替え、椎茸狩りと三田肉のバーべキューが楽しめる。家族連れが結構来ていた。その里山に全国のアジサイの優良品種を植え始め、昭和60年に“あじさい園”もオープンした。現在では45種30,000株のあじさいの花が楽しめる。
  アジサイもいろいろな所で見てきたが、珍しいなと思っても名前がわからないと、なぜかスッキリしない。(名前なんかどうでも良い。美しいものを美しいと感じれば良い。という人もいるが、その境地にはまだ行っていない)ここのアジサイ園には名札がつけてあったのでありがたかった。気に入ったものベスト5

 羽衣の舞 4 紅額アジサイ

 土佐の神楽 2 ウズアジサイ

 アナベル これが1番! 

 時間にゆとりがあったので、篠山まで足をのばし、篠山城跡周辺の散策をすることになった。車で約30分の道のりであった。

   

 篠山城は別名桐ヶ城と呼ばれ、築城家の第一人者、藤堂高虎の縄張りで行なわれた平山城で、方形400mの小規模ながら、なかなか堅固なものだったらしい。建物はすべて取り壊され、復元された大書院や石垣などで往時が偲ばれる。篠山城跡北外濠一帯は官公庁関係の建物が多く、市役所やたんば田園交響ホールはモダンであるが武家屋敷群と調和するように造られていて目をひいたが、大正ロマン館(大正12年落成)が一番気に入った。

 現在は、レストラン、売店など観光の中核として活用されている。その道路を隔てた前に観光案内所があり、地図などの情報をゲットして、散策にと思ったら急に雲行きが怪しくなってきたので取りやめ、帰宅することにした。同じ道を戻るつもりが右折すべきところを左折したので、方向が正反対になり能勢から池田に出ることになった。結果としてはロスもなく、新しい道を楽しむことができ、私はとても満足できた。

 篠山の町、もう一度ゆったりと歩いてもいいなあと思える雰囲気があった。    

  
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