ただの備忘記録

忘れないように記録を残します。忘れるから記録に残してます。そして、その記録が役立つといいかな。

またまた娘が

2008年06月12日 | 娘小2
お笑い番組の好きな娘、その間にあった番宣での反応。

娘「もこみち~~~」
私「なんで知ってるねん」
娘「ゴチにでてたことあるもん」
最近のことではないようだ。それからずっと覚えているんだな。
名前がひらがなだったからかもしれないけどね。
え?妬いてるのかって?ま、まさかぁ。

秋葉原の事件と掲示板について

2008年06月12日 | コラム
あまり特定の事件を取り上げたりはしないのですが、色々と背景について報道されるなかで感じたことを書いてみようと思います。
ここでは、犯人をAと記します。

Aは、携帯電話を使い、掲示板に以前から内心を吐露し、誰かからのレスポンスを待っていたようです。本人も「誰かが止めてくれるんじゃないか」と思っていたと供述しているようです。
「2ちゃんねる」という大型掲示板は有名であり、多くの人がいる分、一人の書込への反応も素早いものです。ただそこでさえも活発な掲示板とそうでないところがあり、目立ちたいだけの悪戯発言は活発なところで行われやすく、悪戯として抹消されるか、通報という形での対応も迅速だったりします。

今回の場合、そのような有名掲示板ではなく、監視サービスの対象にもならないような掲示板で行われています。それが個人のサイトなのか、多くの人が利用するサイトなのかは判りません。
ただ、個人が簡単に掲示板を持つことができるのは間違いなく、それが無数にあって目が行き届かない状況が既に生まれているということです。
Aは、そんなところにいながらも、人の目に自分のメッセージが触れることを望んでいたのでしょう。しかし、これは、ネットの中に引きこもっているのと同じではないかと感じます。
本当に自分の存在をアピールしたいのなら、多くの人がいる掲示板に書き込みします。でも、そういうところは、個人的なことを書かないし、そういうものは嫌われる傾向にあります。
結局、自分の独り言を書くためだけの、掲示板(スレッド)を作って、そこにひっそりと引きこもってしまうのでしょう。ブログだと一言二言のつぶやきでは、なりたたないけど、携帯電話という小さな窓では、小さな掲示板が丁度居心地良かったのかもしれません。

そういうネットの中で孤独を感じて、引きこもる人は少なくないでしょう。小規模なHPや掲示板を提供するサービスそのものには、人が多く集まっていると思います。
もちろん、そこにはプロフサイトも含まれており、学校裏サイトなどと呼ばれているものもあります。
今回の事件ではAの書込が多く取り上げられていますが、パスワードによって保護されて本人や友達だけでしか使えない掲示板だってあります。

私が理解に苦しむのは、リアルではちゃんと生活をしているのに、どうしてネットの中で引きこもる必要があったのかということです。
でも、Aにとってそこは他人との接点となるオープンスペースだったようですね。実際にはほとんど人が訪れない場所だったようで、傍目には引きこもりと同じだったと感じるのです。
HPにしても、ブログにしても、プロフにしても、個人的なページというのは、ある種自己満足的なものです。SNSは、そこに人の繋がりを用意することで、オープンなスペースを作りだします。それでも全体として閉鎖的な空間と思われています。
ネットではほとんど全ての場所がオープンな場所でありながら、他人の視線を感じられないだけで、孤独感を増幅させたり、閉塞感を味わうこともあるのだと思います。面白い部分だけでなく、逆にそういう寂しさを感じさせる部分ですら、ネットや携帯への依存を強めてしまったのでしょう。

ネットにだけ対応を求めるのは限界だと思っています。
昨今のフィルタリング問題のように、ただネットの情報を制限しただけで、世の中が変わる訳ではありません。掲示板などでは、反応を返さないという個人対策も一般的です。レスポンスをしないというのはセキュリティの基本技でもあるのです。
ですが、ネット上の自衛だけで、事件を防ぐことはできません。

孔子だったと思いますが、「法律を厳しくすればモラルは下がる。法律を単純にすべき」で、道徳心を養うことの方が大切だということだと思います。
ネットのサービスもどんどん複雑化しています。これはネットが熟成されたからでしょうか?そうではなく、私たちはまだネット社会の入口を彷徨っているだけなのでしょう。
ネットそのものが事件の舞台になることも珍しくなくなり、私たちは凶器にもなり得る道具を手にしたという認識が必要になっています。
しかし、それを止めるのはネットの中だけの責任ではありません。この事件が、今後何をもたらすか判りませんが、技術的な問題だけでなく、モラルや道徳的な教育など、広範囲な議論が行われることを期待したいと思います。



最後に、犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。