昨日・一昨日の『ロシア幻想怪奇譚』の授業でのこと。
一昨日、先生が作品の抜粋部分の朗読をお願いするため出席簿から順番に受講者にあてていた。(実際に口に出して作品を味わうことでより深く理解できるという先生の意図のもと)
私はあたらなかったけれど、あたっても何とも思わなかったし、授業の進め方としては当然の流れだと思っていた。
でも、そうは思わなかった人もいるらしい。
一昨日の授業の最後に授業の感想や質問、思うことなど何でもいいので書いて提出して帰ることになった。
そして翌日の一コマ目に先生から質問に対する回答があり、感想に対するコメントがあった。
最後に「朗読は酷なのではないか」「希望者だけにして欲しい」といった意見があったとのこと。
先生は「難しい漢字や言い回しもあり、初見では難しいでしょうから・・」と昨日の授業では出席者の朗読は一切無かった。
すべて先生が朗読、解説などなさり、私たちは聴くだけ。
これではテレビを視聴しているのと同じだ。せっかくリアルに集まって授業を受けているというのに、なんだか味気ない。
突然初対面の人たちの前で初見の文章を読むように言われることはそんなに酷なことなのか。
その授業のタイトルや内容に何かしら興味をもって自らの意思で申し込み、出席しているわけだから、その場に居合わせているだけで「同志」ではないか。わからない漢字があっても先生が教えてくださるし、他にもわからない人がいると思う。お互いさま。
もっと気持ちをおおらかに持って臨んでもいいのに。
・・とそんな風に思ったのでした。
先生はこだわらず一昨日と同様に授業を進めてくださいました。
豊富な資料や映像・音楽でイメージしやすく、とてもよい授業だったと思います。
自分の心の引き出しがまたひとつ増えたようでうれしい。