先日の“和の極意”の中で、天心の言葉が紹介されていた。「歴史を勉強しないものは必ず滅びる。ただし、後を向いていては駄目だ。前を向いて新しい時代に自分の足で進め」天心は率先垂範、この言葉を具現したのではなかろうか。
ただ“歴史”は“勝者の歴史”であることが多い。光の当て方によってまったく違う見方ができる。そのあたりがおもしろいところであり、こわいところでもある。昨今の歴史番組では従来とは違った側面から光を当てたものが多い。自分の知識がこわされ再構築されていくことに喜びを感じる。
偶然本屋で出会った本からも同様のことを感じた。
火曜日買い物のついでにツタヤに立ち寄った時、講談社学術文庫の『勝海舟・氷川清話』(江藤淳・松浦玲編)が目にとまった。諸田玲子さんの『お順』を読んでからずっと頭のすみに勝海舟はいた。混沌とした政治状況が続く中、勝海舟の言葉を読んでみたいと思いためらうことなく購入した。
海舟の話の前に、編集者の松浦さんの書いている最初の“学術文庫刊行に当って”と最後にある“解題”の内容にまず驚いた。要は、明治以来今日まで広く流布している吉本襄篇の『海舟先生・氷川清話』の記述について、1972年(昭和47)から刊行が始まった講談社版「勝海舟全集」の仕事に加わった時に徹底的に洗い直し、編集者の吉本氏が海舟の談話を勝手に書き変え、海舟の真意をひどく歪曲していたということを明らかにしたということである。
海舟の痛烈な時局批判、明治政府批判はあらかた削りとられ、首相や閣僚を名指しで攻撃している談話が、まるで世間一般を訓戒しているような抽象的道徳論にすりかえられていたりと吉本氏の思想や吉本氏の人物スケールに合わせてつくりかえられてしまっているという。日清戦争の最中に戦争に反対した談話など思うように書き変えられない類の談話は初めから収録を見合わせている。
詳しい比較は全集に比較できるように掲載されているとのこと。この全集を親本にして1974年に講談社文庫本が刊行された。それから四半世紀以上経った2000年に、気になっていた点などを改変して学術文庫版が刊行されたという。編集者の松浦さんの歴史の事実に対する真摯な姿勢が伝わってきた。松浦さんは“学術文庫版刊行に当って”の最後を
『74年に書いた“解題”の末尾で私は、海舟の明治維新後三十年と、我々の戦後三十年とを重ねた。それから更に二十六年が経って我々は、海舟の維新後三十年より遥かに長い時間単位を掌握する必要に迫られている。海舟は1899年まで生きて二十世紀には踏込まなかった。我々は二十一世紀に入る。1899年(明治32)で77歳だった海舟は、激動の十九世紀を鷲摑みにした上で二十世紀のアジアと世界を憂え、百年後の知己を待った。いま我々は二十世紀について結果を知っている。海舟において既知の十九世紀と、未知の二十世紀がどういう位相を呈していたか。それを正確に知ることは我々が未知の二十一世紀に対処するための何よりの勉強材料ではなかろうか。』 と締めくくっている。天心の言葉と相通じるものがある。
じっくり読んでいきたいと思っている。
ただ“歴史”は“勝者の歴史”であることが多い。光の当て方によってまったく違う見方ができる。そのあたりがおもしろいところであり、こわいところでもある。昨今の歴史番組では従来とは違った側面から光を当てたものが多い。自分の知識がこわされ再構築されていくことに喜びを感じる。
偶然本屋で出会った本からも同様のことを感じた。
火曜日買い物のついでにツタヤに立ち寄った時、講談社学術文庫の『勝海舟・氷川清話』(江藤淳・松浦玲編)が目にとまった。諸田玲子さんの『お順』を読んでからずっと頭のすみに勝海舟はいた。混沌とした政治状況が続く中、勝海舟の言葉を読んでみたいと思いためらうことなく購入した。
海舟の話の前に、編集者の松浦さんの書いている最初の“学術文庫刊行に当って”と最後にある“解題”の内容にまず驚いた。要は、明治以来今日まで広く流布している吉本襄篇の『海舟先生・氷川清話』の記述について、1972年(昭和47)から刊行が始まった講談社版「勝海舟全集」の仕事に加わった時に徹底的に洗い直し、編集者の吉本氏が海舟の談話を勝手に書き変え、海舟の真意をひどく歪曲していたということを明らかにしたということである。
海舟の痛烈な時局批判、明治政府批判はあらかた削りとられ、首相や閣僚を名指しで攻撃している談話が、まるで世間一般を訓戒しているような抽象的道徳論にすりかえられていたりと吉本氏の思想や吉本氏の人物スケールに合わせてつくりかえられてしまっているという。日清戦争の最中に戦争に反対した談話など思うように書き変えられない類の談話は初めから収録を見合わせている。
詳しい比較は全集に比較できるように掲載されているとのこと。この全集を親本にして1974年に講談社文庫本が刊行された。それから四半世紀以上経った2000年に、気になっていた点などを改変して学術文庫版が刊行されたという。編集者の松浦さんの歴史の事実に対する真摯な姿勢が伝わってきた。松浦さんは“学術文庫版刊行に当って”の最後を
『74年に書いた“解題”の末尾で私は、海舟の明治維新後三十年と、我々の戦後三十年とを重ねた。それから更に二十六年が経って我々は、海舟の維新後三十年より遥かに長い時間単位を掌握する必要に迫られている。海舟は1899年まで生きて二十世紀には踏込まなかった。我々は二十一世紀に入る。1899年(明治32)で77歳だった海舟は、激動の十九世紀を鷲摑みにした上で二十世紀のアジアと世界を憂え、百年後の知己を待った。いま我々は二十世紀について結果を知っている。海舟において既知の十九世紀と、未知の二十世紀がどういう位相を呈していたか。それを正確に知ることは我々が未知の二十一世紀に対処するための何よりの勉強材料ではなかろうか。』 と締めくくっている。天心の言葉と相通じるものがある。
じっくり読んでいきたいと思っている。