
談志については多くを語らなかった(否、語れなかった)が、喪失感の大きさは伝わって来た。よく“死んでも心の中に生きている”と言われるが、そのためには、その人の死を受け容れることが必要である。談春も最初にふれたが死に臨んでの儀式はそのためにあるのではないか。逝去を知らせる紙切れ1枚だけを受け取った談春にとっては、談志師匠の死を現実感のあるものとして受け容れていないということである。
葬式を始めてとする儀式は死んだ人のためより残った人のためにあるのでは?
つらい高座やなと感じた。しかし、落語はうまかった。『赤めだか』を読み終わった時と同じ心持ちになった。大いに笑って楽しんだのに哀しみが心に広がるという具合。2席、2時間の予定が3席を15分の休憩だけで入れて3時間を一人で演じきった。
最後の演目の“ねずみの穴”は「大阪では何をやっても受けなかったのでやけくそにやったら初めて大うけした」と珍しく談志が話してくれたと枕をふっての熱演。時々、談春が談志に見えることがあった。
開口一番「師匠の談志が死んで“躁”になっている!今日は長いよ。」と宣言したが、支柱がなくなり揺らぐと多弁になることと同じかなと思った。でもしゃべってもしゃべっても心は満たされず、次はむなしさが押し寄せ黙りこくる。「“躁”の次は確実に“鬱”が来る」とも言っていたが、それは真実である。
来年は、神戸と大阪で12ヶ月連続独演会を試みるみたいである。半年ぐらい間をあけて聴きに行こうかなと思っている。喪失感を埋め、死を受け容れるのには時間が必要であろう。
落語の後は、美味しい食事と酒。それに、満月しかも皆既月食付きという贅沢さ。あと3週間で2011年も終わり。1日ぐらいこんな日があってもいいだろう。