散歩者goo 

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原発事故対応の評価の仕方は正当か?

2012年03月01日 17時52分25秒 | 注目ニュース・短感(ニュースおよび短評・感想)
今日衆議院予算委員会での斑目委員長の話を聞いてがっかりした。
斑目さんは責任感がまったくない。
スピーディーは、正確ではないといった発言もしていて、避難は従来どおりの同心円状で処理すべきだと言う意味の話をしている。
このことが、どれほど飯舘村等の住民に心痛をもたらしたか、理解していないのだろうか。

なるほど、菅前首相がヘリコプター内で斑目氏に、私の言う質問だけ答えればよい、と怒ったのもなんとなく想像できるような気がする。


これと関連して、28日に福島原発事故独立検証委員会(民間)がまとめた報告書で、菅前首相のことをかなり批判的に取り扱っていたが、私は、その評価に疑問を感じている。

かなり分厚い報告書で、我々はその詳細を知ることは出来ないが、報道される範囲を聞くだけでも様々なことが想像できるので、考えてみた。

確かに菅前首相はバッテリーの大きさまで報告を求めたり、自分で何でもしようとしたりして、非常事態において、全体を統括指揮する司令官として、ふさわしくない行いも多く、混乱や萎縮をもたらせたようだ。
この点は報告書の指摘する通りなのだろう。


しかし、評価するには、事の軽重で評価すべきであって、並列で横並びの価値で評価して総合点で、失格と決め付けるのは誤りだと思っている。

単純化して、あの緊急事態で、原子力安全・保安院は機能しておらず、東電は情報を上げてこず、原子力安全委員会は委員長が関係者を招集して責任を果たすという姿勢も見えない。
このような状態で、何が出来たというのだろう。
多分斑目氏が全電源喪失に関して、電源回復を最優先という助言か東電が要求により、電源車やバッテリーの手配になったのだろう。
当時現場も電源が切れて、照明も限られ詳細な状況の把握が出来ず、出来ることと言えば、電源の回復のため全力を挙げて欲しいと言うことであったのだろう。
電源車が来ても口金が合わないためにあきらめたと言うが、口金の問題は、コンセントを使用せず、ケーブルで直結すれば可能ではなかったのか疑問に思う。

その後、東電が全員退避を申し出た。
このとき、全員退避を実施していたら、今の日本はどのようになっていただろう。
考えるだけでも恐ろしい。
それを阻止したと言う一点だけをとっても、その意味は計り知れないほど大きいと思う。

ヘリコプターで現地へ飛ぶと言うのも、後日非難されるのを承知で飛んだ、決断は正解であった。
所長との意思疎通が出来、決死隊を編成しますと言わしめたのだ。

その後も、東電からの情報は乏しかったようだ。
菅前首相が東電に乗り込んで、統合本部を作ったことを、関係者は非常に重要な意味があったと言う意味のことを証言していた。
それ以降、対策が順調に進みだしたのだ。

今回の調査に東電が参加していないことを見ても、東電の体質的問題の深さが推測できる。
国の原子力安全・保安院は、事故が起きると真っ先に現場事務所から避難したため、適切な情報を上げていなかった。
日本の原子力安全委員会が、どれだけ有効な提言をし、外国の英知も借り未曾有の緊急事態に立ち向かおうとしたのか。
アメリカ側の証言では、アメリカが航空機や空母からの調査で放射性物質が検出され、最悪の緊急事態が発生している可能性があることを察知し、日本側の関係機関と何度も連絡を取ったが、原子力安全委員会は、自国で事態を掌握しているので、心配不要と言う意味の事を告げたと言う。

こうした官邸の取り巻き連中の中で、官邸は報告書にあるように、泥縄の対策を打っていったと想像できるのである。

このような事態の成り行きや、周囲の状況を考慮すると、評価する時に事の軽重を抜きにした評価はありえないと思う。
その意味で、評価者の感覚も問われるのではないかと思う。

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世間話120229水

2012年03月01日 16時37分30秒 | 注目ニュース・短感(ニュースおよび短評・感想)
都心積雪
スカイツリー完成 着工から3年8ヶ月

大気中に放出された放射性セシウムの総量は、4京ベクレル。チェルノブイリ原発事故での放出量の約2割に相当。  試算は気象庁気象研究所。原発事故で放出された放射性物質の3割は陸、7割は海に広がったとされる。
青森県六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場が、れんが片で目詰まりのため試験運転延期。3月上旬試験運転開始予定は4月下旬以降となる見込み。
島田市が16~17日に試験焼却を行っているが、静岡市も試験焼却へ 山田町と大槌町対象。


NYダウ終値、1万3千ドルの大台突破 3年9カ月ぶり
1月の鉱工業生産指数(2005年=100、)の速報値は前月比2.0%増の95.3で、2カ月連続で上昇した。2、3月も伸びが見込まれる。

教職員に君が代の起立斉唱を義務づける大阪市条例が可決成立。

過去11カ月間のシリアの弾圧による死者が「7500人をかなり上回る」と国連のパスコー政治局長が発表した。
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昨日記120229水(晴れ12/4 佐野氏個展 プール)

2012年03月01日 11時47分38秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
今(3/1)昨日の「お金持ちにケチが多いのは本当?」の支離滅裂の文章におどろき、大幅に修正追加した。

昼食後ブログの内容を考えつつ、時間切れで佐野さんの個展を見に出発。
JR芦屋近くの、芦屋画廊に行く。
佐野さんもおられたので、作品の話を聞く。
シャープペンや、ボールペンの丁寧な抽象作品と、天井に取り付けられた、ペットボトルの作品だ。

6時過ぎに帰宅し、プールに行くまでの間に、ブログを書き投稿した。

その後すぐにプールへ。
珍しくガラガラだった。
ゆっくりと、600mを15分かけてクロールで泳ぎ、トータル800m弱泳いだ。
去年50mプールで800m泳いだが、25mプールでは600mは私の最長遊泳記録だ。



参考
プールに行くまでの間に、ブログを書こうとするが、昼間は原発の民間事故調査の報告について考えていたが、この話はとても短時間ではまとめきれないと思い、急遽話題を変更しお金持ちとケチの話を書いた。
プールに行くことに気を取られ、チェックせず打ちっぱなしのまま投稿したためこのようなことになった。
書いては消し、文章を入れ替えたり頻繁にした為、消し忘れ等が起きていた。

「お金持ちにケチが多いのは本当?」の修正追加が多くなった為に、昨日記投稿も大幅に遅れた。
遅れ次いでに、参考も関連した思い出を書いておく。

マックス・ヴェーバーの宗教と経済の話は、英語留学でイリノイ大学付属の英語学校にいた時にレベル4終了課題でA4用紙10枚以上のペーパーを書くときに、選んだテーマと関連している。
(1980年以前の宗教圏<カトリック プロテスタント イスラム 仏教 その他>と国民一人当たりの国民総生産とがある程度関係があった。しかし当時日本だけが極端な例外国であった。その原因について考えた。そのため、日本の儒教<主に朱子学や陽明学>その他心学等についても調べた。当時そのような議論は余り聞かなかった。)
この話は、非常に奥の深い話で、経済学や哲学や社会学(文化人類学的思考も)ひいては、脳科学とも関連していて非常に興味深い話と思っていて、考古学同様、暇な時に周辺の本を読めれば楽しいなと考えている。
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お金持ちにケチが多いのは本当?(修正・追記)

2012年03月01日 10時35分52秒 | 人文科学・哲学・宗教・人生・生き方
お金持ちの場合、お金があるのだから自由に使えばよい。
しかし、その事について人の話を聞いたり、私が知っていたお金持ちにはけちな人や、お金に細かい人が多かった。

先日その話の、裏づけになりそうな科学的な話が、TV番組で紹介されていた。
2月26日もNHKスペシャル「ヒューマン なぜ人間になれたのか 第4集 そしてお金が生まれた」の中で
人間の脳の中に、腹側線条体という部位があって、金儲けをすることにより快楽を感じることが出来、儲かるほど快楽を感じる刺激が大きいという。
同時にその部位は、分かち合いも強い快楽を感じると言う。

この話を聴くと、お金持ちの中には、がめつくケチケチしてお金を貯め込む人と、アメリカに多い社会貢献で寄付をしたり、財団を作ったりする人と2極に別れることも理解できる。
なぜ、金持ちなのにケチケチするのか理解できた。
金を貯め込むことが、生きがいの人がいるということだ。

この話は、先日書いたブログの「エリートや金持ちはジコチュー?(追)」の話とも関連する話なのだろう。
小説に良く登場する、強欲な金持ちも、人間本来持っている脳の構造による可能性も考えられる。
分かち合いの快楽と、金儲けの快楽のどちらかが優先しているか。又はどちらも快楽を感じているかで、経営者の態度が違って来るのかもしれない。


ただ、忘れてはならないのは、そのような金を貯めこむという感覚的なこととは別に、経営者としての習慣として、質素倹約を旨とする人もいるであろうと想像されることだ。
マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」にもあるように、資本家・経営者の倫理としてキリスト教プロテスタントの教理から導きだされる倫理により生き方が規定され、日本ではよく似た構造の倫理が儒教をベースとして構築されている。
西欧の場合は、キリスト教プロテスタント各派の信仰が核にあり、その論理で倫理が規定されていくが、日本では儒教の倫理が基本で、宗教的には日本の伝統的精神構造の道教的志向も加わって、商人道といった精神主義的倫理観が形成されたのではないか。

土光さんや二宮尊徳の様に、ケチではなく、このような倫理観で質素倹約を貫いて生きた人も多い。
この構造は、唯物史観のマルクス主義とは全く違う構造で、倫理・宗教として人間の生活を規定し動かしている。


参考
日本以外では,(中国や韓国 欧米)儒教は宗教とみなされていて、実際に宗教としての儀式もある。
日本文化でよく使われる、xx道(茶道 華道 柔道 剣道 商人道)は宗教ではないが、精神主義的側面から構造的に見てある意味の宗教的心情も含んでいるのではないかと考えている。
そこには、神道と共通した全ての物に神が宿るという八百万の神々の精神と、共通する心情があるのかもしれない。
例えば、プールから退出する時に、丁寧にプールに向かいお辞儀をして退出する人も良く見かける。
作業場とか、道具とか、にも道的な精神的価値を付けることも昔は良く見かけた。
正月には車にも注連縄を飾ったのも、その現われかもしれない。(アメリカでは車は物そのものだ。)
このようなxx道的思考は、ある意味、宗教的要素を含んでいるように思っている。





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