素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

デジブック 『九州バス旅2日目』

2011年12月07日 | 日記
午前中、用事の合間を見つけて2日目の写真を整理する。いろいろな資料も見ながらの作業なので時間がかかる。旅の予習はあまりしない。現地で手に入れたパンフを読み直したり、地図でルートを追ってみたり、ガイドさんの説明で興味を覚えた人物のことを調べたりする復習が楽しい。今回のガイドの新川さんは歌がうまく、1日に4~5曲は歌を聞かせてくれた。

 “島原の子守唄”の背景にある「からゆきさん」の話は考えさせられることが多かった。また、この歌の作詞、作曲をした宮崎康平さんのことも興味深く聞かせてもらった。映画“幻の邪馬台国”で竹中直人さんが演じた人物であったことを初めて知った。

 もう一人、油屋熊八さんの話も面白かった。有名なキャッチコピー“山は富士 海は瀬戸内 湯は別府”をつくり、別府を世間に知らしめていくアイデアとバイタリティには感心した。ガイド付きのバスも熊八さんのアイデアだそうだ。亀の井ホテルには大正・昭和の初めにつくられたポスターが貼られていた。それらを見ていると当時の意気盛んな熱が伝わってくる。

 愛媛県宇和島市の裕福な米問屋の生まれで、1888年(明治21年)には27歳で宇和島町議に当選。30歳の時に大阪に渡って米相場で富を築き、別名「油屋将軍」として羽振りが良かったが、日清戦争後に相場に失敗して全財産を失う。35歳の時にアメリカに渡り放浪の上、現地の教会でキリスト教の洗礼を受けた後、約3年滞在。帰国後、再度相場師となるがうまく行かず、熊八のアメリカ渡航時に別府に身を寄せていた妻を頼り、1871年(明治4年)の別府港開港以来温泉地として飛躍的に発展していた別府温泉で再起を図ろうと移り住む。という波乱万丈の人生でもあった。


デジブック 『九州バス旅2日目』



 午後からは“りそな銀行”主催のセミナーに行って来た。投信の考え方がよくわかると担当者からすすめられたので聴いてみようかという気になった。講師は大阪電気通大学 理事・客員教授 JPモルガン・アセット・マネジメント取締役副会長の中井正彦氏。2時間びっしり大学の講義を受けている感じであったが非常にわかりやすかった。いい刺激をもらった。
 
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