思惟石

懈怠石のパスワード忘れたので改めて開設しました。

『つまらない住宅地のすべての家』 良い本読んだ!

2023-11-20 18:42:21 | 日記
『つまらない住宅地のすべての家』
津村記久子

やっぱり津村さんは天才。
好き。
おもしろい。

怒涛の勢いで読了しました。

つまらない住宅地の奥まった路地沿い一区画に住む数軒の家。
それぞれ、何らか、不穏な空気を抱えています。
「不幸」とか「事件」とか、
そこまでのものではないかもしれないけれど、
ザワザワする何か。
絶妙。

そして刑務所から逃走中の女性横領犯が近所にいるらしい。

いや、読者としては、逃亡犯に備える前に
それぞれの家にある問題に向き合いなよ〜と言いたい。
でもそういうことじゃないんだ。
じゃあどういうことだ。

と思いながら、ぐいぐい読んじゃうわけですよ。

エンディングも大団円!ではない。
すべてが収束して謎は解けた!というわけでもない。

でも、そう来たか、と思うし、
津村さんはこの人をこう解釈するのですね、
という納得感もすごい。
私はそのように考えられていなかったな、と反省する。

すべての登場人物に津村さんぽさを感じます。
長所も短所もただの思考の切れ端も。
私もこのように世界を捉えてみたいと思う。

はうあ〜(満腹のため息)。
良い本読んだ!!!
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『どこに転がっていくの、林檎ちゃん』 転がされるのは読者だけど。

2023-11-17 13:43:08 | 日記
『どこに転がっていくの、林檎ちゃん』
レオ・ペルッツ
訳:垂野創一郎

タイトルはロシアの民謡のフレーズだそうです、
この林檎のごとく何処に転がっていくのかわからない
青年の物語。

主人公はオーストリア・ウィーンの青年ヴィトーリン。
時代は第一次世界大戦直後。

ヴィトーリンは大戦末期にロシアの捕虜収容所にいた。
ロシアの司令官セリュコフに誇りを傷つけられ、
釈放され故郷ウィーンへ帰ったのち
復讐のためにロシアに舞い戻るという。

怒涛の第一章。
ロシアで何があったの?
気になる〜。

と思ったら、まず、ウィーンに戻った時点で
復讐を誓った捕虜仲間が一斉に平和を享受して離脱。
うーん、その気持ちはわかる。

実家も困窮してるし、恋人には結婚を迫られるし、
なんならヴィトーリンだって復讐どころじゃない。
平和に生きろ。

復讐心を掻き立てる回想に登場するセリュコフも、
まあ、なんか地雷踏んだんかもしれんけど、
内戦中のロシアに戻ろうと思えるほどの復讐の原動力になるか?と。

そう、ロシアは第一次世界大戦後の帝政崩壊真っ只中。
白軍と赤軍とボリシェビキと反革命と色んなものが混沌として
誰に味方しても何を喋っても死ぬ状態。
そんなとこになぜ行くんだヴィトーリン。

そんな感じで終始、主人公の精神的健やかさを疑い続けながら、
読む復讐劇です笑
さすがのペルッツ。

転がっていく林檎ちゃんに翻弄されながら、
ペルッツに転がされて楽しむ一冊。
楽しかった。

ペルッツというと幻想文学なイメージだったけど、
これは幻想味がない、毛色が違う作品。
原著は1928年に刊行されベストセラーだったそうです。

第一次世界大戦の
「クリスマスには終わるだろう」
(開戦は1914年7月、終戦は1918年。
 当事者全員がここまで長く酷くなると思っていなかったという)
が途方もなく間違っていて、
ロシアもオーストリアも帝政崩壊、不確かな革命運動真っ盛り。

そこらへんの時代感や労働階級の意識、宗教性などを絡めた
訳者の垂野先生の解説もおもしろかったです。
黙示録やら祭壇画やら出てきて、解説まで読者を転がすじゃん!となる。
良い買い物した!
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『あの川のほとりで』 悲しい。あとケッチャムはかっこいい。

2023-11-13 10:00:49 | 日記
『あの川のほとりで』
ジョン・アーヴィング
訳:小竹由美子

アーヴィングって読んだことないんだよなあ。
一冊くらい読んでおくか。

と思ったのですが、すぐ記憶喪失になるので
とりあえず確認したところ、もちろん読んでますよ。
安定のポンコツ感。

まあ、記憶無いので。読もう。
なぜか定番の『ガープの世界』『サイダーハウスルール』ではなく
『あの川のほとりで』を読む。
天邪鬼なので。

1960年代、林業集落に住むコックの父と、12歳の少年。
その後40年以上の、父子の放浪する人生を描く分厚い小説。

うん、ちょっと分厚かったですね…。

少年ダニエルは長じて小説家になり、息子を育て、失う。

小説の時間は章ごとに十数年単位で進むのだけれど、
描写としては合間の過去を反芻することが多い。
総じて、ダニエルは幸せで成功しているであろう人生だけれど、
ずっと何かから逃げ、思い出を噛み直している、とても寂しい印象。

牛の反芻かよと思うくらい、ずっと過去を取り出し、
かみかみと飽きることなく噛み直しています。
味がしなくなるまで反芻するんだろうと思う。
そのイメージがもう悲しい。

なんなんだろう、この小説は。
読みにくくもないし、つまらなくもないのだけれど。
悲しいな。

最後の最後に、希望と幸福を感じられる終わり方をするのだけど、
読んでいる間はずっと「後ろ向きな小説だなあ」と思っていました。
ラストが良いから、良いのかな。

ケッチャムはまごうことなきヒーローでした。
ケッチャムかっこいい。
「ケッチャムはケッチャムにしか殺せない」という一文が
とても良い。

作家としてのダニエルには、
アーヴィングの自伝的な部分もあるらしくて、
ライターズスクールの恩師にカート・ヴォネガットが登場します。
最近読んだ人だ〜。
レイモンド・カーヴァーも友人として登場。
読んだ…っけ…?
読んだ
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『怖い絵』 お得な文庫版

2023-11-08 11:17:22 | 日記
『怖い絵』
中野京子

この<怖い絵>シリーズは色々なバージョンが
存在するんですが(展覧会のムックとか)。
これは最初に出版された単行本の、文庫化バージョン。
(ちなみに脳みそポンコツで記憶消去されてましたが、
 この本、再読です)

文庫化で収録順が変わっていて、新しく2作品が追加されています。
お得!
収録作は以下の22作品。

ラ・トゥール『いかさま師』
ドガ『エトワール、または舞台の踊り子』
ティントレット『受胎告知』
ダヴィッド『マリー・アントワネット最後の肖像』(怖い絵のはじまり)
ブロンツィーノ『愛の寓意』
ブリューゲル『絞首台の上のかささぎ』
クノップフ『見捨てられた街』
ボッティチェリ『ナスタジオ・デリ・オネスティの物語』 
ホガース『グラハム家の子どもたち』
ゴヤ『我が子を喰らうサトゥルヌス』
ベーコン『ベラスケス<教皇インノケンティウス十世像>による習作』
アルテミジア・ジェンティレスキ『ホロフェルネスの首を斬るユーディト』
ムンク『思春期』
ライト・オブ・ダービー『空気ポンプの実験』(文庫追加作品)
ホルバイン『ヘンリー八世像』
ジョルジョーネ『老婆の肖像』
ルドン『キュクロプス』(黒一色の作風から色が溢れでた晩年の作品)
コレッジョ『ガニュメデスの誘拐』
レーピン『イワン雷帝とその息子』(ロマノフ家にも収録)
ゴッホ『自画像』(文庫追加作品)
ジェリコー『メデューズ号の筏』
グリューネヴァルト『イーゼンハイムの祭壇画』

イタリア・ルネッサンス絵画は
「色のヴェネツィア、線のフィレンツェ」
だそうです。
前者がティツィアーノやティントレット。
後者がボッティチェリ。
メディチ家の庇護でおなじみのボッティチェリ。
「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」は
プッチ家(メディチ家の縁戚)の息子の結婚祝いの連作絵画。
ボッティチェリのパトロンは通称イル・マニフィコ(=偉大な)のロレンツォ。
ド派手なテキスタイルでおなじみのファッションデザイナー、
エミリオ・プッチはプッチ家の末裔。
どうでもいいけど、プッチ柄ってアンミカさんっぽいよね。

「メデューズ号の筏」のジェリコーは裕福だったので、
自分が描きたいものを描けた人。
ナポレオン失墜後の王政批判を込めた本作が生まれた所以。
たった32歳で夭折し、最後の言葉が「まだなにもしていない!」。
このセリフ、他でも聞いたことある気がするんですが、
ゲーテの「光を」とかとごっちゃになってるのかな。

「イーゼンハイムの祭壇画」は、めちゃくちゃ痛々しい磔刑図。
疫病で苦しむ人々のために聖アントニウス修道会に飾られていたもの。
中世の三代疫病が、ペスト・ハンセン病・聖アントニウス病。
3つ目だけ聞いたことないんですが、これ、
麦角アルカロイドだそうです。
あのナポレオン軍やカエサル軍も苦しんだやつだ!

中野さんはセレクトもいいけど、
とにかく解説がおもしろいし学びになる。
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『イリノイ遠景近景』 「住処」をめぐるエッセイ。

2023-11-07 17:26:16 | 日記
『イリノイ遠景近景』
藤本和子

塩を食う女たち』の作者でもある藤本さんの
エッセイ。
様々な人や立場での「住処」という概念を
味わうことができる素晴らしい一冊。

ちなみに初出のタイトルは、「三界に住処あり」。
1992年から93年にかけて『小説新潮』連載。

アメリカで長く暮らす作者が、あとがきで
「私が、動きと時間とを住処にしているようる、
人々との出会いを住処にしているようす」
を書いたと述べている通りの内容です。

それにしても、
藤本さんは本当に人間が好きで、
一人ひとりの人生が好きで、
その話しを聞くのが好きなのだろうなと思う。

藤本節で、出会った人々のファクトを描いているのだけど。
そこには何らかの思想や事情や主張が垣間見える。
でも藤本さんは何も主張しないし、否定もしない。
人種問題や貧困問題に近接する話題も多いし
考えさせられるのだけれど、
とにかくカラッとしているのである。
かっこいいのである。

前半は藤本さんの生活周辺や友人が出てくる素描的エッセイ。
ドーナツ屋でおじさんたちの会話を盗み聞きしたり、
スポーツセンターのジャグジーでおばあちゃんたちの
会話の隅っこに参加したり。

「十月のトニ」で描かれるトニや葬儀屋のマダムは
『塩を食う女たち』にも登場していますね。
トニや義母のレベッカ、シェルターで出会った女性たちの
描写が愛らしくて、公平で、凄い筆の人だなあと思います。

後半は、自分の「住処」とは何かを示唆するような人への
インタビュー。

少数派民族のアーティスト
(ひとりはナヴァホ・インディアン居留地シップロック
の彫刻家、ナヴァホコードで有名な部族ですね。
もうひとりはサン・イルデフォンゾ・プエブロに住む
女性陶芸家。プエブロは「村」とか「集落」の意味)
だったり、
自分のルーツとは全く異なる地に住み続けている女性だったり。

とにかく、その人の人生をインタビューするのがうまい。
その描写もうまい。
あまり著名ではない「誰か」の人生に、
読んでいるこちらも惹きつけられる。
あとがきで岸本佐知子さんも書いていたけれど、
唯一の著名人登場人物であるマリオ・ヴァルガス・リョサは、
「夜中にごみ出しをするただのおっさん」だった。
いい塩梅。
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