素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

勝 海舟『氷川清話』を巡って

2011年12月21日 | 日記
 先日の“和の極意”の中で、天心の言葉が紹介されていた。「歴史を勉強しないものは必ず滅びる。ただし、後を向いていては駄目だ。前を向いて新しい時代に自分の足で進め」天心は率先垂範、この言葉を具現したのではなかろうか。

 ただ“歴史”は“勝者の歴史”であることが多い。光の当て方によってまったく違う見方ができる。そのあたりがおもしろいところであり、こわいところでもある。昨今の歴史番組では従来とは違った側面から光を当てたものが多い。自分の知識がこわされ再構築されていくことに喜びを感じる。

 偶然本屋で出会った本からも同様のことを感じた。

 火曜日買い物のついでにツタヤに立ち寄った時、講談社学術文庫の『勝海舟・氷川清話』(江藤淳・松浦玲編)が目にとまった。諸田玲子さんの『お順』を読んでからずっと頭のすみに勝海舟はいた。混沌とした政治状況が続く中、勝海舟の言葉を読んでみたいと思いためらうことなく購入した。

 海舟の話の前に、編集者の松浦さんの書いている最初の“学術文庫刊行に当って”と最後にある“解題”の内容にまず驚いた。要は、明治以来今日まで広く流布している吉本襄篇の『海舟先生・氷川清話』の記述について、1972年(昭和47)から刊行が始まった講談社版「勝海舟全集」の仕事に加わった時に徹底的に洗い直し、編集者の吉本氏が海舟の談話を勝手に書き変え、海舟の真意をひどく歪曲していたということを明らかにしたということである。

 海舟の痛烈な時局批判、明治政府批判はあらかた削りとられ、首相や閣僚を名指しで攻撃している談話が、まるで世間一般を訓戒しているような抽象的道徳論にすりかえられていたりと吉本氏の思想や吉本氏の人物スケールに合わせてつくりかえられてしまっているという。日清戦争の最中に戦争に反対した談話など思うように書き変えられない類の談話は初めから収録を見合わせている。

 詳しい比較は全集に比較できるように掲載されているとのこと。この全集を親本にして1974年に講談社文庫本が刊行された。それから四半世紀以上経った2000年に、気になっていた点などを改変して学術文庫版が刊行されたという。編集者の松浦さんの歴史の事実に対する真摯な姿勢が伝わってきた。松浦さんは“学術文庫版刊行に当って”の最後を

 『74年に書いた“解題”の末尾で私は、海舟の明治維新後三十年と、我々の戦後三十年とを重ねた。それから更に二十六年が経って我々は、海舟の維新後三十年より遥かに長い時間単位を掌握する必要に迫られている。海舟は1899年まで生きて二十世紀には踏込まなかった。我々は二十一世紀に入る。1899年(明治32)で77歳だった海舟は、激動の十九世紀を鷲摑みにした上で二十世紀のアジアと世界を憂え、百年後の知己を待った。いま我々は二十世紀について結果を知っている。海舟において既知の十九世紀と、未知の二十世紀がどういう位相を呈していたか。それを正確に知ることは我々が未知の二十一世紀に対処するための何よりの勉強材料ではなかろうか。』 と締めくくっている。天心の言葉と相通じるものがある。

 じっくり読んでいきたいと思っている。

 
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新設・10kmコースを試走

2011年12月20日 | 日記
 家から出発して、寝屋川公園の4kmコースをまわり家までもどってくる新しい10kmコースをつくった。交野マラソンよりは高低差のあるコースなのでトレーニングにはちょうど良い。先週の夜には3回の1時間走を行い8km~9kmを走る感覚はつかんでいたので試しに新しくつくった10kmコースでどれくらいのタイムになるか走ってみた。

 先日の新聞にあった第31回全日本実業団対抗女子駅伝の記事でも以前であればどこが優勝したかぐらいを見るだけだったが、今は各区間の順位と記録にも目がいく。ちょうど5区は10kmを走る。区間賞は32分51秒であった。自分で走っているとその速さには驚かされる。今日最初の1kmは6分で入った。このペースを維持してやっと10kmを1時間である。この目標をクリアするのはなかなか厳しい。

 今回の試走タイムは1時間11分であった。現段階ではまずまずである。

 今年1年、日本でも世界でも転換点を迎えたと感じるさまざまな出来事が起こった。金正日総書記の死去はそのことをさらに強く感じさせるものである。

 時代の変わり目を考えている時、今日のNHKEテレ22時からの“さかのぼり日本史:北条時頼・万民統治への目覚め”とその後の“和の極意:仏像拝顔・阿修羅救った岡倉天心”は示唆に富む内容であった。

 白洲正子さんの「十一面観音巡礼」の冒頭に聖林寺の十一面観音が登場している。明治の廃仏毀釈の際に神宮寺の縁の下に捨ててあったのを発見したフェノロサが住職と相談して聖林寺に移したという。フェノロサの通訳として同行していたのが岡倉天心で、そのことが天心のその後の人生を決定づけた。本を読んだ時はサラッと流していたが、昨日の番組で深く知ることとなった。

 私の引き出しに“岡倉天心”がしまいこまれた。

 茨城県天心記念五浦美術館のホームページ(http://www.tenshin.museum.ibk.ed.jp/okakura/index.htm)を覘いてみた。天心が晩年に過ごした六角堂が先の東日本大震災の津波で消滅したという事実には歴史のめぐり合わせという因縁めいたものを感じた。


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やっと16日のことを書けるまで回復しました

2011年12月19日 | 日記
 パソコンの不具合のため、写真も取り込むことができないでいた。いたし方がないので17日、18日は携帯を使ってブログを書いていた。かれこれ1週間近くグズグズしているので、訪問サポートを受けることにした。明日の予約を取ったのだが、取り終わった後しばらくすると突然、普通に動き出した。「何だこれは?」という感じである。

 16日は、主催団体の1つである毎日新聞をとっている関係で『飛鳥アートプロジェクト』の招待チケットがあったので、行ってみることにした。冬型の気圧配置となり前日より5度ぐらい気温が下がり雪がちらついてもおかしくない空模様であった。明日香村の各所に展示されているアート作品をゆったりと巡るには風も強く、寒すぎたので石舞台と万葉文化館にしぼった。

 石舞台には10時50分に着いたので11時からの霧の発生を見るのにちょうど良いタイミングとなった。石舞台の四方に巡らされた堀の各所に設置されたノズルから霧が噴出される。その日の気象環境条件に呼応して形状、動き、ボリューム、濃度などが刻々と変化すると解説されていた。風がなければスッポリと石舞台を包んでしまうほどだが、今日は風が強かったので霧の河という具合になった。
  「やっぱり自然のほうが良い」という感想は無粋だろうか。

 おなじみになった万葉文化館では2つの展覧会が開催されていた。


絹谷さんの展示では、同じテーマの作品が平面と立体で上下に展示されているものがいくつかあり興味深く観させてもらった。原始的なエネルギーが湧いてくるようだった。

“堂本印象とその門下東丘会の歩み”展では絵も素晴らしかったが東丘会の歩みにも考えさせられるものがあった。1934年(昭和9年)に設立され、1938年(昭和13年)の第1回東丘展から2011年(平成23年)までの計51回の展覧会ポスターが展示されていたが、その中で一番印象的であったのが1942年(昭和17年)の第5回のものである。戦時下での統制が垣間見えたのである。そして翌年から1947年(昭和22年)までは戦争のため展覧会休止となっていた。また、冊子の中にも“第二次世界大戦に多数の塾員が中国、南方アジアへ従軍”という記述があった。

 キョンナムさんの『私たちは幸せになるために生まれてきた』の中にある“無言館”を建てた窪島さんの話とが重なった。
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ヴォーチェ・アンジェラ結成10周年記念演奏会に

2011年12月18日 | 日記
交野市ゆうゆうセンター多目的室は例年の青年の家の会場の2倍強あるにもかかわらず、開演の10分前に着いた時にはほぼ満員であった。


10周年記念演奏会にふさわしく第1部は<宮廷舞踏の響き&バロックダンス>ということでゲストにルネサンス*バロック舞踏の樋口裕子さんを迎え、指揮者の山本さんの解説とともにリコーダーの優しい音色とアンサンブルを耳から、17~18世紀の華麗な宮廷衣装を身に付けた樋口さんのダンスを目から楽しむことができた。
第2部は<BUILDERS OF TOMORROW 明日への祈り>ということでクリスマスソングを始めとしてお馴染みの曲となった。団員の皆さんもちょっと緊張が解けたみたいだった。会場の広さというのは演者にとって微妙な影響を与えると再認識した。ホール落語と寄席落語の違いみたいなものか。



2時間があっという間に経った。最後にみんなでしずかなクリスマス恒例の曲となってきた。好きな歌です。みんないい顔をして帰って行きました。
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ついていない週

2011年12月17日 | 日記
10日に幸運を使い果たしたかのように、今週は小さいけれどよくないことが多い。
ことの発端はパソコンの不具合である。14日のブログに白蓮さんのことを書き始めあと少しで終わりというところで突然パソコンが動かなくなった。動いた時はこちらの制御がきかなくて勝手に動いてるという感じ。
昨日の夜から完全ではないが制御可能になり、今日の午前中にようやく白蓮さんの続きを完結させることができた(^_^)vやりかけのままというのは落ち着かないものでやっとすっきりした。このためにずいぶん無駄な時間とエネルギーを使ってしまいました。
コミュニケーションの行き違いから消してはいけないデジカメの写真を消去したり、広報の取材でしめ縄作りの写真を撮りに行ったらデジカメのバッテリーが切れたり、葉牡丹を買いに行けば行ったで、安いと思って買った後に別の店に行ったらさらに安い値段であったりと裏目ばっかり出る。

これでプラマイゼロになったので好転することを期待するのみ。
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